ゲネシスタ-隕星の創造者-

12話-空蝉転生-

★配役:♂3♀3=計6人

戴黄麒(たいおうき)
18歳。
黒髪黒瞳の道人(どうじん)の少年。
華僑である両親を早くに亡くし、少なからぬ遺産で悠々自適の生活を送りながら中央官僚を目指す書生。
――という肩書きで、龍仙皇国を流離う『始皇帝』の落胤。

父親は龍仙皇国の『始皇帝』こと『覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)』。
天帝盤古龍(パングーロン)の創り出した九柱の要塞型(シタデル)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱であり、筆頭である。
母親は『妲己(だっき)』とも『玉藻前(たまものまえ)』とも呼ばれたギオガイザー系譜の要塞型(シタデル)九尾狐(きゅうびのきつね)』。

本来なら異系譜の降魔同士で受精は起こらず、稀に受精に至っても奇形や虚弱など遺伝子疾患を抱えているケースが多数を占める。
しかし戴黄麒は両親の隕石灰(メテオアッシュ)を正常に受け継ぎ、龍であり獣である、龍獣(りゅうじゅう)麒麟(チーリン)』となった。

ダイノジュラグバとギオガイザーの二系譜を跨る偽王型(レプリカロード)
二系譜の総督型(プレジデント)に準ずる権能を有する。
軍兵型(カデット)を支配し、指令型(エリート)に対しても一定以上の影響力を持つ。
霄壌圏域(ヘヴンズ)の一部にも接続可能であるため、要塞型(シタデル)にとっても驚異となりうる。
ただし、本物の総督型(プレジデント)には一段劣り、上位種と真正面から衝突すれば劣勢は必至である。

ダイノジュラグバとギオガイザーの混血から産まれた『麒麟』は、龍と獣の天敵であり、新種の反逆型(ミーティア)と言える。

封星座珠:【瑞兆角】

白狼琥(はくろうこ)
長い若白髪で左目を隠す猩人(しょうじん)の男。
白皙の貌には、猩人(しょうじん)の印である墨紋が刻まれている。
灰色狼の毛皮を羽織っており、毛皮の下には牙と爪の絡み合った異形の腕がある。

ギオガイザー系譜の闘将型(ベルセルク)檮杌(とうこつ)』。
要塞型(シタデル)蚩尤(シュウ)』の直系降魔で、退くことを知らずに戦う凶獣と恐れられた。
後に同系譜の要塞型(シタデル)『九尾狐』の元に送られ、彼女の側近として数百年に渡り仕える。

ギオガイザー系譜の降魔は、負傷すると細胞が万能細胞化する特性を持ち、生命力が著しく高い。
檮杌は万能細胞化による修復のみならず、以前より強靱な体組織を作り上げる性質を持つ。
その好戦的な気質から、命を落とす個体も多いが、歳月を経た檮杌は獰悪極まりない妖獣となる。

かつて覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)と戦い、左眼と左腕を失う。
瀕死の重傷を負った妖獣『檮杌』の体は、原型を逸脱した新生組織として再生させた。
左眼は万物の奇穴を視る『華佗(かだ)』、尾は自在に成長する牙と爪の絡み合った骨肉兵装『哪吒(なたく)』。
覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)の血を浴びたことにより発現した『龍血獣皮(りゅうけつじゅうひ)』により全身に赤黒い斑が滲み、血の蒸気を纏う。
この血の蒸気は、ダイノジュラグバ系譜の隕石灰(メテオアッシュ)を侵す隕石灰(メテオアッシュ)であり、近距離では龍を蝕む毒となり、遠距離では龍の吐息から身を守る防壁となる。
これらの三種は『檮杌』には本来あり得ない体組織であり、生物学上は寄生型(メタビオス)に分類される。

主君の仇である神龍(シェンロン)たちに、古き妖獣は異形の眼と爪を光らせる。

翠艶(すいえん)
緑閃石の髪と大理石の素肌を持つ猩人の女。
猩人の証である顔の墨紋も、石の紋様ように独特なものになっている。
火竜の息吹も払う石綿の衣を纏い、岩を砕く『破岩鞭(はがんべん)』を振るう。

ギオガイザー系譜の闘将型(ベルセルク)窮奇(きゅうき)』。
要塞型(シタデル)蚩尤(シュウ)』の直系降魔で、齢数千とも数万とも言われる最古の窮奇である。
石や鉄を喰らう窮奇の中でも別格の存在であり、鉱物の組成を一瞬で変形させて融合する『岩盤結合』によって己の皮革を築く。
巌災公主(がんさいこうしゅ)』という別名を持ち、並み居る竜を打ち負かし、王竜とも激しく戦った。

猩人たちの任侠集団を取り纏める『百獣幇(ひゃくじゅうほう)』の盟主。
要塞型(シタデル)蚩尤(シュウ)』復活の鍵を握り、龍仙皇国を転覆させるべく謀略を巡らせている。

貪虚(どんくう)
分厚い瓶底眼鏡を掛けた、猩人の男。
柔和な笑みを浮かべる顔を覆う墨紋は、微笑みとは不釣り合いに力強く荒々しい。

ギオガイザー系譜の闘将型(ベルセルク)饕餮(とうてつ)』。
要塞型(シタデル)蚩尤(シュウ)』の直系降魔で、あらゆるものを貪り食う貪獣。
化身を解いた姿は、手も足も無い盲目の河馬に似た妖獣で、周囲の物質を手当たり次第に吸い込み、エネルギーに変換する。
分厚い皮膚の下の内臓はマイクロブラックホールとなっており、饕餮の本質は、万物を飲み干す『餓える黒点』である。
死亡するとマイクロブラックホールが炸裂するため、倒さずに封じるか、殺害場所を考慮しなければならず、仙人たちを大いに悩ませた。

貪欲な性癖は、食べ物だけでなく知識にも及んでおり、仲間からは知恵袋としても重宝されていた。

朱紅楼(しゅこうろう)
唐紅の髪をした猩人(しょうじん)の少女。
猩人(しょうじん)の印として、貌には墨紋が縁取っている。
闇商人魏難訓に『愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)』として売られていた浮浪児。

ギオガイザー系譜の闘将型(ベルセルク)渾沌(こんとん)』。
要塞型(シタデル)『蚩尤』の直系降魔で、万の獣を身に宿す、千貌の獣。
全身を覆う墨紋の正体は、数多の獣の遺伝子が色素沈着の形で表出したジャンクDNA。

その本質が万能細胞塊と遺伝子プールである『渾沌』に、『生物としての死』はほとんど存在しない。
少数のジャンクDNAから構成された『人格』の一つが死んでも、再生可能な程度の肉体が残っていれば、新たな『人格』が誕生する。
『朱紅楼』もまた『渾沌』の中に産まれては消えていった『人格』の一つである。

