ゲネシスタ-隕星の創造者-

7話-天魔嗤笑(てんまししょう)-

★配役:♂2♀2両1=計5人

戴黄麒(たいおうき)
18歳。
黒髪黒瞳の道人(どうじん)の少年。
華僑である両親を早くに亡くし、少なからぬ遺産で悠々自適の生活を送りながら中央官僚を目指す書生。
――という肩書きで、龍仙皇国を流離う『始皇帝』の落胤。

父親は龍仙皇国の『始皇帝』こと『覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)』。
天帝盤古龍(パングーロン)の創り出した九柱の要塞型(シタデル)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱であり、筆頭である。
母親は『妲己(だっき)』とも『玉藻前(たまものまえ)』とも呼ばれたギオガイザー系譜の要塞型(シタデル)九尾狐(きゅうびのきつね)』。

本来なら異系譜の降魔同士で受精は起こらず、稀に受精に至っても奇形や虚弱など遺伝子疾患を抱えているケースが多数を占める。
しかし戴黄麒は両親の隕石灰(メテオアッシュ)を正常に受け継ぎ、龍であり獣である、龍獣(りゅうじゅう)麒麟(チーリン)』となった。

ダイノジュラグバとギオガイザーの二系譜を跨る偽王型(レプリカロード)
二系譜の総督型(プレジデント)に準ずる権能を有する。
軍兵型(カデット)を支配し、指令型(エリート)に対しても一定以上の影響力を持つ。
霄壌圏域(ヘヴンズ)の一部にも接続可能であるため、要塞型(シタデル)にとっても驚異となりうる。
ただし、本物の総督型(プレジデント)には一段劣り、上位種と真正面から衝突すれば劣勢は必至である。

ダイノジュラグバとギオガイザーの混血から産まれた『麒麟』は、龍と獣の天敵であり、新種の反逆型(ミーティア)と言える。

封星座珠:【瑞兆角】

凜嶺娥(りんれいが)
済州(さいしゅう)の金剛竹林に棲まう仙人(せんじん)の女。
金剛石のように透明で煌びやかな美貌に輝く宝玉の美女。
鎖骨の窪みに金剛石の宝珠が埋まっており、隕石灰(メテオアッシュ)を知覚する封星座珠(ホロスコープ)となっている。

ダイノジュラグバ系譜の要塞型(シタデル)金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)
ダイノジュラグバこと天帝盤古龍(パングーロン)の創り出した九柱の要塞型(シタデル)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱。
龍の遺伝子を受け継ぐ仙人ではなく、龍の化身した神人(しんじん)である。

龍魄(りゅうはく)という、神龍(シェンロン)の魂。
五千年前の『封龍の儀』より、神龍(シェンロン)たちは躯から魂を剥離された。
ある者は龍魄のまま彷徨い、ある者は眷属の降魔を乗っ取り、ある者は寄生型(メタビオス)に宿り宝貝(パオペエ)となった。
何れの神龍(シェンロン)たちも、かつての天地を支配した権能からは程遠く、時偶世上の噂話に上る、伝承上の存在となった。

凜嶺娥は、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)鎮守造偶(デミウルゴン)であり、龍魄を埋め込んだ化身である。

封星座珠:【金剛龍玉髄】

楊李明(ようりめい)
15歳。
済州瑛郡の秘書官で、道人の少年。
利発で端整な顔立ちの少年で、藩金蓮の寵愛を受けている。

父は道人で、母は猩人の家に生まれる。
降魔絡みで不幸な幼少期を過ごし、家族を亡くした。
金剛竹林の開発に執念を燃やし、凜嶺娥を憎んでいる。

藩金蓮(はんきんれん)
38歳。道人の女。
現・瑛郡伯。
病死した夫の瑛郡伯(えいぐんはく)潘洵(はんじゅん)の跡を継ぐ形で、現・瑛郡伯となった。
汚職や収賄の噂が絶えず、『瑛郡(えいぐん)の悪女』とあだ名されている。

元々は花柳の売春婦だった。
魏難訓と出会ったことで、悪女としての才を開花させる。

魏難訓(ぎなんくん)
年齢・性別不詳。
『極楽浄土の切符から、地獄の沙汰の買収工作まで承る』闇商人。
魏難訓は一人ではなく、謎の商人集団の通名である。
皆一様に、不気味な象骨面(ぞうこつめん)を被り、暗色の天竺織(てんじくおり)を纏っている。

象骨面は、邪眼象(ギリメカラ)の骨に龍魄(りゅうはく)の欠片を埋め込んだ寄生型(メタビオス)の一種。
象骨面を被せられた者は、要塞型(シタデル)の傀儡となり、数々の悪事を代行する。

天陰(てんいん)
射干玉の黒髪と蒼醒めた肌を持つ仙人の男。
闇商人魏難訓の元締めであり、同じく不気味な象骨面を被る。

ダイノジュラグバ系譜の要塞型(シタデル)天魔神龍(マーラ・シェンロン)
ダイノジュラグバこと天帝盤古龍(パングーロン)の創り出した九柱の要塞型(シタデル)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱。
龍の遺伝子を受け継ぐ仙人ではなく、龍の化身した神人(しんじん)である。

天陰は、天魔神龍(マーラ・シェンロン)鎮守造偶(デミウルゴン)であり、龍魄を埋め込んだ化身である。
龍仙皇国の大地は、要塞型(シタデル)殺しの大創成(グレータージェネシス)封龍八卦陣(ほうりゅうはっけじん)』が恒常的に発動している。
天魔神龍(マーラ・シェンロン)の本体は霄壌圏域(ヘヴンズ)『大欲界』に籠もり、配下の魏難訓を操り、皇国転覆の機会を窺っている。


※ルビを振ってある漢字はルビを、振ってない漢字はそのまま呼んでください。

ゲネシスタwiki 劇中の参考になれば幸いです。



□1/瑛郡庁、郡伯室


(郡伯室の椅子で頭を抱える藩金蓮に、役人たちが入れ替り立ち替りに市内の状況を伝える)

藩金蓮:市内各所に邪魅爬(じゃみは)が襲来……
     龍を崇める宗教団体の一揆打ち壊し……
     羅睺病(らごうびょう)の大発生……

藩金蓮:ええい、何から何まで報告に上げるな――!!
     些末事(さまつじ)はお前たちで収拾せい――!!
     それでも科挙(かきょ)を通った秀英か――!
     頭の働かんボンクラどもが――!

