ゲネシスタ-隕星の創造者-

10話-渾沌之爪痕-

★配役:♂2♀2両1=計5人

戴黄麒(たいおうき)
15歳。
黒髪黒瞳の道人(どうじん)の少年。

日本国の栃木県『九尾荒原』にて保護された孤児。
動物や爬虫類と心を通わせる不思議な力を持ち、周囲からは気味悪がられていた。
13歳の頃、龍仙皇国に渡り、流浪の旅を続けている。

父親は龍仙皇国の『始皇帝』こと『覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)』。
天帝盤古龍(パングーロン)の創り出した九柱の要塞型(シタデル)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱であり、筆頭である。
母親は『妲己(だっき)』とも『玉藻前(たまものまえ)』とも呼ばれたギオガイザー系譜の要塞型(シタデル)九尾狐(きゅうびのきつね)』。

ダイノジュラグバとギオガイザーの二系譜を跨る偽王型(レプリカロード)
二系譜の総督型(プレジデント)に準ずる権能を有する。
軍兵型(カデット)を支配し、指令型(エリート)に対しても一定以上の影響力を持つ。
霄壌圏域(ヘヴンズ)の一部にも接続可能であるため、要塞型(シタデル)にとっても驚異となりうる。
ただし、本物の総督型(プレジデント)には一段劣り、上位種と真正面から衝突すれば劣勢は必至である。

出生時期は平安末期。
玉藻前の化けの皮を剥がされた『九尾狐』が殺生石に変ずる際、戴黄麒も巻き添えで石化させられた。
幼少期は、龍と獣の血が互いに相手を攻撃し合い、自己免疫性疾患に苦しんだ虚弱児だった。
千年の眠りを経て、『麒麟』として目覚めた戴黄麒は、龍と獣の皇『麒麟王』として龍仙皇国に民主革命を起こそうと起ち上がる。

封星座珠:【瑞兆角】

朱紅楼(しゅこうろう)
唐紅の髪をした猩人(しょうじん)の少女。
猩人(しょうじん)の印として、貌には墨紋が縁取っている。
闇商人魏難訓に『愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)』として売られていた浮浪児。

記憶障害を負っており、過去の経歴を喪失している。
言動や振る舞いは、外見に比べてかなり幼い。

愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)』は古代の文献に登場する猩妓(しょうぎ)である。
殴りつけると主人の気に召すままに姿を転じたとされ、皇族や官僚に珍重されたという。
現代の闇市場で『愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)』として売られているのは、見た目が可愛らしいだけの猩人(しょうじん)の少年少女が大多数である。

白狼琥(はくろうこ)
長い若白髪で左目を隠す猩人(しょうじん)の男。
白皙の貌には、猩人(しょうじん)の印である墨紋が刻まれている。
灰色狼の毛皮を羽織っており、毛皮の下には牙と爪の絡み合った異形の腕がある。

ギオガイザー系譜の闘将型(ベルセルク)檮杌(とうこつ)』。
要塞型(シタデル)蚩尤(シュウ)』の直系降魔で、退くことを知らずに戦う凶獣と恐れられた。
後に同系譜の要塞型(シタデル)『九尾狐』の元に送られ、彼女の側近として数百年に渡り仕える。

ギオガイザー系譜の降魔は、負傷すると細胞が万能細胞化する特性を持ち、生命力が著しく高い。
檮杌は万能細胞化による修復のみならず、以前より強靱な体組織を作り上げる性質を持つ。
その好戦的な気質から、命を落とす個体も多いが、歳月を経た檮杌は獰悪極まりない妖獣となる。

かつて覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)と戦い、左眼と左腕を失う。
瀕死の重傷を負った妖獣『檮杌』の体は、原型を逸脱した新生組織として再生させた。
左眼は万物の奇穴を視る『華佗(かだ)』、尾は自在に成長する牙と爪の絡み合った骨肉兵装『哪吒(なたく)』。
覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)の血を浴びたことにより発現した『龍血獣皮(りゅうけつじゅうひ)』により全身に赤黒い斑が滲み、血の蒸気を纏う。
この血の蒸気は、ダイノジュラグバ系譜の隕石灰(メテオアッシュ)を侵す隕石灰(メテオアッシュ)であり、近距離では龍を蝕む毒となり、遠距離では龍の吐息から身を守る防壁となる。
これらの三種は『檮杌』には本来あり得ない体組織であり、生物学上は寄生型(メタビオス)に分類される。

主君の仇である神龍(シェンロン)たちに、古き妖獣は異形の眼と爪を光らせる。

焔帝仔(えんていし)
赤い武火の髪と、焦げ色の肌をした仙人(せんじん)の女。
『焔帝』の娘であり、龍仙皇国の藩属『火釜国』を治める代理王。
宗主国の龍仙皇帝より、『焔帝』に代わり、国の統治を任されている。

ダイノジュラグバ系譜の総督型(プレジデント)狻猊王竜(スァンニー・ワンロン)』。
本来の姿は、獅子の如き鬣を逆立てた、熔岩の血を煮やす二足歩行の竜である。
総督型(プレジデント)である焔帝仔は、霄壌創世(ヘヴンズフォーミング)の権能を有し、『火釜国』の地に熔岩の龍脈を趨らせ、外敵を悉く焼き尽くす。

要塞型(シタデル)である『焔帝』こと業炎神龍(アグニ・シェンロン)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱。
覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)との闘いで深手を負い、龍仙皇国最大の休火山『祝融山』として『火釜国』に鎮座している。

封星座珠:【業炎鬣】

魏難訓(ぎなんくん)
年齢・性別不詳。
『極楽浄土の切符から、地獄の沙汰の買収工作まで承る』闇商人。
魏難訓は一人ではなく、謎の商人集団の通名である。
皆一様に、不気味な象骨面(ぞうこつめん)を被り、暗色の天竺織(てんじくおり)を纏っている。

象骨面は、邪眼象(ギリメカラ)の骨に龍魄(りゅうはく)の欠片を埋め込んだ寄生型(メタビオス)の一種。
象骨面を被せられた者は、要塞型(シタデル)の傀儡となり、数々の悪事を代行する。

天陰(てんいん)
射干玉の黒髪と蒼醒めた肌を持つ仙人。
闇商人魏難訓の元締めであり、同じく不気味な象骨面を被る。

ダイノジュラグバ系譜の要塞型(シタデル)天魔神龍(マーラ・シェンロン)
ダイノジュラグバこと天帝盤古龍(パングーロン)の創り出した九柱の要塞型(シタデル)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱。
龍の遺伝子を受け継ぐ仙人ではなく、龍の化身した神人(しんじん)である。

天陰は、天魔神龍(マーラ・シェンロン)鎮守造偶(デミウルゴン)であり、龍魄を埋め込んだ化身である。
龍仙皇国の大地は、要塞型(シタデル)殺しの大創成(グレータージェネシス)封龍八卦陣(ほうりゅうはっけじん)』が恒常的に発動している。
天魔神龍(マーラ・シェンロン)の本体は霄壌圏域(ヘヴンズ)『大欲界』に籠もり、配下の魏難訓を操り、皇国転覆の機会を窺っている。

※今回の魏難訓&天陰は♀も可です。
女性が演じる場合は、天陰の性別もそのまま女性になっています。

※以下は被り推奨です


闇商人A両
□6に登場。前後に戴黄麒、魏難訓が登場。
闇商人B両
□6に登場。前後に戴黄麒、魏難訓が登場。


※ルビを振ってある漢字はルビを、振ってない漢字はそのまま呼んでください。

ゲネシスタwiki 劇中の参考になれば幸いです。



□1/祝融山、山道の花崗岩付近


白狼琥:水蒸気爆発……!
     硫黄に混じり、火薬と血の臭いも……!