三年前、『麒麟王』の起こした反皇国革命『麒麟の世直し』の際に死亡している。
彼女の残した亡骸は、様々な種を残し、『末法獣』の誕生に繋がる。

肆兇(しきょう)
朱い錆色のざんばら髪が振り乱れる猩人(しょうじん)の女。
貌を含む全身を隈無く覆う墨紋は、地煞星の刻印を通り越して、墨刑を科された古代の罪人を思わせる。

ギオガイザー系譜の闘将型(ベルセルク)渾沌(こんとん)』。
要塞型(シタデル)でないにも関わらず、酸液による細胞初期化と、遺伝子注入により、単独で降魔化を行う力を有する。

任侠集団『末法獣』の頭目である『菩薩様』の影であり、各地に出没しては狂獣病をばら撒いていく。

菩薩様(ぼさつさま)
朱い眼をした猩人(しょうじん)の女。
剃髪した頭から顔の左半分までを獣面瘡に侵されており、顔の原形は判然としない。
普段は尼頭巾を目深く被っている。

龍仙皇国で猛威を振るう任侠集団『末法獣(まっぽうじゅう)』の頭目。
獣帝(じゅうてい)蚩尤(シュウ)復活の贄となることを宿命られた御供比丘尼(ごくうびくに)
涿鹿山林(たくろくさんりん)の里の古寺で、菩薩様として崇められながら、余生を過ごしている。

ギオガイザー系譜の闘将型(ベルセルク)渾沌(こんとん)』。
朱紅楼の遺伝子から発生した存在であり、遺伝的には同一の個体といえる。

※朱紅楼、菩薩様、肆兇は三役です

蘇妲己(そだっき)
銀髪黒瞳の猩人(しょうじん)の少女。

妲己とは、ギオガイザー系譜の要塞型(シタデル)『白面金銀妖瞳九尾狐』の化身の名前。
仙人(せんじん)の間では忌まわしき傾国の悪女と認知されているが、猩人(しょうじん)の間ではヒロインであり、その美貌に肖ろうと名づけられることも多い。

ギオガイザー系譜の闘将型(ベルセルク)渾沌(こんとん)』。
ただし完全な降魔ではなく、半降魔という、降魔が途中で止まった存在。

元々は黒髪黒瞳の平凡な東洋系の顔立ちの道人(どうじん)だった。
三年前に出現した『渾沌』によって、九尾の狐の魄に感染。
黒髪は銀色に染まり、地味だった顔立ちも、並外れた美少女のものとなる。

存分に遊び尽くした蘇妲己は、人生そのものに飽き、世界の破滅を望み、『末法獣』へと身を投じる。


※ルビを振ってある漢字はルビを、振ってない漢字はそのまま呼んでください。

ゲネシスタwiki 劇中の参考になれば幸いです。


□1/涿鹿山林、山道


戴黄麒:はあ、はあ……

白狼琥:若、あと少しです。

貪虚:王様、気持ちはわかるよ……
    僕も(ふもと)の村で食べ過ぎちゃって……

戴黄麒:お前と一緒にするな……
     山歩きに適した登山用の靴を新調し、前日は早く寝て、出発前の食事は控えめ、
     烏龍茶で脂肪の燃焼効率を高めた完璧なコンディション――

貪虚:で、息も絶え絶えなんだ。

翠艶:麒麟は虚弱体質なのですか。

戴黄麒:…………

白狼琥:悪気はないんです。

戴黄麒:ああ、お前たち闘将型(ベルセルク)に比べればな……!
     俺は龍獣の王だ……俺に気を遣って、もう少し足を緩めろ――!

翠艶:それは失礼、総督型(ラージギル)様。

戴黄麒:何のつもりだ――!?

翠艶:王をお運びしようかと。

戴黄麒:降ろせ――!
     俺を馬鹿にしているのか――!

翠艶:畏まりました。

戴黄麒:……本当に悪気はないんだな?

白狼琥:いえ、すみません。
     ……かなりあります。

貪虚:翠艶、僕もお姫様だっこで運んでよ。

翠艶:お前は歩きなさい、河馬。

貪虚:ねえ、ハッくん――

白狼琥:うるせえ馬鹿。

貪虚:二人ともひどいや。

蘇妲己:――くす、くすくすくす。

(山林の影から嘲笑が漏れ、麝香の匂いに濡れた銀髪が、山のそよ風に流れる)

白狼琥:その匂い――蘇妲己か?

蘇妲己:おかえりなさぁい、白狼琥様。
     お出迎えに来ちゃった。

翠艶:(みやこ)で買い物でも頼んでいたのですか。

蘇妲己:違いまぁす。
     白狼琥様にお会いしたかったから――

翠艶:ちらちら盗み見しているのは、最後尾の彼のようですが。

蘇妲己:あは、バレた?

     へえ、ふぅん。ギリギリありってところねぇ。
     この際、男の子だったら誰でもいいわぁ。

白狼琥:蘇妲己、若様に何たる無礼を――!

戴黄麒:……蘇妲己?

蘇妲己:何の酔狂か、親が名付けたのよ。
     妲己のように、絶世の美女になるようにって。

     道人(どうじん)の親にしては珍しいでしょう?

戴黄麒:道人(どうじん)――?
     しかしお前の顔の墨紋(ぼくもん)、それに尻尾と耳は――

蘇妲己:私ねぇ、畜生道に落とされちゃったの。
     三年前の、『麒麟の世直し』に巻き込まれてね――

肆兇の声:嗷々々(アォォ)――……

戴黄麒:……この声は。

肆兇:打死你(ダースゥニィ)――!!

(草藪が揺れ、舞い散る緑の葉に赤錆びたざんばら髪を振り乱し、猩人の女が飛び出してくる)

戴黄麒:――殺れ、白狼琥。

白狼琥:若――

戴黄麒:殺せ――!

(背中から生えた臍帯で繋がれた妖獣の貌の群れが襲い掛かる中を、逆向かいして骨槍が疾り、女の短躯を貫く)

肆兇:麒麟(チーリン)……殺してやる……

戴黄麒:ふん。

(戴黄麒に赤く錆びた眼差しを向け、肆兇は粘液状に崩れ落ちていく)

蘇妲己:影夜叉(イン・ヤカー)――
     菩薩様の分身で、末法獣(まっぽうじゅう)護法夜叉(ごほうやしゃ)
     どうして突然――

     今、あんたを狙ったわねぇ?

戴黄麒:さあな。

蘇妲己:翠艶様、この人何者なの?