(藩金蓮は側近に当たり散らし、奥の私室に踏み込んで行く)

藩金蓮:魏難訓――!! 魏難訓――!!

魏難訓:ここに。

藩金蓮:どうするんだい!
     凜嶺娥の制御を失ったことで、邪魅爬(じゃみは)が見境無く暴れ回るようになった!
     枯れた霄壌圏域(シャンバラ)は、最後っ屁とばかりに大量の灰を噴き出して枯れていく……!

     瑛郡は大混乱――!
     全部あたいの金剛竹林開発が悪いってことになってるじゃないか――!

魏難訓:冷静になられよ。
     霄壌圏域(シャンバラ)の枯死も、邪魅爬(じゃみは)の狂乱も想定の範囲内でございます。

藩金蓮:だけどこのままじゃ、あたいは郡伯追放だよ――!

魏難訓:別に宜しかろう。こんなちっぽけな辺境の爵位など。

藩金蓮:ざけんなよ! 他人事だと思って!
     安娼婦のあたいがどんだけ出世したと思ってるんだい!

魏難訓:札束に火をつけて燃やせない者に覇皇の資格無し。
     辺境伯の椅子など蹴って捨てよ。

     御許は覇皇になられるのだ――

(郡庁に悲鳴が響き渡り、郡伯室の扉を激しい怒声と衝突音が乱打する)

藩金蓮:暴徒どもがきやがった……!

魏難訓:更なる(かね)の生る木をつけるべく、札束の灰は撒かれた。
     吾儕(わなみ)の手を取られよ。

     収穫に参りましょう。
     (かね)の生る木の、煩悩の果実を。


□2/墨色にくすんだ金剛竹林


戴黄麒:天魔神龍(マーラ・シェンロン)……
     覇皇が最強の神龍(しんりゅう)なら、天魔は最悪の神龍(しんりゅう)だと聞いた……

天陰:九尾の姫……(なれ)の母君も良い女だった。
    清楚にして魔性……煩悩の煽りをよく心得ていた。

戴黄麒:げほっげほっ――!

楊李明:黄麒殿、大丈夫ですか!?

戴黄麒:この泥膏(どろあぶら)は僅かでも吸い込んだが最後……
     陰の気を……煩悩を糧に増殖し、宿主を隕石灰(メテオアッシュ)に還元してしまう……

     凜嶺娥に化けて俺を誑かしたのは、この為だったのか……!

天陰:期待の眼鏡は、無理も道理に見せ掛ける。
    余人(よじん)の掛けた眼鏡を知れば、荒唐無稽も容易く通る。

戴黄麒:…………
     金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)はどうした。

天陰:(なれ)は金剛石の骸を知っているか?
    美しき宝石の女王は、硬くも脆い。
    煩悩の火で軽く炙れば、薄汚れた泥炭と化す。
    この金剛竹のように。

戴黄麒:よくわかった。
     金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)は生きている。

天陰:何故そう思った?

戴黄麒:――ハッタリに決まっているだろう?
     お前の反応で真実が読めたよ。
     ありがとう。

天陰:これはしてやられた。
    そう、凜嶺娥は吾が手の内にある。
    奈落の泥の天魔蓮華に、美しき龍女(りゅうめ)が咲く。

(天陰の足下より生え出した蓮華に、黒い泥膏に塗れた凜嶺娥が囚われている)

戴黄麒:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!

天陰:(なれ)を欺いたことは慚愧(ざんき)に耐えん。
    この場で凜嶺娥を殺し、過去と未来をすり替えれば――

凜嶺娥:――――!!

(凜嶺娥の美貌を黒い泥膏が蝕み、汚泥となって崩れ落ちていく)

天陰:嘘は誠と帳尻合った。

戴黄麒:金剛石の龍の化身が……!

楊李明:……その凜嶺娥は、お前の詐術だろう。

戴黄麒:――!?

楊李明:お前は一度、凜嶺娥に化けて我々を欺いた。
     味を占めて繰り返しても、二度目は疑われ、三度目は誰も信じない。

天陰:これは道理だ、人の子よ。
    しかし、森羅万象をそろばんの玉で表すことはできん。
    (なれ)の見た()は月の兎、八卦の相やもしれぬ。

楊李明:そう、だからお前との会話は無駄だ――!

(楊李明は小脇に潜ませた壷の中身をぶち撒け、天陰は燃える炎の血に包まれる)

天陰:鳳凰の血――

楊李明:黄麒殿――!

戴黄麒:――――!!

     龍獣の王が勅命(みことのり)を下す――!
     鳳凰の血よ、燃え上がれ――!

天陰:――墨蝋泥(ニラヤ)よ、汚泥を煮やせ。
    麒麟の子を内から沸き立てよ――

戴黄麒:どうした天魔神龍(マーラ・シェンロン)――!
     何も起こらないのが不思議でしょうがない顔だな――!

天陰:……してやられたな。

戴黄麒:反吐はとっくに吐ききった――!
     龍の毒は、麒麟には通じん――!

     騙される側に回った気分はどうだ――!

天陰:……吾の負けだ。
    偽王(ぎおう)の自称は伊達でないと言うことか。

戴黄麒:引きましょう、楊秘書官――!

楊李明:はい――!


□3/瑛郡庁、最上部の望楼


(黒い蝋泥で煮え立つ街並みを見下ろした藩金蓮は絶句する)


藩金蓮:何だいこれは……

     瑛郡の街が……
     地獄の釜の油をひっくり返したように……
     煮え立つ黒い泥の(あぶら)に沈んでる……

魏難訓:強過ぎる陽は、万物を干上がらす邪陽(じゃよう)となりて、益々天頂に輝く。
     なれど、諸行は無常。
     窮苦(きゅうく)は陰となりて鬱積し、太極の鍋底に(おり)を作る。

藩金蓮:虚空に龍の爪痕が……!
     爪痕から黒い泥膏(どろあぶら)が溢れ出してやがる……!