戴黄麒:紅楼の姿は――!?

白狼琥:……見えました!
     あの紅い……火達磨です――!

戴黄麒:焔帝仔の炎に焼かれたか――!

(雪の山肌を転げ降りてくる炎の塊に、戴黄麒と白狼琥は駆け寄っていく)

戴黄麒:今助けてやるぞ、紅楼――!
     創成(ジェネシス)――!

(戴黄麒の角が火達磨に触れると、地獄の業火が瞬時に鎮火される)

朱紅楼:おう、き……

戴黄麒:大丈夫か? 焔帝仔は――?

朱紅楼:…………!

(真冬の祝融山の雪化粧を吹き散らす烈気炎が、天高く噴き上がる)

狻猊王竜:雄々々(オオオ)――――!!!

戴黄麒:狻猊王竜(スァンニー・ワンロン)――! 化身を解いたか――!

狻猊王竜:出てこい、麒麟王――!
      余の吐く息は地獄の業火――!
      決して消えず、水の上も雪の上も走り、地の果てまで追い詰める――!!

朱紅楼:……突然、あいつ、襲ってきたの。

白狼琥:やはり麒麟王を闇討ちにしようという魂胆だったか。
     要塞型(ジヴァルナ)を売った外道など、信じるに値しなかった。

戴黄麒:どうやらそのようだな……

白狼琥:若、霄壌圏域(シャンバラ)の支配権は!?

戴黄麒:一瞬奪い合いになったが、すぐに手を引いた。
     祝融山は俺の支配下にある。

白狼琥:何故でしょう?
     外道なりに業炎神龍(アグニ・シェンロン)への引け目があるのでしょうか?

戴黄麒:かもしれん。
     だとしたら……使えるぞ。

狻猊王竜:祝融山は余の霄壌圏域(シャンバラ)だ。
       何処へ隠れようと、お前の居場所は筒抜けだ。
       じっくりと炙り出してやる。

(狻猊王竜の口腔に星図が宿り、地獄の業火が油を流したように燃え広がる)

戴黄麒:滑稽な空威張りだ。
     祝融山の今の(あるじ)が誰か、教えてやる。
     鎮守造偶(デミウルゴン)炎竜蛇招来(えんりゅうじゃしょうらい)――

(祝融山の地盤が割れ、雪を溶かしながら炎の竜蛇が燃え上がり、狻猊王竜に襲い掛かる)

狻猊王竜:鎮守造偶(アヴァターラ)――……!?
       親父様、私を……

       苦々(グア)――!!

戴黄麒:そのまま炎竜蛇と遊んでいろ。
     脱出するぞ。

白狼琥:かしこまりました。

(白狼琥の全身が膨れ上がり、一匹の白き凶獣が四肢を下ろす)
(妖獣檮杌の背に乗り、黄麒と紅楼は白き疾風となって雪道を駆けて行く)

戴黄麒:よく逃げ出せたな、紅楼。

朱紅楼:うん……

戴黄麒:焔帝仔はどんな奴だった?

朱紅楼:傲慢な癖に、卑怯で姑息で、凄く嫌な奴……

戴黄麒:竜の唯一の美点、誇り高さすらないのか。
     倒すのに何の躊躇いも要らないな。

     お前が無事で良かった。

朱紅楼:…………


□2/滞在先の温泉宿


(包帯を巻いて寝台に横になっている朱紅楼を、戴黄麒が覗き込む)

戴黄麒:酷い火傷だったな。
     地獄の炎というのも伊達ではない。

朱紅楼:体にへばりついて、ずっと消えない……
     骨まで焼かれる、地獄の熱だった……

戴黄麒:あれは油脂火炎(ナパーム)だ。
     大昔は文字通り地獄の炎だったのだろうが、現代では解明されている。
     人類統合体では軍兵型(カデット)でも手投げ弾として使っている。

     恐れることはない。

朱紅楼:……でも熱かった。

戴黄麒:……悪い。

朱紅楼:麒麟(チーリン)は獣より竜っぽい。

戴黄麒:――?

朱紅楼:でもそれが、我的愛人(ウォーダアイレン)

戴黄麒:麒麟の世直しか。自分でも驚くほどの社会運動となっている。

朱紅楼:みんなずっと待ち望んでいた。
     神龍(シェンロン)の支配から解放される日を。
     竜だけの王じゃなく、人や獣の王を。

戴黄麒:大衆は社会への不満を、麒麟王という英雄に託している。
     だが麒麟王には、世直しをする力など無い。

     真にこの国を変えるのは、大衆の力だ。

朱紅楼:うん。

戴黄麒:それでも今は、麒麟王という偶像が必要だ。
     龍と獣を従え、神龍(シェンロン)の暴威にも決して倒れない不死身の王。

     そのためには、お前の力が必要だ。

朱紅楼:ふふふ。

戴黄麒:笑うな。俺もガラじゃないのはわかっている。

朱紅楼:違うの。似合ってる。
     初めて会った時から、知ってた。

     おうきからは、(ラージャ)の匂いがした。

戴黄麒:(ラージャ)の匂い?

朱紅楼:そう……

     紅楼のずっと前の、前の……原初の渾沌だった頃から……
     (ラージャ)の匂いがする人を好きになるよう、本能が覚えたの……

戴黄麒:……愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)か。

     調べれば調べるほど謎が深まる。
     顔や声は疎か、身長や性別まで変わり、高層建築から転落しようと、油脂火炎(ナパーム)で焼かれようと、立ちどころに再生する。

朱紅楼:大好きな人の、身代わりになれるように。
     昔の愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)たちも、ご主人様の身代わりになって殺されていった。

     紅楼、成長しちゃったからもう他の女の子にはなれないけど……
     おうきの姿になら、なれる――

戴黄麒:……この身体能力。

     まるでアメーバだ。
     創成も使わず、多細胞生物で、これほどの可塑性を備えた生物とは……

     愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)――
     あの女、どうやってこんな降魔(ゲネシスタ)を作り出した……

朱紅楼:はー、はー……

戴黄麒:今日は回復が遅いな。

朱紅楼:うん…….どうしてだろ……
     痛いの、止まらない……

戴黄麒:傷を見せてみろ。

(布団をめくり、火傷の膏薬に塗れた包帯をほどいた黄麒は言葉を失う)

戴黄麒:壊死している……!
     こんなこと今まで起こらなかったのに……!