翠艶:お前が知ることではありません。

蘇妲己:白狼琥様ぁ。

白狼琥:余計なことを嗅ぎ回るなよ。

蘇妲己:貪虚ちゃん。

貪虚:僕だけちゃんづけなの?
    教えてあげないよ。

蘇妲己:ケチ。

     ま、いいわぁ。
     ずっと退屈してたの。
     面白くなりそぉう。

戴黄麒:あれも皇国打倒を掲げる任侠集団(にんきょうしゅうだん)『末法獣』の一員か。
      気になることを言っていたな。

翠艶:三年前の『麒麟の世直し』――
    黄麒様、白狼琥。あなたたちの革命の落とし子です。

戴黄麒:…………


□2/涿鹿の里


白狼琥:若、到着しました。
     ここが涿鹿(たくろく)の里――『末法獣』の者が棲む隠れ里です。

(顔から硬や手足など、全身至る所に妖獣の貌の腫瘍を持った人間たちが、一斉に視線を向ける)

戴黄麒:獣面瘡(じゅうめんそう)……!
     この里の住民は……!

翠艶:你好(ニーハオ)。菩薩様は居ますか。

戴黄麒:半降魔(ハーフ・ゲネシス)――
     免疫系の恒常性(ホメオタシス)隕石灰(メテオアッシュ)の変異に打ち勝ち、
     降魔化が途中で停止した存在……

     多くは降魔化の創痕(そうこん)、不活性化した降魔腫瘍(ゲネシス・プラズム)を残す……

貪虚:王様、統合体語が好きなの?

戴黄麒:違うな、皇国語が嫌いなんだ。

蘇妲己:凄ぉい。私全然喋れなぁい。
      I can't speak Machine code(アイ キャント スピーク マシンコード).

戴黄麒:こいつ……俺を舐めているのか。

     ――うわっ!

蘇妲己:無味無臭ねぇ。
     ピリッとして冷たい仙人(せんじん)の味も、獣臭い猩人(しょうじん)の味もしないわぁ。

戴黄麒:……ハク、こいつを狐汁にしろ。

白狼琥:かしこまりました。

翠艶:蘇妲己、乳繰りたいなら他所でやりなさい。
    里の者を刺激します。

蘇妲己:えー、男の子と遊びたぁい。

貪虚:僕と遊ぼうよ。

蘇妲己:貪虚ちゃんはパス。

貪虚:なんでさ。

蘇妲己:私、眼鏡きらぁい。

貪虚:僕、今日やけ食いしちゃうよ……

白狼琥:お前は元気でも落ち込んでも食うんだな。

翠艶:その煩悩では、来世は畜生道から餓鬼道落ちでしょうね。
    お前も施餓鬼(せがき)で、功徳を積んでおいてはいかがです?

蘇妲己:輪廻なんて信じませぇん。
     それにあんな〝穢れた民(パンチャマ)〟みたいな化け物と盛れるの、菩薩様ぐらいよ。

白狼琥:蘇妲己――!

蘇妲己:何よ。本人だって言ってるでしょ。
     自分も〝穢れた民(パンチャマ)〟だって。

戴黄麒:で、俺は何処へ連れて行かれるんだ。

翠艶:菩薩様の元です。

戴黄麒:菩薩様?

貪虚:この涿鹿(たくろく)の里で最も尊く、最も卑しい生き仏。
    末法獣の御供比丘尼(ごくうびくに)だよ。


□3/涿鹿の里、古寺の本堂


戴黄麒:荒廃しきった寺だな。
     仏像は疎か、仏具もろくに見受けられない。

蘇妲己:そりゃそうよ。
     あの人、僧侶でも何でもないし。

戴黄麒:菩薩様か。何者なんだ、そいつは?

蘇妲己:さあ? 本人に聞いてみたら?

菩薩様:よく戻りました。

翠艶:菩薩様、お加減は如何です?

菩薩様:我再集合(ウォー・ザイジージェ)――
     数え切れない獣の(はく)が渦巻いています。
     獣帝(じゅうてい)(はく)が、もうじき形を作る……

戴黄麒:菩薩様とやらはお前か?

菩薩様:あなたは、誰?

戴黄麒:人前で尼頭巾(あまずきん)を被り、顔を伏せたまま喋るとは無礼な奴だ。
     素顔を見せろ。

翠艶:無礼な奴? 初対面でこれほど尊大な態度を取りながら?

蘇妲己:あれってツッコミ待ちなんでしょお?

貪虚:それが誰も突っ込まないんだよ。

白狼琥:若はあれが普通なのだ。

翠艶:教育を間違えましたね。

菩薩様:私は〝穢れた民(パンチャマ)〟。
     顔を見せれば、あなたの眼を穢します。

戴黄麒:〝穢れた民(パンチャマ)〟――
     身分制度(カースト)の外に置かれた、アウトカースト。
     人間外の存在として扱われ、その権利は奴隷や家畜以下――

     俺は身分制度(カースト)を信じない。
     皇国人なら、孔子に習って、さっさと礼を尽くせ。

菩薩様:では――

(菩薩様が頭巾を降ろし顔を晒すと、剃髪した頭から顔の左半分まで覆う獣面瘡が、血走った目を戴黄麒に向けて生臭い息を吐く)

戴黄麒:獣面瘡……!
     頭から顔の半分以上まで、侵されている……!

菩薩様:尼頭巾(あまずきん)を被ってもよろしいでしょうか?

戴黄麒:……ああ。

菩薩様:驚きましたか。

     私は前世で大罪を犯しました。
     この獣面瘡(じゅうめんそう)は、私の因業(カルマ)――

戴黄麒:くだらない。前世も因業(カルマ)も妄想だ。
     お前は降魔化に失敗した、ただのなり損ない、半降魔(ハーフ・ゲネシス)
     獣面瘡(じゅうめんそう)降魔腫瘍(ゲネシス・プラズム)という、れっきとした病気の一つだ。

菩薩様:獣面瘡が病気――?
     里の者たちを治せる医者がいるのですか?

戴黄麒:当然だ。
     人類統合体に行けば、最新のクローン技術で、変異した部位を再移植できる。
     或いは精巧な人工皮膚や義手義足。
     いっそ汎用機兵(メタルオーガン)に再降魔化という手もあるぞ。

     一人、十万(げん)ほど金を積めばな。

菩薩様:だとしたら……
     あなたの示した道は、里の者たちにとっては輪廻の外側。

     私はこの畜生道の最底辺で、煩悩に塗れて、賽の河原の石を拾う。
     それしか因業(カルマ)から解き放たれる道はないから――

戴黄麒:無駄話が長くなった。
     菩薩とやら、お前の目的は何だ?
     何故獣帝(じゅうてい)蚩尤(シュウ)の復活を目論んだ?