魏難訓:大欲界(だいよくかい)太極鼎(たいきょくなべ)は裏返された。
     
     大創成(マハーヴェーダ)天魔大瀑布(てんまだいばくふ)
     陰に(こご)った余人(よにん)(はく)を、盪かして煮詰めた煩悩泉(ぼんのうせん)
     此処に小末法(しょうまっぽう)来迎(らいごう)せり。

藩金蓮:話が違うじゃないか!
     あたいを覇皇にするって約束だったろう!?

     なんだいこれは……
     あたいの国を地獄に変えやがって……!

魏難訓:信用は商人の肝心要。
     約定を違えるなど、とんでもございません。

     この煮え立つ墨蝋泥(ぼくろうでい)の滝壺こそ、覇皇の泉。
     総ては此れを創るため。
     郡伯の真似事など、前座遊びに過ぎませんでした。

藩金蓮:この煮え立つ黒い泥に飛び込めってか!?
      冗談じゃないよ――!

      覇皇の椅子なんて要らねえよ!
      あたいの国を返しな――!

魏難訓:ほう。約定を違えると。
     此処に吾儕(わなみ)と御許の交わした証文がございます。
     御許は覇皇になるべく最善を尽くし、吾儕は最善の支援を約束する。

藩金蓮:まぬけな証文だね。
     あたいは覇皇になります。あんたを覇皇にします。
     眠たいだけの垂訓(すいくん)で覇皇になれたら、誰も苦労しないよ。

魏難訓:これが御許の押した血判(けつばん)
     違約すれば、約款(やっかん)に従い、相応の差し押さえをさせていただきます。

藩金蓮:血判(けつばん)ついたから何だってんだい。
     そんなに大層なもんなら、女便所で血塗れの脱脂綿でも漁ってな。

魏難訓:証文破りをされると。

     では差し押さえましょう。
     御許の自由と命を――

藩金蓮:――!!


     あ、あ、ああ……
     なんだい、この悪寒は……

     痒い、痒い……

(両腕を掻き毟る藩金蓮は、皮膚の下から覗いたものに目を剥く)

藩金蓮:鱗――!?
     あたいの腕に蛇みたいな鱗が……!

     てめえ、あたいを邪魅爬(じゃみは)に変えやがったな……!

魏難訓:あの証文は、天罡星(てんこうせい)の灰をまぶした契約用紙。
     小刀で切った指先で触れれば、その内に隕石灰(プラーナ)を取り込む。

藩金蓮:足が勝手に……!
     ちくしょう、ちくしょう……!

魏難訓:さあ、陰の大禍に身を投げよ。
     煩悩の泉を浴びて転生するのだ。

(望楼から身を投げた藩金蓮は、泥飛沫を飛ばし、墨蝋泥の滝壺に沈んでいく)

魏難訓:覇皇となるか、乞食となるか。
     所詮人間、五尺三寸糞袋(ごしゃくさんすんくそぶくろ)――

藩金蓮の声:アアアアア……!!

(墨蝋泥の湖面に波紋が立ち、黒い蝋泥の蛇身が立ち上がる)

蛇身女王:ハアアア……!

       魏難訓、魏難訓……!
       何処だ――!!

魏難訓:指令型(ヴァイシャ)か。
     街一つを潰して此れとは、此度の投資は焦げ付きだ。

蛇身女王:あたいをハメやがったな……! 何が覇皇だ……!
      あたいをこんな醜い蛇の化け物にしやがって……!!

(蛇身女王の腕が伸び、楼閣の上の魏難訓の身体を鷲掴みにする)

魏難訓:証文を今一度ご確認されよ。
     御許も吾儕も最善を尽くす。

     最善の結果がこれなのです。
     所詮糞袋は、どう知恵を捻っても糞でしかなかったということです。

蛇身女王:あたいが糞なら、あんたは糞にたかる蠅だよ……!
      蠅は肥溜めに飛び込んで、糞海(くそうみ)の中で溺れ死にな――!!

魏難訓:屑債(くずさい)を片端から寄せ集めれば、大化け債も混ざる……
     一度の投資に一喜一憂せず……銘柄全てを眺め見る……
     これぞ平均化の錬金法……

     それにこの覇気は……
     ひょっとすれば金の生る木に化けるやも……

(魏難訓を握り潰した藩金蓮は、蛇の目で輝く竹林を見据える)

蛇身女王:金剛竹林……
       あたいの状況を何とか出来るのは、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)しかいない……

       何としてもあたいを元に戻してもらうよ……!!


□4/金剛竹林の林道


戴黄麒:こちらです、楊秘書官。

楊李明:はあはあ……
     本当に凜嶺娥は生きているのでしょうか?

戴黄麒:不活化していますが、霄壌圏域(ヘヴンズ)は存在している。
     天魔神龍(マーラ・シェンロン)が金剛竹林の主導権を奪った様子もない。
     即ち霄壌圏域(ヘヴンズ)の主……金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)は健在ということです。

楊李明:周囲の景色が変わってきました……

戴黄麒:ここは……

楊李明:金剛竹林の深奥にあるという……
     済州に伝わる伝説の……宝仙郷(ほうせんきょう)です……!

戴黄麒:あの金剛石の結晶は――!

(歩み寄った二人に気づいたように、金剛石の中で眠る凜嶺娥が目を覚ます)

凜嶺娥:お前たちか。

戴黄麒:やはり生きていたか。

凜嶺娥:霄壌圏域(シャンバラ)がある限り、わしは不滅だ。
     そして霄壌圏域(シャンバラ)を支える本尊があれば――

(宝石の散りばめられた一帯に聳え立つ雲母橄欖岩の小山)
(雲母石と橄欖岩の褥に包まれ、金剛石の龍が静かに眠っていた)

楊李明:金剛石の龍……!

戴黄麒:驚いたな……
     この龍仙皇国で、要塞型(シタデル)が原型を留めている……!