(予期せぬ事態に衝撃を受けた黄麒は、原因である可能性に行き当たり、激しい自責の念に苛まれる)

戴黄麒:細胞老化か……!
     変幻自在とも思える成長や再生は、著しい細胞分裂、テロメアの短縮化をもたらす……
     文献に残る愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)が、総じて短命だったのはこの為か……!

朱紅楼:おうき……?

戴黄麒:……もう、俺の影武者はやめろ。

朱紅楼:どうして……!?

戴黄麒:お前は俺の身代わりになる度に、命を縮めているんだ……

朱紅楼:いいよ……おうきの役に立てるなら。

戴黄麒:馬鹿な……

朱紅楼:好きなの。

戴黄麒:お前は愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)の本能――九尾にすり込まれた感情に騙されているだけだ。

朱紅楼:でも好きなの。

戴黄麒:くだらない。

朱紅楼:好きだけじゃ不安? 利害で説明されたいの?

戴黄麒:ああ。
     利害関係がわかれば、対策も立てられる。
     見切りの目処もつけられる。

朱紅楼:おうきは竜だね。でも獣だよ。

     おうきは知ってるはず。
     嫌われても憎まれても、好きなままでしかいられない。
     だから憎んだ、その痛み。

戴黄麒:……何の話している。

朱紅楼:匂いがするの。
     愛するものを憎んで泣いた、朱い涙の匂い。

戴黄麒:お前は、何の話をしているんだ――!?

朱紅楼:見せて。おうきの、傷痕。

戴黄麒:…………

朱紅楼:大丈夫。痛いこと、しないから。

戴黄麒:憎いんだ、あの女が……
     だがあの女を憎めば憎むほど、胸の奥が裂かれたように痛い……!
     無益で非合理だとわかっているのに……!

朱紅楼:舐めてあげるね。痛くなくなるまで。
     舐めるの好きなの。

戴黄麒:俺はお前が怖い……!
     わからないものが怖い……!

     情という制御出来ない衝動が怖いんだ……!

朱紅楼:怖くないよ。好きで嫌い。それだけ。
     愛することと憎むこと。それは反対のものじゃなくて、互いに違うもの。

戴黄麒:……随分と回りくどい教育ですね、母上。
     こんな形で、あなたの作った降魔(ゲネシスタ)に、情を教わるとは……

朱紅楼:おうきの匂い、好き。
     膝の上に、ずっと居させて。
     どこにもいかないで、紅楼だけを撫でていて。

     麒麟(チーリン)我的愛人(ウォーダアイレン)――


□3/王都『炎』、街外れの林


(夜更けの林道の奥、朱紅楼が沈鬱な面持ちで佇んでいる)

朱紅楼:…………

天陰の声:太陰の澱みに光は生まれ、太陽の輝きは闇を孕む。
       万物は流転す。(なれ)の太極は何処(いずこ)有也(ありや)

朱紅楼:誰――?

(林の奥の暗がりに、射干玉の艶めく闇が生まれ、人の形に凝っていく)

天陰:我吾(われ)は陰なり。(なれ)の御魂を占めるもの。
    我吾(われ)(なれ)なり。

    どうした我が半身よ。

朱紅楼:……嘘を吐いた。

天陰:ほう? 何故?

朱紅楼:怖かった……

天陰:何故?

朱紅楼:おうきを、取られること……

天陰:何故それが怖かった?

朱紅楼:愛って不思議なの。次から次に欲しくなる。
     笑顔も、意地悪も、乱暴にされるのも優しくされるのも、全部好き。

     どれだけあってもお腹一杯にならないのに、少しでも減ると喉が渇く。
     愛して欲しいの。ずっと、紅楼だけを。

天陰:ははは――

朱紅楼:…………?

天陰:我吾(われ)(なれ)(なれ)我吾(われ)
    何故(なにゆえ)我吾(われ)の前でも三徳の衣を纏う。

    恐れるな、裸になれ。共に深淵を覗き込もう。
    徳目を棄却した剥き出しの大欲こそ、(タオ)に通ずる無為自然也(むいしぜんなり)

朱紅楼:……嫌なの。

     おうきが愛することも。
     おうきを愛するヒトも。

     愛してよ……
     他のものは全部邪魔……

     紅楼だけを、愛して……!

天陰:(なれ)に凝る陰の気は形を持った。
    もう恐れることはない。
    (なれ)が手懐けた陰は、陽に転ずる。
    
朱紅楼:……思い出した。
     どうすればいいか。

     もう、知ってたんだ……

     九尾の狐と……
     黒い龍が教えてくれた……

天陰:愛らしき愛欲(カーマ)の赤猫よ。

    此より陽の時代が訪れる。
    駆け昇れ、力尽きるまで、天高く。

    (なれ)の悔いは何処なりや?


(射干玉の闇が人の形を失い、林の暗闇に融けていく)
(夜更けの林道で、魔性に目覚めた紅い瞳が爛々と輝いていた)


□4/王都『炎』、火眼城謁見の間


焔帝仔:くそっ……!

魏難訓:おお、これは凄まじい怒火の熱気。
     吾儕(わなみ)の天竺織も焦げ付かんばかり。

焔帝仔:たった今、特派宦官(とくはかんがん)より代理王(アルダ・ラージャ)の権限を制限すると通達があった。
     火釜国の国政は、特派宦官(とくはかんがん)が執り行う。
     余は失脚だ。

(謁見の間に下がった唐織りに、王都広場での演説が投影される)

麒麟王:皆の者よ、よく集まった。
     今日はまず先に、とある人物に返答をお返ししよう。

     逆賊王焔帝仔――!
     祝融山での密談、人と獣を裏切り、龍に寝返ろという勧告。

     答えは否だ。
     この麒麟王は人、獣、竜――総ての人民たちの王。
     覇皇の力に畏れを無し、自らの要塞型(ジヴァルナ)を売ってひれ伏した貴公とは違うと申し上げよう。

魏難訓:秘密の交渉を暴露するとは、麒麟王も義に反する悪漢ですな。

焔帝仔:おまけに余の話した内容とも違う。

魏難訓:なんと卑劣な。火眼公も即刻反論の声明を出すべきです。

焔帝仔:……あのデタラメな演説で余の首は繋がった。
     真相を暴露されていては、失脚では済まなかったであろう。

魏難訓:済んだことを悔いても無益なことですが、迂闊でしたな。

焔帝仔:……わかっている。

魏難訓:火眼公らしからぬ失態です。何か事情がおありでは?