菩薩様:獣帝(じゅうてい)如来(にょらい)来迎(らいごう)で、〝穢れた民(パンチャマ)〟は、総ての猩人(しょうじん)は救済される。
     私はその為の生贄、御供比丘尼(ごくうびくに)として生まれ落ちた。

戴黄麒:生贄となるために生まれた――
     お前は山羊(ヤギ)か? それとも十字架の救世主か?
     原始宗教の論理は、聞いていて頭が痛くなる。

     救済によって総ての猩人を救うなら、生贄となって死ぬお前も救われなければいけない。
     何故お前は苦しんで生きた末、獣帝(じゅうてい)の生贄となって死ぬ。

菩薩様:私には償わなければいけない罪がある。
     一匹の竜の夢を壊し、一匹の獣の心を殺した――
     それが私の因業(カルマ)――

戴黄麒:竜を殺した……
     お前の前世は愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)か?

菩薩様:わからない……
     でも墨紋(ぼくもん)に刻まれた記憶が覚えている……
     龍になりきれない、(ラージャ)の匂いをした、寂しい眼。

戴黄麒:お前のその朱い眼……
     まさか……

     ……俺のことを覚えているか?

菩薩様:……わからない。

戴黄麒:…………

菩薩様:あなたは私の前世を知っているのですか?

戴黄麒:……ああ。

菩薩様:どんな者でした?

戴黄麒:さあな。もう忘れてしまった。

     そんなことより肆兇(しきょう)とかいう、あの渾沌――お前の分身だと聞いた。
     お前が俺と無関係なら、肆兇に俺を襲わせるのは何故だ。

菩薩様:影夜叉(イン・ヤカー)は私の、私以外の数多くの、生まれては消えていった魂の泡。
     あなたの姿が、魂の欠片を呼び覚まし、影となって浮かび上がらせている。

     影夜叉(イン・ヤカー)は、私ではなく、あなたの影。

戴黄麒:自分には責任が無いと言いたそうだな?

菩薩様:何度殺しても、影夜叉(イン・ヤカー)はあなたの前に現れる。
      あなたはあなた自身の因業(カルマ)と向かい合わなければならない。
      決して避けられない、あなたの宿業(しゅくごう)

戴黄麒:帰るぞ。もうこいつに用はない。

翠艶:では菩薩様、これでお暇いたします。

菩薩様:我再集合(ウォー・ザイジージェ)……
        
     壊した理想を、紡ぎ直す……
     それが私の贖罪……


□4/涿鹿の里、民家の一室


戴黄麒:さて、ここいらで少し整理しよう。

     反皇国の任侠集団『末法獣』。
     その頭目肆兇(しきょう)と菩薩様の関係。
     翠艶(すいえん)貪虚(どんくう)、お前たちの素性。
     獣帝(じゅうてい)蚩尤の復活だ。

翠艶:そうですね。では私と貪虚の素性から。

貪虚:僕たちは獣帝蚩尤の四柱(しはしら)闘将型(クシャトリヤ)
    檮杌(とうこつ)饕餮(とうてつ)窮奇(きゅうき)渾沌(こんとん)の最も古い生き残りだ。

翠艶:そして今は始皇帝より続く仙人(せんじん)王朝の転覆と、龍仙皇国(りゅうせんこうこく)の開放を理想に戦う、
    皇国各地の任侠集団を取り纏める『百獣幇(ひゃくじゅうほう)』、その盟主です。

戴黄麒:お前たちは覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)と戦った生き残りだと?

翠艶:はい。

戴黄麒:歴史書には、巌災公主は獣帝(じゅうてい)蚩尤(シュウ)と共に戦い、死んだと記されているが?

翠艶:それは誤りですね。

貪虚:僕たちがその証拠さ。

戴黄麒:どうやって生き延びた?

翠艶:誰もが私を死んだと思った。だからこそ生き延びたのです。

戴黄麒:まあいい。

     で、渾沌とは如何なる降魔(ゲネシスタ)だ?
     獣帝(じゅうてい)蚩尤(シュウ)の四天王に列されているが、お前たち檮杌や饕餮、窮奇とは、随分異質な存在に思える。

翠艶:渾沌は六道輪廻を彷徨う、道定まらぬ形無き太極の肉でありながら、畜生道に落ちゆくことを宿命(さだめ)られたもの。
    その内に幾万幾億の獣の(はく)を渦巻かせ、畜生道で無間(むげん)の輪廻転生を繰り返す、千貌の獣。

戴黄麒:宗教で説明するな。現代科学で説明しろ。

貪虚:渾沌は、体組織の形成に発現しない無数の遺伝子をジャンクDNAとして抱えている。
    そしてその肉体は、強い外的刺激を受けると未分化細胞の性質を取り戻す。

    細胞が死滅しない限り、何度でも異なる遺伝子で、異なる生命体として蘇生する。
    渾沌の本質は、万能細胞と遺伝子プールだ。

戴黄麒:……こいつ、ただの馬鹿ではないのか?

白狼琥:はい、若。伊達に眼鏡は掛けておりません。

貪虚:ハッくん……眼鏡をどういう道具だと思ってるんだい。

翠艶:原初の渾沌は、蚩尤(シュウ)様の首から産まれました。
    覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)に討ち取られる直前、蚩尤(シュウ)様は、こう言い残しました。
   〝我再集合(ウォー・ザイジージェ),复活(フーフォ)

    渾沌は我らと同じ闘将型(クシャトリヤ)というより、蚩尤(シュウ)様の分身と言った方が正確です。

戴黄麒:〝我再集合(ウォー・ザイジージェ)〟……再集合(さいしゅうごう)か。
     渾沌たちに散りばめられた蚩尤(シュウ)の遺伝子が一箇所に集まり、復活する……

     菩薩様とやらは、己の内に蚩尤(シュウ)の遺伝子を集める生贄……
     それで御供比丘尼(ごくうびくに)というわけだな。

翠艶:流石に理解は早いですね。

戴黄麒:わかった。肆兇と菩薩様は?