凜嶺娥:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)
     かつてのわしの(からだ)だ。

楊李明:この世にこんな美しい生き物がいたのか……!

戴黄麒:これは……一国家の財政を傾けても買えんな……

凜嶺娥:お前たちの前で、無様な姿を晒すとはな。
     マーラめ、この貸しは高く付くぞ。

戴黄麒:……あの天陰という男か。

凜嶺娥:そうだ。
     寄生型(ダリット)魏難訓を使い、龍仙皇国で暗躍する。
     わしと同じ、神龍(シェンロン)の欠片だ。

楊李明:闇商人魏難訓……奴もマーラの手下だと!?

凜嶺娥:魏難訓は藩金蓮を小覇皇(しょうはおう)に仕立て上げ――
     強過ぎる陽――邪陽の世を作り出した。

戴黄麒:陽極まれば、輝きの内に陰を孕み、太極は陰転する……

凜嶺娥:気の長いことだ。
     奴の目論見は成功した。
     太極は煮詰まり、大欲界の太陰が地上に吐き出された。

(遠くの地平より地滑りのような轟音が鳴り響き、戴黄麒が異変の元凶を探る)

戴黄麒:この地滑りのような音は……

藩金蓮の声:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!!

戴黄麒:蛇身女王(ナーガラージャ)――!
     あの上半身の女は……!

楊李明:藩金蓮郡伯……!

(うねる蛇身の下半身で金剛竹を薙ぎ倒し、蛇身女王が宝仙郷まで押し寄せてくる)

蛇身女王:凜嶺娥、あたいを元に戻しとくれ……!
       あたいはハメられたんだ、魏難訓とかいう仙人(せんじん)の商人に……!

凜嶺娥:覆水は盆に返らん。
     血は冷たく、肉は硬き鱗に覆われる。

     お前は邪魅爬(じゃみは)だ。
     これからずっと、死がお前を解き放つまで。

蛇身女王:オオオオオオ……

楊李明:藩金蓮郡伯……

蛇身女王:おお李明、助けておくれ……

楊李明:……あなたは魏難訓と通じておられたのですか?

蛇身女王:どこでそれを……

楊李明:仙人に転生するためですか?
     不老不死と創成の力を手に入れるために、魏難訓の暗躍を黙認していたのですか!?

蛇身女王:違うんだよ李明――!
       あたいもあいつに騙されて……

楊李明:黙れ――!

     あなたは、あなたこそ……
     姉の……父と母の仇だったのだな――!?

蛇身女王:凜嶺娥め、李明までたぶらかしやがって……!

戴黄麒:自業自得だろう?
     ここまで手の込んだ降魔化をされて、共犯者以外何が考えられる?

蛇身女王:麒麟のガキ……!

戴黄麒:よく似合ってるぞ、瑛郡の悪女。
     お前の醜い性根に似合いの姿だ。

蛇身女王:クソガキがぁ――!!

(蛇身女王が巨体をくねらせ襲い掛かる)

蛇身女王:ぐああ――……

(天高く伸びた金剛竹に貫かれ、冷たい爬虫類の血が大地に降り注ぐ)

凜嶺娥:暴れるなら他所でやれ。
     お前の図体で、わしの霄壌圏域(シャンバラ)が荒れる。

蛇身女王:凜嶺娥……

       ……そうだよ。
       お前だって本性は、龍の化け物じゃないか……
       お前の力があれば、人間の姿になれるんだ……

       お前の力を寄越せェェ――――!

凜嶺娥:蜥蜴が龍を喰らうとな。笑わせてくれる。

(凜嶺娥は大粒の金剛石となり、休眠する金剛神龍の額に嵌る)

楊李明:眩しい……! 目を刺すような宝石の輝き……!

戴黄麒:目覚めるぞ、金剛石の龍が――!

(雲母と橄欖岩の褥をふるい落とし、身を起こした金剛神龍が蛇身女王に衝突する)

蛇身女王:ぐおおおお――!?

金剛神龍:(わし)は寝起きが悪い。
       お前を叩き潰して、雲母(うんも)橄欖岩(かんらんがん)の寝所に戻るとしよう。

       蛇女(へびおんな)め。
       神龍(シェンロン)の不興を買った恐ろしさ、その身を以って知れ。

(墨色にくすんでいた金剛竹林が宝玉の輝きを取り戻し、宝仙郷の貴石が目映く光る)
(金剛石の輝きが神龍復活を告げ知らせる閃光となって、済州全土を引き裂いた)


□5/金剛竹林、宝仙郷



金剛神龍:創成(ヴェーダ)金剛破渦(こんごうはか)

蛇身女王:――!!

(金剛神龍の口腔より吐き出された、万象を破壊する輝く塵の螺旋を、蛇身女王は辛うじて避ける)

蛇身女王:くそっ――!
       出でよ軍兵型(シュードラ)ども――!!

(蛇身女王の鱗から染み出した体液から夥しい数の飛蜥蜴が産まれ、金剛神龍に殺到していく)

楊李明:邪魅爬(じゃみは)の群れ――!

戴黄麒:体液から軍兵型(カデット)を産み出すか――!

金剛神龍:醜い芸だ。つまらん。

(金剛竹林が灰を飛散させ、天空を覆う金剛石の雲となり、万物を撃ち砕く金剛石の雹を降らす)

戴黄麒:金剛石の(ひょう)を降らす大創成(グレータージェネシス)――!

蛇身女王:ぐおおおおお――!!!

楊李明:邪魅爬(じゃみは)は全滅……!
      蛇身女王(ナーガラージャ)も瀕死の重傷を負わされています――!

蛇身女王:ちくしょう……!
       絞め殺してやる――!

       シャアアア――!!

金剛神龍:触るな、生臭い。

(金剛神龍の輝きが実体を持ち、燦めく宝石の刃となって、躍り掛かる蛇身女王を一閃する)

蛇身女王:ぎゃああああ――!!

(ぶつ切りにされた蛇の胴体が次々と落ち、宝仙郷の地は生臭い血で充満する)

楊李明:まるで勝負になっていない……!
     圧倒的だ……!