焔帝仔:……麒麟王を逃すつもりはなかった。
     だが当てが外れた。

     霄壌圏域(シャンバラ)に拒まれた。

魏難訓:それはそれは。

焔帝仔:……親父様は、余を怨んでおられるのだろうな。

魏難訓:御許(おんもと)は先王焔帝を深く敬愛しておられますからなあ。

焔帝仔:……言うな。

魏難訓:いやはや、あまりと言えばあまりな仕打ち。
     父の命乞いをするために、最も憎む父の宿敵の軍門に下り、逆賊王の汚名を堪え忍んでいるというのに。
     子の心、親知らずとはこの事。

焔帝仔:言うなと言っている――!!

魏難訓:涙の湿り気が香ります。

焔帝仔:余は誇り高き王竜(ワンロン)だ。
     情に囚われた畜生どものように泣くものか。

(象骨の仮面の下で、卑屈な闇商人と入れ替わるように、深淵を抱く射干玉の闇が凝っていく)

天陰:いいや。(なれ)は泣いている。
  〝愛するものに憎まれる〟愛情と憎悪(マーラ・カーマ)の傷痕が朱く泣いている。

焔帝仔:……不用意に認めてならぬは商道鉄則。
     ではなかったのか、天魔の大君(おおきみ)

天陰:小業炎(シャオアグニ)、可愛い姪御よ。
    魂の(ほむら)が消えかかった(なれ)を見過ごしは出来ぬ。
    我吾(われ)が油を注ごう。

焔帝仔:尊公の示す道など誰が征くものか。
     奈落の底無し沼が待ち受けるのみであろう。

天陰:堕ちるのも、また良し。
    我吾(われ)が直々に抱いてやろう。
    天に凝る太陰、天魔神龍(マーラ・シェンロン)が。

焔帝仔:…………

天陰:太陰の底まで堕ちてこい。
    其処に陽転の兆しは在り。

    光に手を伸ばせ。
    其れは(なれ)と同じ、〝愛情と憎悪(マーラ・カーマ)〟の痛みに泣いた、もう一人の(ラージャ)也(なり)。


□5/王都『炎』、滞在先の宿


白狼琥:たった今、連絡が入りました。
     『地水滸(ちすいこ)』の隠れ家に、火釜国軍が突入。
     抗争の末、首領の(ちゅう)を始め、幹部全員が殺されたそうです。
 
戴黄麒:そうか……

白狼琥:焔帝仔が失脚に追い込まれ、実権が特派宦官(とくはかんがん)に移って以降、反皇国組織の取り締まりは激しさを増しています。
     解散を申し出る者、連絡を絶つ者、そして――

戴黄麒:内通者か。

白狼琥:はい。やはり情報が漏れているとしか思えません。

戴黄麒:……弱いものだな、民衆とは。

白狼琥:この疑心暗鬼を払うための決起集会を開こうと考えます。
     ここは若に団結の演説をお願いしたく。

戴黄麒:…………

朱紅楼:おうき、疲れてるでしょう?
     しばらく休んだら?

白狼琥:今こそ踏ん張り時です――!
     逆境の今、若が闘志を失えば、世直しの気焔が消え失せてしまう――!

朱紅楼:可哀想。こんなに疲れてるのにまだ働かされて。

白狼琥:紅楼――!

戴黄麒:お前はあの女の飼い犬だったからな。
     復讐が出来れば、俺のことはどうだっていいんだろう。

白狼琥:若様……

戴黄麒:安心しろ。このまま利用されてやるさ。

白狼琥:…………

戴黄麒:どいつもこいつも……
     打算抜きで俺のことを案じてくれるのは、紅楼唯独りだ。

     散歩に出てくる。

(戴黄麒が部屋を出て行った後、険悪な雰囲気の白狼琥と紅楼が残される)

白狼琥:紅楼、若様を甘やかすな。

朱紅楼:怖いの? おうきを取られるのが?
     喉を鳴らして甘えられないもんね。

白狼琥:何だと――?

朱紅楼:白狼琥、左眼にずっと九尾のお姫様の幻を見てる。
     紅い夢の(たかどの)

     おうきのことは右眼でしか見てない。

白狼琥:私は……

朱紅楼:そんな狐の忠犬に、紅楼負けない。
     おうきの膝の上は、紅楼だけの場所なの。


□6/王都『炎』、裏通り


戴黄麒:上手くいかない……
     焔帝仔を失脚に追い込んだまでが世直しの頂点。
     後は裏目続きだ……

戴黄麒:理由はわかっている。
     大衆に示す未来図がないからだ。

     いや、未来図はある。
     人と獣と竜の共存という、未来図は。

     しかしそれを成し遂げるための、力が無い……

戴黄麒:大衆の熱狂は冷めてきた……
     結局は麒麟王というカリスマ頼み。
     その麒麟王は、特派宦官(とくはかんがん)に手も足も出ず、化けの皮が剥がれてきている。

     内通者はその現れだ……

戴黄麒:……いっそ紅楼と、二人で暮らすのも悪くないかもしれない。
     世直しも、復讐もやめて――

     覇皇も九尾も、俺にとって、もはや過去となりつつある……

(思索に耽る黄麒は、いつの間にか薄靄の掛かった横丁に迷い込み、その先に広がる光景に息を飲む)

戴黄麒:――……!?

(そこは屋台やゴザの建ち並ぶヤミ市だった。商人も客も一様に象骨の面を被り、天竺織を纏っていた)

闇商人A:滋養強壮、延年転寿(えんねんてんじゅ)
      皇国御法度の万病の仙薬、竜の子供の生き胆。
      残るはただ一個。早い者勝ちだよ。

闇商人B:奴隷が一匹、奴隷が二匹。
      一日五十人の客を取らせるとすると利回りはざっとこのぐらい。

      うーむ、そろばんが合いません。
      もう少し負けていただけませんか。

戴黄麒:ヤミ市か……!? こいつらは……!

魏難訓:おやおや。
     正装で、とご案内差し上げたはずですが。
     衣装をお忘れですかな?

戴黄麒:なんだお前たちは!?

魏難訓:お静かに。ここは裏華僑の集まりです。
     素顔で彷徨いていると用心棒に拉致され、すぐにそこの露店に並べられますよ。
     生き胆、両手両足、臓物の保存液漬けとしてね。

戴黄麒:…………!

魏難訓:御許(おんもと)もこの衣装を纏いなさい。さすれば誰の注目も集めません。

戴黄麒:随分とお優しいことだな、闇商人。
     ただより高いものはないと聞くが。

魏難訓:御許(おんもと)は良いところの御子息でしょう。
     将来の見込み客は大切に育みますとも。

(戴黄麒は象骨の面と天竺織を纏い、闇商人の一人に紛れ込む)

戴黄麒:噂には聞いていたが、これが裏華僑のヤミ市か。

魏難訓:あらゆる欲望の流れ着く先『大欲界』――
     思想信条人種性別一切不問。
     「カネ」を共通言語に、欲望を交換するこの世の極楽、はたまた地獄。

戴黄麒:カネのない奴はどうなる。

魏難訓:己を売れば宜しい。
     労働、売春、お愛想忠誠。
     体は資本とはよく言ったものでしょう。

戴黄麒:よくわかった。此処は地獄だ。

魏難訓:極楽でも地獄でも、どちらでも宜しい。
     『大欲界』の三徳は、貪欲、蕩尽、銭勘定。

     さあ御許(おんもと)は何をお望みで?
     歓迎降臨(ファンイン・クァンリン)歓迎降臨(ファンイン・クァンリン)

戴黄麒:龍仙皇国で発禁になった書物はあるか?