翠艶:三年前に火釜国(ひがまこく)で勃発した『麒麟の世直し』――
    あなたたちの興した革命から、しばらく経ってからです。
    幽鬼のように彷徨う猩人(しょうじん)の女が出没するようになったのは。
    全身を獣面瘡(じゅうめんそう)に侵され、体から無数の妖獣の貌を生やした、畜生道の狂える魔物。

貪虚:そいつの姿を見かけた村は、神隠しに遭う。
    無人となった村には、得体の知れない妖獣が彷徨(うろつ)き回り、獣の巣と化していた。

    神出鬼没で、致命傷を負わせても現れる。
    不吉な赤錆びた獣の亡霊――

翠艶:醜悪な姿、神隠し、妖獣の巣、不滅応現(ふめつおうげん)
    四つの凶事から、肆兇(しきょう)と呼ばれるようになりました。

戴黄麒:この涿鹿の里の者たちは――

翠艶:肆兇に襲われた者の全てが妖獣に成り果てたわけではありません。
    体を獣面瘡(じゅうめんそう)に侵されながら、人間(ヒト)の魂を失わなかった者たち。

戴黄麒:半降魔(ハーフ・ゲネシス)。この涿鹿(たくろく)の里の者たちか。

貪虚:けれど人民は彼らを恐れた。畜生道の最下層に落ちた、人外の化け物であると。

戴黄麒:獣面瘡(じゅうめんそう)はただの腫瘍だ。
     体液を浴びなければまず感染はしないし、適切な治療を受ければ治る。

翠艶:ですが理では動かないのが人情。

貪虚:彼らは〝穢れた民(パンチャマ)〟と呼ばれ、虐殺され、見世物にされ、迫害された。

白狼琥:そんな時、何処からか一人の少女が現れたのです。
     彼女は甲斐甲斐しく〝穢れた民(パンチャマ)〟たちの世話を焼き、感染した。

     可憐な少女は、無数の獣面瘡(じゅうめんそう)に侵され、醜く、おぞましい姿に変わっていった。
    〝穢れた民(パンチャマ)〟は共に苦界(くかい)を歩み、苦しみを分かち合う存在として、何時しか彼女を菩薩様と崇めるようになった。

     これが任侠集団『末法獣』の前身です。

戴黄麒:菩薩様とは何者なんだ?

貪虚:わからない。

戴黄麒:渾沌であることは間違いあるまい?

翠艶:ええ。しかしそれが後天的に転生(てんしょう)したのか、生まれつき渾沌だったのか。
    彼女の語る記憶も、彼女自身のものなのか、渾沌に転生した時に混ざった記憶なのか。

貪虚:顔の半分以上が獣面瘡(じゅうめんそう)に侵されてて、原形もわからなくなってるぐらいだからね。

翠艶:確実なのは、彼女は蚩尤(シュウ)様の復活の贄であり、彼女自身もそれを使命と悟っていることです。

    彼女は獣帝(じゅうてい)蚩尤(シュウ)の復活を説き、皆はそれに呼応した。
    以来、集団は末法濁世(カリ・ユガ)信仰の性質を帯び、急速に反皇国の任侠集団へと傾いていった。

戴黄麒:それが『末法獣』か。

     ……何故俺を仲間に引き入れた?

翠艶:仲間に加わりたいと申し出たのはあなたでしょう?

戴黄麒:どちらでもいい。

翠艶:よくありません。

戴黄麒:では質問を変える。
     何故部外者である俺を招き入れる危険を侵した。

翠艶:自尊心の塊ような気質ですね。

戴黄麒:お前こそ意固地な奴だ。

翠艶:硬さは、窮奇にとっては称賛です。

戴黄麒:もういい。俺が言い当ててやろう。
     渾沌が蚩尤(シュウ)(はく)を集めても、本当に復活するか不安が残る。
     その時、闘将型(クシャトリヤ)のお前では、手の打ちようがない。

     故にトリガーを引ける総督型(ラージギル)の俺を押さえておきたかった――
     そうだろう?

翠艶:紛い物の総督型(ラージギル)ですがね。

戴黄麒:そう怒るな。利害関係をはっきりさせておきたかっただけだ。

翠艶:上下関係ではないですか。

戴黄麒:お前と俺は対等だ。

翠艶:あなたからは、砂粒ほどの礼も感じたことはありません。

戴黄麒:悪いな、麒麟は礼の徳には縁がないようだ。
     改めてよろしく頼む。

(戴黄麒の差し出した手を、翠艶は一瞥しただけで黙殺し、肩をすくめる戴黄麒)

戴黄麒:俺は散歩に行ってくる。

     また明日。

(戴黄麒が扉を開けて部屋を去っていった後、猩人三人の間に重い空気が流れる)

翠艶:あれが覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)の子、麒麟ですか。

貪虚:あの尊大さにはお腹いっぱいだよ。
    ハッくんへの態度なんて、下僕扱いだ。
    僕や翠艶まで、顎で使おうとする。

翠艶:多少は期待していたのですよ。
    龍と獣が共存する、王覇(おうは)の道を開く者、麒麟王。

    無論、革命の建前を盲信したわけではありません。
    しかしそれでも、一度は人民を熱狂させる大義を焚きつけた。
    私の内にも、魂を揺るがす衝撃を打ち込むであろうと待ち構えていた。

白狼琥:……若様も昔はああではなかった。

貪虚:僕、もう嫌になっちゃった。

翠艶:踏み殺しますか。

白狼琥:おい止めろ。

貪虚:どうしてさ。

翠艶:九尾の忘形見だからですか。

白狼琥:…………

貪虚:あんな煮ても焼いても食えない性悪。
    どうして義理立てしてるのか、僕には全然わからないよ。

翠艶:変わりましたね、お前も。
    私と出会った頃は、手のつけられない狂犬だったというのに。

貪虚:覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)から逃げ出した後、僕はどうしてハッくんとはぐれちゃったんだろう。

翠艶:私の記憶は、覇皇天照(ブラフマーストラ)に撃たれ、そこで閉ざされた。

白狼琥:やがて木が生え、草が茂り、獣や蜥蜴の這い回る泰山となった。
     誰もがあんたは死んだと思い込んだ。

翠艶:しかし私の死は、仮の死であり、数千の時を経て目覚めたと。

白狼琥:そうだ。まだ誰も巌災公主が蘇ったとは気づいていない。

翠艶:()は通っています。
    史書とも矛盾はありません。

    しかし私は()を信じません。

白狼琥:堅物のあんたが言う台詞か?

翠艶:〝真実を隠すには、道理を詰めよ〟――
    昔、神龍(シェンロン)に言われた言葉です。

    私は比較的()の強い性質ですが、窮奇です。
    獣の嗅覚も忘れていません。

    そしてこの記憶の空白は――酷く臭います。

白狼琥:…………


□5/涿鹿の里、夜の川縁


戴黄麒:…………

蘇妲己:晩上好(ワンシャンハオ)、おうきちゃん。
     こんな川べりに一人でいると、また襲われるわよぉ。
     影夜叉(イン・ヤカー)に。

戴黄麒:その時はお前を盾にして逃げるだけだ。

蘇妲己:あは、昔の愛人(アイレン)みたい。
     嫌いじゃないわぁ。

戴黄麒:何の用だ?

蘇妲己:お話しましょ。

戴黄麒:再見(サイチェン)

蘇妲己:ちょっと、どこ行くのぉ。

戴黄麒:うるさい野良狐がいない静かな場所へ。

蘇妲己:ねえ、おうきちゃんって麒麟王?