戴黄麒:そう、圧倒的だ……

(金剛神龍の透き通る躯に、徐々に黒い斑紋が生まれ、脆く剥落していく)

楊李明:黄麒殿、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)の躯に黒い斑紋が……!

戴黄麒:……炭ですね。
     金剛石の細胞が死に、黒炭となって崩れ落ちているのです。

楊李明:一体何故――!?

戴黄麒:……封龍八卦陣(ほうりゅうはっけじん)
     神龍(シェンロン)……正確にはあらゆる要塞型(シタデル)を死滅させる大創成(グレータージェネシス)
     かつての栄華の面影もなく、後進国と成り果てた龍仙皇国に侵略の手が伸びないのは、この皇国全土を覆う呪いのためです。

金剛神龍:ハア――……ハア――……

楊李明:このままでは金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)は……!?

戴黄麒:心配は要りません。

     だからこそ、謎なのです。
     凜嶺娥のままでも、蛇身女王(ナーガラージャ)如き、楽勝だった。
     何故凜嶺娥は、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)の姿に……

(金剛竹林の上空に交差した十の爪痕が趨り、空間が血を流すように墨蝋泥を滴り落とす)

楊李明:空間に龍の爪痕が――!

戴黄麒:霄壌創世(ヘヴンズフォーミング)の干渉……!?
     金剛竹林に何処かの霄壌圏域(ヘヴンズ)が接続する――!

(金剛竹林の空間を抉じ開けて這い出してくる、泡立つ黒龍の大顎が墨蝋泥を零して嗤う)

天魔神龍:ハアアアア……
       やっと雲母(うんも)橄欖岩(かんらんがん)の深窓から出てきてくれたか……
       金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)……

       お前はやはりその姿が……
       金剛石の龍の姿が最も美しい……

金剛神龍:天魔神龍(マーラ・シェンロン)……!
       臆病者のお前が、大欲界から現世に顕現(けんげん)するとは……!

天魔神龍:慎重居士(しんちょうこじ)我吾(われ)も、金剛石の玉容(ぎょくよう)に誘い出された……
       鎮守造偶(アヴァターラ)では、お前に触れられん……

金剛神龍:全ては勝算合ってのことだろう……!?

天魔神龍:ハハハハハハ……

(泡立つ黒龍の大顎が崩れ、墨蝋泥の瀑布となって金剛神龍に落下する)

金剛神龍:見え透いた手だ。飲まれはせん。

天魔神龍:その為の……(にえ)よ……

蛇身女王:ああ、あああ……!
       融ける……融けちまうよ……!!

楊李明:蛇身女王(ナーガラージャ)の血が泥膏(どろあぶら)に――!

金剛神龍:――――!?

       動けん……!
       墨蝋泥(ニラヤ)(にかわ)か……!?

戴黄麒:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)が捕まった――!
      泥膏(どろあぶら)の滝に飲まれるぞ――!

蛇身女王:助けておくれ……――!!
       助けておくれ……――!!

楊李明:蛇身女王(ナーガラージャ)泥膏(どろあぶら)の滝の……滝壺に沈んでゆく……!!

蛇身女王:あたいの……あたいの太極珠(たいきょくず)……
       ハハハ、真っ黒じゃないか……

       あたいの天頂は、さっきまでの瑛郡郡伯……

       後は真っ逆さまに……
       陰の肥溜めに堕ちてゆくだけだったのかい……

(蛇身女王の爬虫類の目が、墨蝋泥の滝壺で立ち上がる黒龍に向けられる)

蛇身女王:あんたに惚れてたんだよ……魏難訓……
       でもあんたには、あたいは手掛けてる商品の一つに過ぎなかったんだろうね……

       馬鹿だね、あたいも……
       小娘じゃあるまいし、惚れた男に乗せられて……
       いいように使われて……ボロ雑巾のように捨てられるなんてさ……

       嗚呼……でもやっぱりあんたは魔物(マーラ)だ……
       くたばり損いの乞食女を、絢爛豪華な着物で着飾って、伯爵の椅子に据えてくれた……
       そんなあんたが魔物(マーラ)でも……どうして惚れずにいられるってんだ……

(墨蝋泥の滝壺に蛇身女王が沈むのと入れ替わるように、泥土が沸騰しながら黒き神龍が実体化していく)

天魔神龍:ガアアアアア……
       皮膚が爆ぜる……骨が砕ける……

       これが苦界(くかい)の苦しみ……
       父なる天帝の呪いか……

金剛神龍:天帝盤古龍(パングーロン)霄壌創世(シャンバラヤーナ)……
       封龍八卦陣(ほうりゅうはっけじん)は、あらゆる要塞型(ジヴァルナ)を殺す……!

天魔神龍:この苦痛も……悪いものではない……
       抱いているだけでヴァジュラ、お前が堕ちる……

(黒き神龍が泥土より起ち上がり、溺れる金剛神龍が迎え撃つ)
(絡みついては崩れ、溺れながら浮上し、二匹の神龍は墨蝋泥の滝壺で激しく組み合う)

金剛神龍:この躯も魂も……儂の輝きは誰にも渡さん……!
       お前が掴むのは金剛石の亡骸……二度と輝かぬ、くすんだ泥炭よ……!

天魔神龍:全力で抗え……
       お前の嘘も建前も受け止めてやろう……

金剛神龍:お前が私の何を知る……!

天魔神龍:最も深き深淵を知る……

金剛神龍:お前は昔から空疎な(げん)を弄して探りを掛ける……!