魏難訓:禁書でございますか。しばしお待ちを。

(魏難訓が傍らで露店を開く闇商人に耳打ちすると、その闇商人は別の裏華僑に声を掛け、ヤミ市全体に伝播していく)

魏難訓:在庫がございました。御一読下さい。

戴黄麒:始皇帝の批判本に、官僚の醜聞、後は猥本か。

     ……これは。

魏難訓:左伝(さでん)ですか。これまたお目が高い。

戴黄麒:龍仙皇国最大の敵、獣帝(じゅうてい)蚩尤(シュウ)……

魏難訓:蚩尤(シュウ)覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)と真正面から戦い、敗北の瀬戸際まで追い詰めた、唯一匹の妖獣(けもの)です。
     後にも先にも、蚩尤(シュウ)ほどの獣は現れないでしょう。

戴黄麒:獣帝(じゅうてい)蚩尤(シュウ)の産み出した四柱(しはしら)の闘将型(クシャトリヤ)
     石や鉄の体を持つ窮奇(きゅうき)、血に飢えた檮杌(とうこつ)、貪り食う饕餮(とうてつ)、忌まわしき渾沌(こんとん)

     この渾沌というのは――?

魏難訓:覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)に刎ね跳ばされた蚩尤(シュウ)の頭より産まれた、四番目の闘将型(クシャトリヤ)
     その名の通り、あらゆるものを形無き渾沌に還す、狂える獣。
     幾度も蘇り、龍仙皇国に災禍(わざわい)をもたらしてきました。

     歴史書からは大部分が抹消されていますが。

戴黄麒:……この本を買おう。幾らだ?

魏難訓:大負けに負けましてこのぐらい。

戴黄麒:な――! 法外だ――!

魏難訓:儒家なら喉から手が出るほど欲しがる、経書の原本ですからな。

戴黄麒:写本でいい。

魏難訓:著作権料と清書代金、仲介手数料、初回お値引きでこのように。

戴黄麒:くそ……! 足元見やがって……!
     著作者はとっくに故人だろうが――!

魏難訓:毎度ありがとうございます。

戴黄麒:……頼みがある。

魏難訓:はい、何なりと。

戴黄麒:渾沌を調達してくれ。

魏難訓:かしこまりました。

戴黄麒:出来るのか?

魏難訓:失われた愛の代替品から、災禍(さいか)の火種まで。
     『大欲界』に揃わぬものはございません。

戴黄麒:代金は? 相当吹っかける気だろう?

魏難訓:とんでもございません。格安でご奉仕致します。

     (なれ)の最も愛する者。其れが渾沌の引き換え也。

戴黄麒:……!?

魏難訓:さてお開きです。
     左伝の写本は、指定の場所とお時間に。
     渾沌の情報もその際に。

     再見(サイチェン)

(戴黄麒の被る象骨面の眼窩が暗転した次の瞬間、視界に飛び込んできたのは薄汚れた路地裏の壁だった)

戴黄麒:……王都『炎』の路地裏!?
     あのヤミ市は――

(魏難訓の衣装を脱いだ黄麒は、不気味な象骨面を見つめる)

戴黄麒:『大欲界』――
     あれは龍の霄壌圏域(ヘヴンズ)だ。
     俺は罠に嵌められているのか――?

     ……まあいい、利用されてやる。
     その代わり、分け前にはあずからせて貰うぞ。
     神龍(シェンロン)――


□7/王都『炎』、街外れの林道


白狼琥:……かつて姫様は、愛は毒だと言った。
     愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)は、竜を殺す附子(ぶし)の毒だと。

     愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)など、色香で竜を惑わし、寝首を描くだけの雌猫ではないのか?
     真の主である黄麒様に仇為す理由がわからん。

白狼琥:……何故俺は、姫様を愛したのだろう?

     忌々しい雌狐(めぎつね)だった……
     何度押し倒して、犯し、俺の子を孕ませてやろうかと思ったか……

白狼琥:だがあの時の俺は――
     首魁(おかしら)を殺され、相棒ともはぐれ、何処にも往く当てのない……
     誇りと闘志すらへし折られた、惨めな負け犬だった……

     俺は総てを曝け出し、身を委ねた。
     あの時からあの御方は……俺にとって、第二の帰る場所(ジヴァルナ)だったんだ……

白狼琥:……あの時の俺と、同じ状況に突き落とそうってのか?

     戦闘狂いの檮杌様でさえ惚れちまった……
     愛せずにはいられなくなる……
     総てを失った、どん底へ……!


□8/王都『炎』、裏通りの一角


(闇商人の衣装に身を包んだ戴黄麒は、待ち合わせの場所に向かう)

戴黄麒:あいつか。

魏難訓:お前が約束の相手か。

戴黄麒:写本は?

魏難訓:カネが先だ。

戴黄麒:ふん。

魏難訓:確かに。

戴黄麒:で、あれは用意出来そうなのか?

魏難訓:ああ、あれか。

戴黄麒:出来るのか? 出来ないのか?

魏難訓:お前はもう持っているだろう。

戴黄麒:話は通じているか?

魏難訓:知らないのか。無理もあるまい。
     真実は当事者諸共、葬られた。
     もはや如何なる文献にも残っていない。

     覇皇の他に知る者は、数えるほどしかいないだろう。

     愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)こそ――
     お前の探し求めている、渾沌だ。

戴黄麒:……!?

魏難訓:人や獣が肉塊に変わり、奇形の獣に成り果てる。
     ありとあらゆる人や獣を苗床に増え続ける、狂える獣。
     『渾沌』は流行病(はやりやまい)のように現れては皇国を襲った。

戴黄麒:では、愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)は――?

魏難訓:幾度もの渾沌の襲撃を乗り越え、皇国は狂獣病を根絶したかに見えた。
     その裏で暗躍していたのが、同じ獣の要塞型(ジヴァルナ)九尾の狐だ。

     奴は渾沌の、無垢なる太極の肉塊と化す性質に目をつけた。
     九尾は、渾沌に愛されるための習性を、本能としてすり込み、愛玩奴隷に仕立て上げた。
     それが愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)だ。

     間抜けな仙人(せんじん)どもは、従順で望み通りの姿に化ける獣を可愛がり、溺れていった。
     そこに秘められた、愛の毒も知らずに……

戴黄麒:愛の毒……?

魏難訓:歴史書に書いてあるだろう?
     愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)を引き取った者は、必ず破滅する。

     無論、偶然ではない。

戴黄麒:まさか……

魏難訓:お前も心当たりがあるのではないか?