戴黄麒:ああそうだ。

蘇妲己:やっぱりぃ。

戴黄麒:龍獣(りゅうじゅう)の王が勅命(みことのり)を下す。
     さっさと失せろ。

蘇妲己:何それ?

戴黄麒:冗談だ。これでわかったろう。
     俺は麒麟王じゃない。赤の他人だ。

蘇妲己:赤の他人は違うわねぇ。
     かなり近いところにいた、そうでしょう?

戴黄麒:だったらどうした。

蘇妲己:お礼を言いたかったの。

戴黄麒:礼?

蘇妲己:私の昔の写真。

戴黄麒:……典型的なモンゴロイド顔だな。

蘇妲己:はっきり言っちゃっていいわよ、ブスだって。
     こんな顔で、こんな名前でしょ。
     よく笑われたわあ。私も笑えた。

     でもね、本当はずっと綺麗になりたかったの。
     伝説の妲己と同じ、たとえ畜生道に落ちても、綺麗になりたいって。

     そんな時だったわ、麒麟の世直しが起こったのは。

戴黄麒:お前は三年前、旧王都『(えん)』にいたのか?

蘇妲己:ぜーんぜん。もっと田舎よ。
     私が猩人(しょうじん)になったのは、それから半年以上後。
     慰問に行った施設で〝穢れた民(パンチャマ)〟にやられちゃった。
     悪女妲己と同じ淫売だろうって。

     笑えるでしょお?
     あんな不細工だったのに。
     カースト問題を考える、学校の社会科見学で。
     たった一回で、地煞星(ちさつせい)隕石灰(プラーナ)に感染して降魔化しちゃった。

戴黄麒:それでお前は猩人(しょうじん)に……

蘇妲己:辛かったのは最初だけよ。
     塞ぎ込んでる間に、厚ぼったい眼がパッチリして、団子っ鼻は小さくシュッとなったし、ダサい黒髪も銀色に輝きだした。

     街を歩けば、嘘みたいに男の子が声をかけてきた。
     嬉しかったわぁ。妲己の(はく)が乗り移ったって。

戴黄麒:…………

蘇妲己:でもね、親との関係は最悪。
     娘は傷物になった上、毎晩毎晩男遊び。
     狐の生霊に取り憑かれて狂ったって、易者を呼んでお祓い騒ぎよ。

     妲己みたいになれるよう名づけておいて、本当に妲己みたいになったら怒り出すって意味不明じゃない?
     家にいれば親と喧嘩になるし、男の子も最初は優しいけど、すぐ殴ったり、束縛しようとする。
     みんなチヤホヤしてくれるけど、誰も大事にしてくれないのよねぇ。

     男の子と遊ぶのも飽きちゃったし、猩人(しょうじん)の身分じゃ、どんなに美人でも高級娼婦がいいところ。
     生きてても何もすることないし、世界でも破滅させてみたいなーって、それで末法獣に入ったの。

戴黄麒:何故わざわざ俺に身の上話を聞かせた?

蘇妲己:だから言ったでしょ。お礼を言いたかったって。

戴黄麒:それはどうも。で、お前は何を脱ぎだしている?

蘇妲己:感謝の気持ち。

戴黄麒:謹んでお断りする。

蘇妲己:据え膳食わぬは男の恥って知らない?

戴黄麒:妙な病気を貰っては適わん。

蘇妲己:あは、バレた?

(衣擦れの音と共に滑り落ちた衣の下、乳房から腹部に掛けて妖獣の貌が蠢き、戴黄麒に血走った目を向ける)

戴黄麒:獣面瘡(じゅうめんそう)……お前も狂獣病(きょうじゅうびょう)に……!

蘇妲己:私も渾沌なの。なり損ないの〝穢れた民(パンチャマ)〟だけどね。
     いざとなったら菩薩様の代わりに御供比丘尼(ごくうびくに)になる、代用品。

戴黄麒:菩薩様は、お前はこの里で何をしている……?

蘇妲己:教えてあげるわ。明後日の夜、()(こく)古寺(ふるでら)で何が行われているかを。


□6/涿鹿の里、民家の一室


戴黄麒:暇だな。蚩尤(シュウ)の復活まですることが無い。

白狼琥:将棋でも指しますか?

戴黄麒:お前は弱すぎて張り合いが無い。

白狼琥:…………

戴黄麒:涿鹿(たくろく)の里に来てから口数が少ないな。

白狼琥:お咎めにならないのですか。

戴黄麒:凜嶺娥(りんれいが)の闇討ちか。それとも末法獣との密通か。
     まだ他にもあるのか。まあ、あるのだろうな。

白狼琥:…………

戴黄麒:お前を咎めれば、反省して凜嶺娥と和睦を結ぶのか?

白狼琥:若、蚩尤(シュウ)のお頭が復活すれば、我ら獣帝(じゅうてい)四天王がいれば、神龍(シェンロン)に媚を売る必要はありません。

戴黄麒:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)とは縁を切れと?

白狼琥:……はい。

戴黄麒:断る。

白狼琥:何故です。

戴黄麒:わかっただろう。こうして無駄な問答をする羽目になる。

白狼琥:若は三年前のことを覚えておいでですか?

戴黄麒:『麒麟の世直し』か。

白狼琥:龍と獣の王『麒麟王』の説いた王覇(おうは)の道は、身分制度(カースト)に抑圧された皇国に輝いた綺羅星(きらぼし)だった。

戴黄麒:ただのお題目だ。

白狼琥:喩えお題目でも、大義がなければ他人(ひと)は動かせない。
     若は皇国中の人民に、一つの新たな道を示したのです。

戴黄麒:破滅の道だったがな。

白狼琥:若、何故自らの偉業を自嘲するのです。

戴黄麒:人民による人民のための統治。
     そんなものは幻想だ。

     人民は弱く、惑い、すぐ目新しい王になびく。
     あの麒麟の世直しの時でさえ、麒麟王というカリスマを必要としていた。
     龍に一撃を加えられればたちまち瓦解し、素知らぬ顔を決め込むか、かつての仲間を売る。

     時の為政者に、革命の扇動者に乗せられ、形勢が悪くなれば王を見限って逃げ出す。
     何の主体性もない人民が、自らが王となることは決してない。

白狼琥:……何時からか、若は人間(ヒト)を語られなくなりました。
     若の口から出るのは、人民や降魔(ゲネシスタ)といった概念ばかりです。

戴黄麒:一人ひとりの人生に目を凝らしていては、統治など出来ん。
     概念化と抽象化は(ラージャ)として当然の資質だ。

白狼琥:しかし若様はただの一人――
     身寄りのない、猩人(しょうじん)の少女を愛していたはずだ。

戴黄麒:朱紅楼か。

白狼琥:今でも、紅楼のことを想っておられますか?