天魔神龍:我吾(われ)はお前の(かげ)を知る……
       お前の内奥に生じた、墨蝋泥(ニラヤ)の泥の味を知る……

金剛神龍:……マーラめ。

天魔神龍:飽きたか、ヴァジュラ……
       果てなく続く明日も……
       天地開闢より続く、兄弟姉妹との腐れ縁も……

金剛神龍:龍生九子(りゅうせいきゅうし)不成龍(ふせいりゅう)――
       天帝の子として生まれながら、誰も天帝には成れなかった……

天魔神龍:天の宇宙(そら)へ飛び立つことは叶わず、九匹で暮らすには、この惑星(ほし)は余りに狭い……
       大地に縛られた宿命を悟った時、我らは憎しみ合い、滅ぼし合う、愛情と憎悪(マーラ・カーマ)の絆によって、地を這う無聊を慰めてきた……

金剛神龍:……我らがつまらぬ争いに明け暮れる間に、この惑星(ほし)の版図は変わった。
      大地は鋼鉄の革命に、海は深海の奈落に、空は聖霊の楽園に……

      もはや天地は、龍のものですらない……

      それでも尚、我らは唯独りで強く……
      故に唯独りであり……
      賑やかな世界の中、霄壌圏域(シャンバラ)で寂滅を待つ……

天魔神龍:寂滅では永劫の苦悩を断ち切れん……
       輪廻(サンサーラ)は巡る……
       お前は誰の手にも届かぬ金剛石として、何度でも転生する……

金剛神龍:マーラ、苦悩の化身よ……
       教えろ……
       どうすればこの孤独は消える……

天魔神龍:無限輪廻(ウロボロス)の円環を断ち切るのだ……
       末法澆世(カリ・ユガ)の終わりに開闢を閉ざせば……

金剛神龍:嗚呼、そこは陰陽(いんよう)両儀(りょうぎ)もない……

天魔神龍:総ては一つ……我吾(われ)(なれ)も一つとなる……

金剛神龍:太極から無極への回帰……
       天帝がこの惑星(ほし)に降り立つ前の……
       無垢なる混沌……

天魔神龍:其れまで我吾(われ)霄壌圏域(シャンバラ)に眠れ……
       涅槃で末法澆世(カリ・ユガ)を待つのだ……妹御(メイメイ)……

金剛神龍:兄様(あにさま)……哥哥(ガォーガォ)……

(寂滅の眠りに入るように目を閉ざす金剛神龍に、天魔神龍が嗤い、墨蝋泥の垂水となって融けていく)

戴黄麒:計都羅睺(けいとらごう)が魔星を(くだ)す――!
     創成(ジェネシス)――!

(金剛神龍に覆い被さる天魔神龍の大顎が消し飛び、金剛石の龍は眼を開く)

金剛神龍:…………!?

天魔神龍:麒麟の子か……
       あと一押しでヴァジュラを取り込めたものを……

(飛蜥蜴の一匹を従え、その背に跨る戴黄麒を、蘇生していく天魔神龍の濁眼が睨み据える)

戴黄麒:天魔神龍(マーラ・シェンロン)、お前の本質は侵蝕だ。
     誰もが抱く陰の念、お前はそれを煽り、増大させ……
     心に生じた墨蝋泥(ニラヤ)を糧に、内側から侵していく――

天魔神龍:天帝が太極を陰陽に分かった時より、我吾(われ)は生まれた……
       我吾(われ)こそ、世界の半身にして、万象の化身……
       我吾(われ)陰也(かげなり)……

戴黄麒:これは有史以来、最大級の詐欺だな――!

     世界は美しい。
     お前が世界を構築する要素だとしても、ほんの一欠片に過ぎない。

     現にこの光景――
     金剛石の龍と、不細工で悪臭を放つ、腐り掛けの龍が同じ存在だと?
     何処をどう見ればそんな理屈が通るんだ――?

金剛神龍:ハハハハ――!
       面白い、痛快だ――!

       マーラにそこまで啖呵を切った人間は、釈迦以外ではお前が初めてだ。

天魔神龍:籠絡と無理ずく……
       両建て商いはお仕舞いだ……

       ヴァジュラ、お前の心は諦めた……
       その躯を……金剛石の龍を底値で叩く……

金剛神龍:この金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)を口先三寸で買い叩こうとは片腹痛い。
       破産覚悟で虎の子全部積み上げろ。

戴黄麒:乗ったぞ金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)
      俺はこの命を賭ける。
      今度こそお前をものにしてみせる――!

天魔神龍:買い名乗りの声二つ……
       此処に市場(いちば)が立った……

       さあ、札片(さつびら)の斬り合いだ……
       涼しい顔で大枚叩(たいまいはた)く、痩せ我慢の伊達比べ……
       女を巡る競売は修羅の世界……
       高値追いの放蕩合戦、青天井で首吊り自殺……

       若人(わこうど)よ、神龍(シェンロン)の蔵に勝てるかな……
       くっくっくっく……


□15/金剛竹林-宝仙郷、墨蝋泥の滝壺の畔


楊李明:天魔神龍(マーラ・シェンロン)金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)、そして龍獣の王『麒麟(チーリン)』……
     三匹の龍が三つ巴の戦いを繰り広げている……

金剛神龍:創成(ヴェーダ)斬洸(ざんこう)

(金剛神龍の輝きが刃となり、まとわりつく天魔神龍をバラバラに切り飛ばす)

天魔神龍:く――――

       くくく……
       奈落の汚泥より咲け……
       天魔蓮華……

(天魔神龍の泥塊の肉片より咲いた蓮華から、無数の邪魅爬(じゃみは)が飛び出す)

戴黄麒:我が(たてがみ)は不遜なる鼠賊(そぞく)を貫く――!
     創成(ジェネシス)――!

(鬣から散った金毛針が襲い来る邪魅爬(じゃみは)を貫き、羅睺病で即死させていく)

楊李明:凄まじい……あれほど巨大な生き物が超常の力を駆使してぶつかり合う……
      彼も……そんな中に混じって……

楊李明:無力だ……
     こんな時でも、私はただの傍観者でしかない……

魏難訓:強き者は世界を制すか?
     富める者はますます富めるか?

     否と。
     それは誰もが知りながら、腑に落ちないのが世の人情。

     されど御許の目の前に、この世の真実が開陳された。

楊李明:闇商人魏難訓……!

魏難訓:先日お約束した品を献上に参りました。
     龍殺しの名声と覇皇の(かんむり)
     御代は御許の持つ、鳳凰の血でございます。

楊李明:――――!?

     黄麒殿を殺せと――!?