     落ちぶれれば落ちぶれるほど、健気に尽くす愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)の比重が増し――
     貧窮の果て、竜と獣は、麗しく心中していった。

     そして肉塊に戻った渾沌を、闇商人が回収し、また別の仙人(せんじん)に売りつける――

戴黄麒:…………!

(戦慄に凍りつく黄麒の前で、魏難訓は象骨面と天竺織を取り去り、紅蓮に燃える髪と火の眼を露わにする)

戴黄麒:焔帝仔――!!

焔帝仔:お前はまんまと愛奴娘々(あいどにゃんにゃん)の毒に冒されているのだ。

     余に力を貸せ、麒麟王。
     奴を渾沌に戻し、龍仙皇国に――覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)に、復讐の花火玉を打ち込んでやろうぞ。


□9/王都『炎』、とある民家


(差し押さえになった民家の奥で、朱い少女と複数の人影が密談を交わしている)

朱紅楼:うん、そう。

     ここが潜伏先。
     片眼の猩人(しょうじん)がいる。
     それが白狼琥――麒麟王の右腕。

     いいよ、構わない。
     殺しちゃって。

白狼琥:俺様を殺すとは、舐めたこと抜かしてくれるじゃねえか。
     え? 朱紅楼?

朱紅楼:……白狼琥!

白狼琥:テメエが密告(チク)ってやがったのか。
     この糞猫め。
     若様の気慰みになればと思って飼い始めたら、思いっきり手を噛みやがるとはなぁ。

朱紅楼:お前、邪魔――!

     やっちゃえ――!

白狼琥:しゃらくせえっ――!

(朱紅楼の一声で襲い掛かってきた密偵の一団を、白狼琥の左腕が骨の樹枝となって串刺しにする)

朱紅楼:打死你(ダースゥニィ)――!

白狼琥:テメエ、まさか――!?

(骨樹枝の隙間を縫って襲い掛かってくる、触手で繋がれた妖獣の頭が、白狼琥の肩や脇腹を噛みちぎる)

白狼琥:図に乗るな餓鬼がァ――!!

(妖獣触手の襲撃を恐れずに前進した白狼琥の右腕が、恐怖に後退る朱紅楼の短躯を引き裂く)

朱紅楼:ア、アア――!!

(血塗れになって頽れた紅楼の体を横目に、白狼琥の眼は部屋中を物色する)

白狼琥:油は何処だ――!?
     奴が渾沌なら、心臓を潰しても無駄だ。
     燃やして灰にしちまわねえと……

渾沌:アアア……

(朱紅楼の体が崩れ、粘体状の細胞塊となり、出口へ移動を始める)

白狼琥:もう蘇生しやがった――!

渾沌:アアア――!!!

(粘体状の細胞塊に緋色の裂け目が走り、妖獣の触貌が襲い掛かってくる)

白狼琥:――!

(妖獣触手の急襲を躱した白狼琥の眼は、密偵たちの死体に噛みつく姿を捉える)

白狼琥:狙いはそっちか――!?

(密偵たちの死体が崩れ、粘体状の肉の塊となり、異形の妖獣の姿となって四肢をつく)

白狼琥:くそったれが――!!

(異形の妖獣に取り囲まれる白狼琥を残し、細胞塊は朱い少女の姿となって走り出す)

朱紅楼:どこ……!?

     麒麟(チーリン)我的愛人(ウォーダアイレン)……!


□10/王都『炎』、裏通りの一角


(炎の眼差しで問う焔帝仔に、闇商人の衣装を纏った戴黄麒は鼻で笑う)

戴黄麒:……呆れたな。
     アグニを裏切り、今度はブラフマーにすら反逆しようというのか。

     神龍(シェンロン)に成り代わるつもりか、狻猊王竜(スァンニー・ワンロン)

焔帝仔:覇皇になど、一度足りとも忠誠を誓ったことはない。
     余に力があれば……今すぐにでも焼き殺してやる。

戴黄麒:何だと……?

焔帝仔:渾沌を目覚めさせろ。
     あの忌まわしき狂獣を使えば、憎き覇皇を地獄の炉に叩き落としてやれる。
     貴様もそれを望んでいるだろう、覇皇の子――!

戴黄麒:ふざけるな――!
     紅楼は俺の大事な……

     貴様の野望の焚き付けにさせるものか――!

焔帝仔:俗物め。あまり余を失望させるなよ。
     お前は私と同じ……〝愛するものを憎んだ〟痛みを知る者だろうが。

戴黄麒:…………!?

焔帝仔:麒麟王、私は――

(表通りから人間の絶叫が聞こえ、次いで獣の雄叫びが響き渡る)

戴黄麒:妖獣だと――!?

焔帝仔:貴様、まさか既に――!?

戴黄麒:――――!

     龍獣の王が勅命(みことのり)を下す。
     獣どもよ、王竜を襲え――!

(表通りから集まってきた異形の妖獣たちが、焔帝仔に向かって一直線に疾走していく)

焔帝仔:渾沌の獣ども――!

     待て、麒麟王――!

(焔帝仔の怒声を無視して、戴黄麒は天竺織を翻し、裏通りを後にする)

焔帝仔:邪魔だ――!

(焔帝仔の咆哮が爆風となり、妖獣の群れを血と肉の煙霧に変える)

焔帝仔:許さん……!
     余の王国に、忌まわしき獣を放つとは……!

     渾沌諸共、地獄の業火で燃やし尽くしてくれる――!

(焔帝仔の瞋怒が燃え上がり、爆ぜる気焔の中から狻猊王竜が雄叫びを上げる)


□11/王都『炎』、妖獣の巣となった商店街


(象骨面と天竺織を脱ぎ捨てた戴黄麒は、妖獣の徘徊する商店街を独り歩いていく)

戴黄麒:紅楼……

朱紅楼:おうき……

戴黄麒:お前がやったのか……

朱紅楼:二人で、遠いところにいこう?
     世直しも、復讐も、全部捨てて。

     ね? おうき?

戴黄麒:…………

     俺は、お前のことが好きだった。
     好きだった……好きだったんだ……!

朱紅楼:おうき?

戴黄麒:お前との想い出一つ一つが、憎しみに穢れていく……
     初めての出会いも、最初の口づけも、幾度の夜も……
     幸せだった時の記憶が壊れ、砕け散り、心に刺さる……

     これが〝愛するものを憎む〟痛みか……!!

朱紅楼:違うの、おうき――!
     紅楼、おうきのこと好きな気持ちは――

戴黄麒:黙れ、獣よ――!

     龍獣の王が、九尾の呪縛を解き放つ――!
     偽りの愛奴(あいど)よ、渾沌の獣へ還れ――!