戴黄麒:馬鹿げた問いをするな。
     たかが愛玩用の雌奴隷一匹だぞ。

     これまでも、これから先にも、幾らでもいる。

白狼琥:黄麒様……

戴黄麒:俺が気に食わんなら反逆しても構わんぞ。
     もっともお前の目的と俺の目的は、途中までは一緒だ。
     ()で考えれば、協調が正解だとわかるはずだがな。

白狼琥:変わってしまわれましたね、黄麒様……

戴黄麒:変わらなければ、力を手にしなければ神龍(シェンロン)には勝てない。
     今のままでは何も成せず、歴史の中に消えゆくだけだ。

白狼琥:……あなたは龍ですよ。

     あなたの中の獣は、死んだのだ……
     三年前、あなたの愛した紅楼と一緒に……


□7/深夜、古寺の境内


戴黄麒:……遅い。

蘇妲己:はぁーい、おうきちゃん。

戴黄麒:はぁーい、じゃない。15分も過ぎているぞ。

蘇妲己:だってどの服がいいか迷っちゃってぇ。

戴黄麒:知るか。それよりこの古寺……

蘇妲己:今夜は施餓鬼(せがき)の日よぉ。

戴黄麒:何が行われている?

蘇妲己:見ればわかるわぁ。

(二つの影は足を忍ばせ、境内を進み、息を殺しながら本堂を覗き込む)

菩薩様の声:ぁ、ぁぁ……

戴黄麒:この生臭い空気、湿った音、息遣い……

蘇妲己:そ、真っ最中ってわけ。

菩薩様の声:ぁ、ぁぁ……

戴黄麒:獣面瘡に侵された背中……男は涿鹿の里の者。
     組み伏せられているのは……菩薩様か。

蘇妲己:畜生道の最下層の〝穢れた民(パンチャマ)〟でしょう?
     娼婦だって裸で逃げ出す異形異相(いぎょういそう)
     それでも煩悩は溜まるから、ああやって吐き出させてあげるわけ。

戴黄麒:菩薩様の名前の由来はそういうことか。
      だがすべてが功徳というわけではあるまい。

蘇妲己:へえ?

戴黄麒:散らばったギオガイザー系譜の遺伝子を身の内に取り込み、再誕させる。
     獣帝(じゅうてい)蚩尤(シュウ)の再集合とは、あの施餓鬼供養のことだ。

菩薩様の声:っ、ぅぅぅ……

蘇妲己:なあに、おうきちゃん。憤り?

戴黄麒:まさか。菩薩様とやらが勝手に自己犠牲を払ってくれているんだ。
     俺は有り難く、その恩恵に与るだけだ。

蘇妲己:おうきちゃん、泣いて馬謖(ばしょく)を切ったことある?

戴黄麒:三国志の故事か。
     孔明が綱紀(こうき)を保つため、命令に背いた信頼する部下を処刑したという。

蘇妲己:せいかーい。

     でも昔はもう一つ意味があったの。
     これこそ(ラージャ)の資質。

菩薩様の声:はぁ、ぁぁぁ……

戴黄麒:……!!

蘇妲己:どうしたの、おうきちゃん。

戴黄麒:似ている……

     あの体格、仕草、獣面瘡に侵されていない横顔……
     朱い眼……

     やはりあれは――!

蘇妲己:顔色悪いわよぉ。大丈夫?

戴黄麒:俺の関与しないところで、巨大な思惑が動いていることはわかっていた……
     檮杌(とうこつ)饕餮(とうてつ)窮奇(きゅうき)渾沌(こんとん)……
     獣帝(じゅうてい)蚩尤(シュウ)の四柱の闘将型(ベルセルク)たち――

     俺の不利益になることはないだろうと、一抹の不安を黙殺して(くみ)したが、とんだ誤算だった。

蘇妲己:おうきちゃん?

戴黄麒:…………

蘇妲己:本堂に突入――?

     ああん、風雲急転!
     面白くなりそぉう!

(無表情の下に煮え立つ感情を渦巻かせた戴黄麒は、菩薩様を組み伏せた猩人に、殺気にも似た王の権能を浴びせかける)

戴黄麒:失せろ、獣の半降魔(はんこうま)

(戴黄麒の気迫に撃たれ、海老のように仰け反った男は、脱ぎ捨てた服も纏わず、四つん這いで本堂の外へ逃げていく)

菩薩様:……あなたは。

戴黄麒:お前は此処で何をしていた。

菩薩様:これは私の罰……
     行き場の無い愛を吐き捨てる痰壺となって、餓鬼に貪り食われる……
     私の宿業(カルマ)(みそ)ぎは、桃源郷の霊水ではなく、煩悩に穢れた餓鬼の汚濁……

戴黄麒:猿芝居はもう沢山だ。

     妖獣渾沌。
     いや、朱紅楼――!

菩薩様:朱紅楼……?

     どこかで聞いたことがある……
     哀しく、懐かしい……響き……

戴黄麒:静まれ、狂える獣の(はく)よ。
     唐紅の朱い髪、紅の眼差し、在りし日の姿を取り戻せ。

菩薩様:あ、ああ……

(菩薩様の顔を覆う獣面瘡が引っ込み、剃髪した頭から唐紅の髪が伸びると、そこには朱紅楼の生き写しがいた)

戴黄麒:お前は朱紅楼――

     三年前に俺が名づけ、育て、殺した愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)――!
     思い出せ、俺との総てを――!

菩薩様:あ、ああ……あああ……!!!

戴黄麒:愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)の末路が〝穢れた民(パンチャマ)〟の公衆便所とはな。
     因果応報だな、紅楼。

朱紅楼:麒麟(チーリン)我的愛人(ウォーダアイレン)――
     どうして紅楼、殺したの……

戴黄麒:お前は俺の宿敵に情報を流し、俺を窮地に追い込んだ。
     『麒麟の世直し』は――王覇(おうは)の道はお前が壊した。

朱紅楼:紅楼、おうきが好き……
      おうきが離れていきそうで、怖かったの……

戴黄麒:黙れ――! お前は疫病神だ――!
     主を破滅に追い込む、九尾の狐が仕掛けた愛の毒――!

     その涙も、罪悪感につけ込むための、汚れた涙だろう――!

(本堂の木板を破り、天井床壁、四方から飛び出して襲い掛かってくる異形の影たち)

肆兇:嗷々々(アオォ)――――!!