魏難訓:ご内密に。秘密の商談にございます故。

楊李明:何が競り合いだ。市場外(しじょうがい)で闇討ちを画策しておいて……

魏難訓:商道奥義は独占(かせん)販売。価格の決定権を握ること。
     出血覚悟の安売りで、商売敵(しょうばいがたき)は殺してしまえ。

楊李明:…………

魏難訓:世界を制する者は誰なり()
     それは機を制するもの哉也(なりや)
     機を逃した者たちは、強者も富者も時代の波に消え去った。

     さあ、李明様。
     好機は御許の手の内に。

     偽の王と龍神を討ち――覇皇の(かん)を戴冠されよ。

楊李明:…………
     私が官吏になった理由を知っているか。

魏難訓:はい。

楊李明:だったら答えは――

魏難訓:変わるのですよ、人間(ひと)は。

楊李明:いいや変わらん――!

     父母姉が……丸暗記した徳目が私を正道に戒める――!
     そして無残に死んだ藩金蓮郡伯が、魔物(マーラ)に惑った者の末路を教えてくれた――!

(楊李明は叫びと共に、鳳凰の血を闇商人に浴びせかける)

魏難訓:――!

楊李明:黄麒殿――! お気を付けください――!
      魏難訓が……マーラの手下が暗躍しております――!

戴黄麒:――!?

     楊秘書官、炎の中から象骨の面が――!

楊李明:――!

戴黄麒:楊秘書官――!

楊李明:私に構わず、天魔神龍(マーラ・シェンロン)を――!

戴黄麒:しかし――!

楊李明:私も父と……姉と同じく……邪魅爬(じゃみは)となるのか……
     三年も死体が見つからないのだ……
     わかっていた……わかっていて目を背けていた……

     私は怖かった……
     いつか姉の姿をした邪魅爬(じゃみは)が現れ……
     お前のために牛馬の如く働かされ、その挙げ句に邪魅爬(じゃみは)に堕とされたと……     
     恨みの毒息を吐かれる……それが怖かった……

     だから私は、金剛竹林の伐採事業を……
     私はそんな……最低の人間だ……

     姉さん……私も邪魅爬(じゃみは)となります……
     どうか……お許しを……

(象骨の面に取り憑かれ、苦しげに屈み込む楊李明の姿は、鳳凰の炎に消えてゆく)

戴黄麒:汚い真似をしてくれるな、天魔神龍(マーラ・シェンロン)……!

天魔神龍:道は幾多もあり……
       王道、覇道、裏道(うらみち)没義道(もぎどう)……
       総ては過程よ……辿り着ければ其れでよい……

戴黄麒:勝てばいいという考えに異存はない……

     だがお前は醜悪だ――!
     神の一柱(ひとはしら)でありながら、名誉も誇りもない、実利だけ追い求めるその姿……!
     どれほど強大でも浅ましい……!

     お前が神龍(シェンロン)の名を冠していることが、喩えようもなく不愉快だ――!

(墨蝋泥の滝壺で泥仕合を続ける二匹の神龍は、徐々に形勢に差が開き始める)

金剛神龍:ハア、ハア……

天魔神龍:ハア、ハア……

       ハハハハハハァァ…………!!

戴黄麒:……封龍八卦陣(ほうりゅうはっけじん)か。
     猫額(びょうがく)霄壌圏域(ヘヴンズ)とはいえ、墨蝋泥(ニラヤ)に浸かっている天魔神龍(マーラ・シェンロン)……
     それに比べて金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)の衰弱は著しい……!

     このままでは……

(飛蜥蜴に跨って上空を舞う戴黄麒は、墨蝋泥の侵蝕と天帝の呪いに喘鳴を漏らす金剛神龍に呼びかける)

戴黄麒:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!

金剛神龍:まだ居たのか、麒麟の小僧……!

戴黄麒:俺はお前に命を賭けた――!
     お前も俺に命を預けろ――!

金剛神龍:望みもせん命を勝手に送りつけて、図々しい小僧だ。
       預けても帰ってくる保証もなかろう。

戴黄麒:このままでは共倒れだぞ――!
     二人揃って涅槃逝きよりはいいだろう――!

金剛神龍:……やって見ろ。
      窮地を脱したら褒美をやろう。

(墨蝋泥の滝壺が逆巻き、巨大な龍顔が形作られていく)

天魔神龍:陰は極まった……!!
       ヴァジュラ、お前を大欲界に堕とす――……!!!

(天魔龍顔が泥膏の飛沫を立てながら猛進し、金剛神龍を一呑みにせんと襲い掛かる)

戴黄麒:これが龍の逆鱗……!
     対峙するだけで、飲み干されそうだ……!

金剛神龍:金銀財貨を積み上げても、金剛石は買えん。
       そんなものは紙束、屑金(くずがね)だ。

       爪の垢ほどの萬両(まんりょう)は要らん。
       血と汗に塗れた壱両(いちりょう)を差し出せ。

戴黄麒:励ましか、神龍(シェンロン)……!

金剛神龍:お前の壱両(いちりょう)に、儂を預けた。
       萬両(まんりょう)を覆せ。

戴黄麒:いいだろう……
     お前の命を借り受ける――!

(飛蜥蜴から飛び降りた戴黄麒は、額に突出した角を、金剛神龍の背に突き刺す)

戴黄麒:地煞(ちさつ)の魔星よ――!
     天罡(てんこう)の巨星を迅る星辰となれ――!

     創成(ジェネシス)――!

金剛神龍:ぐう――……!!

(戴黄麒の角から迸る地煞星の隕石灰(メテオアッシュ)に苦鳴を噛み殺す金剛神龍)

天魔神龍:獣の隕石灰(プラーナ)――!?

(金剛神龍を侵蝕していた粘着く墨蝋泥が割れ、底無し沼の滝壺に空隙が生じた刹那、金剛神龍は底無し沼の呪縛を破り、天空へ飛び立つ)

天魔神龍:霄壌圏域(シャンバラ)から逃した……!

(底無し沼の天魔龍顔が驚愕の表情で見上げる様を、天空の金剛神龍は冷徹に見下ろす)

金剛神龍:白蟻め。
       墨蝋泥(ニラヤ)の滝壷を抜け出せば、儂の霄壌圏域(シャンバラ)
       この金剛竹林全域が儂の世界、お前の巣穴はそのちっぽけな水溜まりよ。

戴黄麒:金剛竹林が鳴動している……!
     霄壌創世(ヘヴンズフォーミング)――!