(戴黄麒の額に生え出した角が、朱紅楼の体を深々と貫く)

朱紅楼:あ、あ――

(朱紅楼の体は、再生する兆しを見せず、鋳型を失ったように崩れていく)

戴黄麒:俺を嗤え。
     お前の爪に玩ばれ、恋に落ちた間抜けな麒麟を嗤え。

     それとも呪いを吐くか。
     地獄に引きずり込めなかったと、俺を呪って断末魔の怨念をぶちまけるか。

朱紅楼:おうき、ごめんね……
     ごめんね……

戴黄麒:謝るな――!

     同情を乞う、弱者の泣き顔を見せるな――!
     邪悪に嗤い、俺に憤怒を残して死んでいけ――!

朱紅楼:怖かったの……

     おうきには、色々なものが沢山……
     でも紅楼には、おうきだけ……

     おうきと紅楼の好きは、釣り合わない……
     終わりの、匂いがしていた……

     でも、おうきも紅楼だけになったら……

戴黄麒:だから、お前は俺の……

朱紅楼:ごめんね……
     おうきの大事なもの、壊して……

戴黄麒:違う――!

     俺は、お前に、欺かれたことが……
     俺は、お前を……

朱紅楼:愛して、とは……
     もう、言えないね……

     だけど、紅楼が、おうきを好きでいることは……許して……
     麒麟(チーリン)我的愛人(ウォーダアイレン)……
     だい、すき……

(朱い少女は粘体状の肉塊に変わり、永遠に沈黙した)

戴黄麒:……愛してるんだ。

      こんな結末になった、今でも、まだ……

白狼琥:若様――!

戴黄麒:…………

     知っていたのか。

白狼琥:いえ……

     申し訳ございません。

戴黄麒:何故母上は、こんな哀れな降魔(ゲネシスタ)を作った……?
     何故人の心の、最も弱い部分に爪を立て、食い破って死に至らしめる策略(たくらみ)を思いつく……?

     何故――……

白狼琥:…………

     若様――!!

(白狼琥が戴黄麒を抱えて飛び退った地点を、一瞬遅れて地獄の業火が薙ぎ払っていく)

狻猊王竜:見つけたぞ、麒麟王。

白狼琥:狻猊王竜(スァンニー・ワンロン)……!

狻猊王竜:忌まわしき獣の本体は、灰燼に帰した。
       残る雑魚どもは、お前諸共、焼却炉のゴミにしてやる。

白狼琥:若様、お逃げ下さい。
     ここは私が時間を稼ぎます。

戴黄麒:…………

白狼琥:黄麒様――!

戴黄麒:……やるならやれ。
     もうどうだっていい。

狻猊王竜:……馬鹿者め。
       お前となら、解り合えると思っていた。

       だがこうなってしまった以上、余とお前は敵同士だ――!

(白狼琥は檮杌の姿に変じ、狻猊王竜に飛び掛かる)

檮杌:ウオオオオ――!!!

狻猊王竜:駄犬が――!

檮杌:逃げろ――!
    何をぼさっと座り込んでやがる――!

戴黄麒:…………

檮杌:あんたにゃ、悪いことをした――!
    だがこの詫びだけは本物だ――!

狻猊王竜:退け――!

檮杌:グオオッ――!

    逃げてくれ……!
    若様……!

戴黄麒:ハク……!

(真横に倒れ込んだ檮杌の血飛沫を浴び、渾沌の残滓が微かに脈打つ)

戴黄麒:渾沌の残滓(ざんし)が……赤黒く脈打っている……

     ……鼓動が聞こえる。
     ……命じればいいのか?

     目覚めよ、渾沌――!
     地煞(ちさつ)禍星(まがぼし)となり、大地を蹴りて、天空(てん)へ跳ねよ――!

狻猊王竜:赤黒く脈打つ、渾沌の心臓――!?
       燃えろ――!

(王都の上空で、不気味に脈打つ赤黒い心臓を、業火の吐息が焼き焦がす)

戴黄麒:龍獣の王が、朱き獣の涙を降らす――!
     万物よ、狂え――!
     死の灰を浴びて、渾沌の獣と成り果てるがいい――!

     創成(ジェネシス)――!

(業火に鼓動を弱めながらも脈打つ渾沌の心臓は、戴黄麒の言下、血生臭く破裂する)
(飛び散った血と肉の欠片は塵に変わり、狂える朱い死の灰が、王都『炎』を紅に染めていく)

檮杌:朱い灰……!
    肉と血の欠片が、朱い灰になって降り注いできやがる……!

戴黄麒:……隕石灰(メテオアッシュ)

狻猊王竜:獣の隕石灰(プラーナ)か……!

       苦々(クウ)……!!

檮杌:視えたぜぇ、俺の勝ち星が――!!

(檮杌の左眼が獰悪に輝き、爆発的に延びた骨の尾が狻猊王竜の左胸を刺し貫く)

狻猊王竜:苦嗚(グア)々々――――!!!

戴黄麒:狻猊王竜(スァンニー・ワンロン)を……!!

檮杌:若、ずらかりましょう――!

戴黄麒:朱い灰……
     道人(ヒト)が、猩人(ケモノ)が……異形の獣に変わっていく……
     仙人(リュウ)は……朱き死の灰の被曝に倒れていく……

(朱い灰の苦痛に耐えかね、仙人たちは竜の姿に変じて、悶絶し暴れ回る)
(そんな竜たちに狂える獣たちが殺到し、振り落とされ、薙ぎ払われながら、鱗を食い破る)

檮杌:首魁(おかしら)が死んだ時に降った灰です。

    怖気が走るほど凄まじい怨念で……
    あれにどやしつけられなきゃ、俺はとっくにおねんねして、そのままくたばっちまったでしょう。

戴黄麒:渾沌の真に忌まわしきは、この朱き降灰……
     要塞型(シタデル)無き霄壌創世(ヘヴンズフォーミング)……

     獣の怨念だ……
     竜に虐げられた獣たちの、憎悪の叫びだ……

檮杌:何千年ぶりになるのか。
    この朱い灰は、塩辛い味がします。

    朱い――涙の味です。

戴黄麒:…………


□12/王都『炎』、朱い死の灰が降る大通り


焔帝仔:はあ、はあ……

天陰:奈落の底の心地はどうだ。

焔帝仔:何処が底だ……!
     貴様の指し示す光に手を伸ばしたら、このザマだ……!

天陰:底の底抜けは間々あるもの。
    ゆめゆめ資力を総て投じてはならぬ。

焔帝仔:天魔神龍(マーラ・シェンロン)……!
     あなたに助力を乞う……!

     余が死すれば……
     王都『炎』を、渾沌の巣とした失態を咎められれば……!
     火釜国……親父様の霄壌圏域(シャンバラ)は、今度こそ覇皇に併呑される……!

天陰:ははは――

焔帝仔:覇皇が力を増せば、あなたとて困るだろう……!