戴黄麒:本性を現したな。

     狂える獣どもよ、喰らい合い、渾沌へ還れ。

肆兇:(アィ)――……

肆兇:哎哟(アイヨー)……

(戴黄麒へと躍り掛かる異形の影は、互いの妖獣の貌に喉を喰い破られ、無残に墜落してゆく)

朱紅楼:そう、紅楼は愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)……
     愛されていないと不安で不安で、愛されることの法悦から逃れられず、
     愛されるために、ご主人様を奈落の底に突き落として、共に身を投げる……

戴黄麒:無理なんだ、紅楼……
     お前のことは愛せない……
     お前を愛すれば、俺が破滅する……

朱紅楼:変えられなかったのかな……

戴黄麒:…………

朱紅楼:おうきと、紅楼の運命……

戴黄麒:龍獣の王が勅命(みことのり)を下す。
     獣の亡霊よ、死ね。

朱紅楼:大好き、大嫌いよ麒麟(チーリン)――!!

(朱紅楼の全身から膨れ上がった獣面瘡が、血管と体液の糸を引いて剥離し、唾液を零しながら戴黄麒へ急襲する)

戴黄麒:馬鹿な――! 麒麟の命令を――!?

朱紅楼:一緒に死んで、おうき――!

白狼琥:若様――!

(白狼琥の怒声と共に、本堂の入り口を貫いて生え伸びた骨槍の樹枝が疾走)
(空中を疾駆して肉薄する妖獣の貌と、朱紅楼がまとめて串刺しにされ、反対の壁まで押し返されて磔となって息絶える)

朱紅楼:おうき……

戴黄麒:くそっ……!

(壁に融けるように、万能細胞の肉塊となって頽れる朱紅楼を、戴黄麒は凍てつく眼差しで睨めつける)

翠艶:目覚めさせてしまいましたか。

貪虚:大丈夫だ、渾沌は死んでないよ。

戴黄麒:菩薩様の素性について、お前たちは口を濁した。
     俺も気にせず、曖昧に流していた。

     しかし、あれほどの辱めを受けても堪え忍ぶには、強い信念が、怨念にも似た願望がないと不可能。
     影夜叉(イン・ヤカー)だけが本音を語っていた……俺への激しい憎悪を。

     この菩薩様は、ただの渾沌ではない。
     麒麟への愛憎に身を捧げる、朱紅楼の魂を持った渾沌だ――!

貪虚:どうする、翠艶?

翠艶:被害妄想ですね。
    (はく)転生(てんしょう)について幅広い知識はあっても、現実に結びつけられないようで。

貪虚:渾沌が三年前の生き残りなら、朱紅楼の(はく)も持っている。
    それは全く不自然なことじゃない。菩薩様は偶然生まれた空蝉(うつせみ)だ。

戴黄麒:クローンは前世の記憶を持たない。
     奴は俺との想い出をはっきりと喋った。

翠艶:あなたが言わせたのですよ。空蝉(うつせみ)に龍獣の王の権能をもって。

戴黄麒:何だと……

白狼琥:若、思い返してください。
     渾沌の、紅楼の降らせた朱い灰の雨で、我らは逃げ延びた。

     紅楼が、生きているはずはありません。

戴黄麒:渾沌の獣ども 影夜叉(イン・ヤカー)が俺を襲うのは……

貪虚:さあ? 麒麟の権能で捻じ曲げられても、消し去ることはできないのかもね。
    本能にすり込まれた憎悪までは――

翠艶:怖かったのですか、あなたが殺した獣の残影が。

戴黄麒:…………

貪虚:君の利用なんて、何も考えてないから安心していいよ。

翠艶:ええ。あなたの存在は計画に入っていませんでしたから。
    渾沌が恐ろしければ、里を出ても構いません。

    あなた抜きでも、蚩尤(シュウ)様の復活は成ります。

戴黄麒:……取り乱してすまなかった。

翠艶:お帰りの前に渾沌を。

戴黄麒:目覚めよ、渾沌。
     宿命に仕向けられた功徳に身を(なげう)つ――卑しく高潔な、生贄の菩薩となって甦れ。

菩薩様:う、うう……

戴黄麒:蘇妲己。

蘇妲己:は、はぁーい。

戴黄麒:帰るぞ。

蘇妲己:じゃ、みなさぁん。
     偶然通りがかった私もこれでぇ……


□8/深夜、涿鹿の里の道


戴黄麒:くっくっく……

蘇妲己:おうきちゃん、大丈夫?

戴黄麒:王というよりピエロじゃないか。笑えるだろう?

蘇妲己:笑いましょ。名推理が大外れだったって。

戴黄麒:……お前はどう思う。
     あの渾沌の中に朱紅楼の魂は残っているのか?
     それとも俺自身が作り出した幻影なのか?

蘇妲己:おうきちゃんが人に意見を求めるなんて珍しいわねぇ。

戴黄麒:いいから答えろ。

蘇妲己:魂は一度消えたら、もう戻らない。
      たとえ渾沌であってもね。

戴黄麒:……俺の独り芝居か。

      渾沌は俺の恐れ……逆説的に無意識の願望を感じ取り、朱紅楼の姿を象った。
      そして俺の考える通り、俺への嘆きと怨みを吐いて、襲い掛かってきた。

蘇妲己:えー、おうきちゃんが珍しく素直。

戴黄麒:だが、だとすればあの渾沌の真意がわからない。

     何故無数に渦巻く魄の中から、敢えて朱紅楼の魄が浮かび上がり、転生した?
     何が菩薩様を、己が身を捧げる使命感に駆り立てる?

     それともこれも、俺の執着が偶然に因果を見出そうとしているだけなのか?

蘇妲己:おうきちゃん、泣いて馬謖(ばしょく)を切ったのね。
     だから、おうきちゃんらしくない、迷推理になっちゃった。
     涙で目が曇ってるんですもの。

戴黄麒:…………

蘇妲己:でも、それじゃ真の王にはなれないわぁ。
      涙も流さず馬謖(ばしょく)を切って、笑って首を蹴飛ばすぐらいじゃないと。

戴黄麒:……まるで本物の妲己のようだな。

蘇妲己:そうよ。おうきちゃんは愛しの紂王(ちゅうおう)様。

戴黄麒:で、俺をたぶらして王の座を掠め取るのか。
      従うのはお前だ、雌狐。

蘇妲己:あは。その眼、好きよぉ。
     冷たく乾いた、龍の眼差し。

     昔の愛人(アイレン)みたい。

戴黄麒:……そうだ。
     俺は何に動揺し、何に哀しみ、何に怒っていた。

     朱紅楼など、幾らでも代わりのいる、ただの女じゃないか。
     白狼琥も俺の従者ではない。
     母上への忠義で、俺に従っているだけの借り物だ。

     俺は元々独りだ。
     それでいい。それでこそ王だ。
     
     また一つ……俺はあなたに近付いたぞ。
     父上、龍仙皇国始皇帝、覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)――




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