     頼む……!
     この借りは……

天陰:愛は毒也(どくなり)
    吐き出さなければ体に溜まり、魂を狂わす(カルマ)
    故に男は女を抱いて排泄し、女は股を開いて滴らす。

    シャオ、(なれ)は貞淑だった。
    誰も愛さず、誰にも愛されず堪えてきた。

    それでも愛欲(カーマ)(ごう)には抗えぬ。
    (なれ)は心を開いてしまった。
    麒麟王と、この天魔神龍(マーラ・シェンロン)に。

焔帝仔:見下げるな……!
     余がお前など……!

天陰:何故我吾(われ)の暗躍を看過した?
    何故麒麟王の台頭を黙許(もっきょ)した?
    何故霄壌圏域(シャンバラ)に拒まれただけで脅え、地脈の力に触れようとしない?

    何故今も――縋るような眼で祝融山を、物言わぬ父の卒塔婆を見遣る?

焔帝仔:私は、私は……

天陰:愛したいか? 愛されたいか?

    ()と言うならば、愛してやろう。
    王冠を捨て、自尊心(ほこり)も脱ぎ捨て、裸の幼子となって跪くがいい。

    嘔吐せずにはいられない。だが空疎にも堪えられない。
    愛欲(カーマ)宿業(しゅくごう)に溺れるほどに、(ラージャ)の覇気は流れ出る。

焔帝仔:…………!

天陰:〝根源の奇穴(ムーラダーラ・チャクラ)〟を閉ざせ。
    愛欲(カーマ)の螺旋が背骨を昇れば、〝王冠の奇穴(サハスラーラ)〟が輝き出す。

    奪い取れ。
    赦しを、同情を、共感を求めるな。

    憎まれよ。
    世上から、人心から、愛するものから。
   〝愛するものに憎まれる(マーラ・カーマ)〟の痛みを乗り越えた先に、覇道は啓ける。

焔帝仔:…………

     寄越せ……業炎神龍(アグニ・シェンロン)……!
     余に、この焔帝仔に……貴様の霄壌圏域(シャンバラ)を――!!!

(拒絶を畏れていた地脈に手を伸ばし、焔帝仔は霄壌圏域の支配権を掌握する)
(大地より凄まじい量の灰が噴出し、降り注ぐ朱い灰を吹き散らす中、業炎の竜の火影が揺らめき出す)

狻猊王竜:麒麟王――!
       貴様の放った渾沌の獣どもは、この狻猊王竜(スァンニー・ワンロン)が根絶やしにしてやる――!

       大創成(マハーヴェーダ)――業炎爆火蒸散(ごうえんばっかじょうさん)――!!

(王都『炎』に充満する灰に悲憤の炎が点火し、業火燃え滾る爆風と衝撃波が吹き荒れる)

狻猊王竜:愛する王都よ、人民よ――!
       余は汝らを滅ぼす――!

       余は(ラージャ)だ――!
       責も咎めも、支配も栄光も総て独占する――!

       誰にも縋らぬ――! 誰にも求めぬ――!
       余は誰にも触れられぬ……地獄の業火より熱き炎だ――!

(王都『炎』を燃料気化爆発の大火球が飲み込み、王都壊滅の嘆きの雄叫びが大陸中に轟き渡った)

天陰の声:これを弱めんと欲すれば、必ずこれを強くせよ。
       これを廃せんと欲すれば、必ずこれを興せ。
       これを奪わんと欲すれば、必ずこれに与えよ。

       即ち此れを、微明(びめい)()う。
       天道(タオ)に通ずる真理なり。

       覇皇を殺すは、天魔にあらず。
       同じ覇道を志す、覇皇の子たち。

       (なれ)真理(みち)を送ろう。
       愛しく憎い弟御(おとうとご)覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)――


□13/隣国の田舎町、滞在先の宿


(戴黄麒は窓辺の椅子に腰掛け、市場の光景を眺めている)


白狼琥:若、お食事をお持ちしました。

戴黄麒:ああ。

白狼琥:今朝の官報、世界各国の外紙も置いておきます。

戴黄麒:ああ。

白狼琥:…………

戴黄麒:――あれから一月(ひとつき)か。

白狼琥:……はい。

戴黄麒:火釜国では、焔帝仔が政治の実権に返り咲いたそうだな。

白狼琥:……不覚です。()り損ないました。

戴黄麒:人民の希望『麒麟王』は、渾沌を放ち、無辜の人々を巻き添えにしたテロリスト。
     皇国全土とその属国全域で、第一級の指名手配犯。

     焔帝仔は皇国の平和を守るため、狂獣渾沌に冒された王都を、自らの手で灰にした大英雄。

白狼琥:……若、雌伏の時です。
     世直しの気焔は、必ずや再び、人民の心に立ち上るでしょう。

戴黄麒:…………

白狼琥:あれは――!

戴黄麒:どうした?

白狼琥:半里先の隠れ家に、警吏の人集りが出来ています……!
     『獣牙会(じゅうがかい)』の(ちょう)が連行されていく……!

(戴黄麒の眼に入る広場まで、警吏の一団に『獣牙会』の面々が連行されてくる)
(集まった人民たちは、石を投げ、罵声を浴びせ、世直しの闘士たちは罪人となって市中を引きずり回される)

戴黄麒:市中引きずり回し、晒し者か。
     声は届かなくとも、何と言われているか、その場にいるようにわかる。

白狼琥:我々に落ち度があったことは弁明出来ん……!
     だがあの手の平の返し方は何だ――!

     私は視たことがあります……!
     (ちょう)に石を投げているあの男は、麒麟王の集会で、歓声を上げていた男だ――!

戴黄麒:憤るな。人民など所詮そんなものだ。

白狼琥:若、我々の滞在先にも潜伏先にも警吏が接近しています。

戴黄麒:国外に脱出するぞ。

白狼琥:『獣牙会(じゅうがかい)』は――?

戴黄麒:捨て置け。

白狼琥:しかし、彼らは我々を匿ってくれた――

戴黄麒:あんな奴らはただの駒だ。
     代わりなど幾らでもいる。

白狼琥:…………

戴黄麒:俺は改めて母上を尊敬した。

     愚かで強欲で、何の主体性も無い癖に、正義振る……
     愚民どもを相手にして、いかに情を操るのが大変なことか理解した。

     決して相手を好きにならず、信頼せず――
     愛され、信頼され、しっぺ返しを食らっても微笑んでみせなければならない。

     九尾よ、あなたは偉大だった。

白狼琥:若……

戴黄麒:しかし俺は力が欲しい。

     愚かな連中を黙らせ、従わせ、不要であれば消し去る力が――
     天地を畏れさせ、跪かせる程の――

     覇気だ――!
     覇皇の覇気が何よりも欲しい――!

白狼琥:……龍だ。

     激しい衝動に取り憑かれながら、何処までも凍えた……
     神龍(シェンロン)の眼をしている……

戴黄麒:征くぞ、白狼琥。

     俺は龍獣の王、麒麟(チーリン)
     竜を、人を、獣を――
     あらゆるものを我が前に跪かせてやる。

     はははは、はははは――……



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