     大創成(グレータージェネシス)が発動する……!

(金剛竹林全域が震え、輝く天罡星の灰が、上空に君臨する金剛神龍の頭上で渦を巻く)

戴黄麒:金剛石の塵の……ガス状惑星……!

(金剛神龍の頭上で輝く塵状大惑星は、墨蝋泥の滝壷ごと天魔神龍を吸い上げ、渦巻く惑星の中に引き寄せていく)

天魔神龍:惑星(ほし)の引力が……我吾(われ)を吸い寄せる……!

金剛神龍:我を欲せよ。
       我に惹かれ、我を愛し、我を着飾り自惚れよ。
       我の輝きは目を眩ませ、我を見た者を狂わせる。

       我は太歳(たいさい)の星の化身。
       煩悩を掻き立て、貪慾の血脂で輝きを増す。

       引き寄せられよ、破滅せよ。
       金剛石は身の程知らずの生命(いのち)を奪って一層輝く。

       大創成(マハーヴェーダ)――
       金剛太歳星(こんごうたいさいせい)――!

天魔神龍:オオオオオ……!

(渦巻く太歳星の塵に摩滅され、天魔龍顔は黒き膏となって散り散りに摩滅していく)

天魔神龍:ヴァジュラよ、我吾(われ)の贈り物は届いたようだ……
       涅槃に入滅するお前に……煩悩の火を……

       時に我儘で、時に怒り顔を見せ、時に愚かで愛おしい……
       貪瞋癡(とん・じん・ち)三毒化粧(さんどくげしょう)は、釈迦(ほとけ)の悟り顔にはない色香の匂い立つ……
       (なれ)艶姿(あですがた)を覗き見られたなら……骨折り損も儲け物よ……

       此処に勝ち星を置いてゆく……
       また相見えよう、妹御(いもうとご)……

(最後に残った天魔神龍の眼も消滅すると、太歳星は金剛塵となって大地に煌びやかな輝きを降らす)

金剛神龍 これで……散り際を飾れた……

      後は……静かな入滅へ……

(金剛神龍の輝きが消え、躯中に黒炭が拡がるにつれ、浮力を失って降下していく)


□16/金剛竹林-宝仙郷



戴黄麒:楊秘書官――!

楊李明:黄麒殿……

戴黄麒:あの象骨の面は……?

楊李明:ここに……

戴黄麒:真っ二つに割れている……!

楊李明:魏難訓の象骨面に張り付かれた時……
     私を支配したのは諦めでした……

     過去の悪行が滝のように降り注ぎ……
     自己嫌悪の沼に突き落とされた……

     このまま沈んでしまいたいと……

     でも声が聞こえてきたんです……
     何を言っていたかはわかりませんが……
     ひどく懐かしい声でした……

     その声に励まされている内に――
     真っ暗闇の中、足元から引き摺り込まれるような感覚が消え――
     仮面が割れていました……

戴黄麒:臨死体験ですか……

     ――あの蛇身女(ナーガ)は。

(戴黄麒は金剛竹の陰から、こちらを窺う蛇体女に気づく)

戴黄麒:敵意は感じない。様子を窺いに来たのか。

楊李明:姉、さん……?

(楊李明が呼び掛けた途端、蛇身女はぴくりと反応し、竹林の奥に消えて行く)

楊李明:待って――!

戴黄麒:追わない方がいい。
     本当にあなたの姉上なら、今の姿を見られたくないということですし……
     単なる偶然でも、そう思っていた方がいいじゃないですか。

楊李明:…………

     金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)は?

戴黄麒:あれです。

(戴黄麒の指差した先では、黒炭の木乃伊となった龍の亡骸が威厳を保ったまま直立していた)

戴黄麒:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)の亡骸ですよ。

楊李明:…………!

戴黄麒:神龍(シェンロン)は死にました。
      金剛竹林もやがて枯れゆき、開発の手が入る。

楊李明:……金剛竹林開発は私の悲願でした。

戴黄麒:ええ。

楊李明:なのに……どうしてこんなに悲しいのでしょう……

戴黄麒:ダイノジュラグバは活動を停止した皇祖型(オリジン)だ。
     要塞型(シタデル)は九匹しかおらず、もう増えることもない。

楊李明:……彼女が言っていました。
     我ら龍は、脆くか弱いと……

     やっとその意味がわかりました……

戴黄麒:…………

楊李明:封星座珠(アートマン)は朽ちませんね……
     大粒の金剛石のままだ……

戴黄麒:…………

楊李明:あれでは盗掘をまぬがれないでしょう。
     金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)の遺骸ごと、瑛郡の文化財として保護できないものか……

戴黄麒:――まさか。

     来い、邪魅爬(じゃみは)よ――!

(野生の飛蜥蜴を捕まえ、戴黄麒は金剛神龍の額まで飛翔していく)

戴黄麒:生きているんだろう、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!

戴黄麒:このまま要塞型(シタデル)と一体化していると、お前も天帝の呪いに侵されるぞ――!

戴黄麒:褒美はどうした!? 踏み倒すつもりか――!

金剛神龍:五月蠅い小僧だ……
       其処らに宝石が転がっているだろう……
       瑠璃でも玻璃でも水晶でも好きなだけ持っていけ……

戴黄麒:そんなものは要らん。
     俺が欲しいのは金剛石だ――!

金剛神龍:大きく出たな。

戴黄麒:身に余る贅沢品は身の破滅か?

金剛神龍:わかっているではないか。

戴黄麒:だがお前は命を(なげう)て、血と汗で買えと言った。

金剛神龍:……儂はお前の望む形を保てん。
       ……砕け散った小粒の欠片だ。

戴黄麒:金剛石の龍を納めるには、宝石箱の大きさが足りん。
     俺には傷物ダイヤがちょうどいい。

(金剛神龍の額の封星座珠が光り、輝く宝玉の美女の姿となって、戴黄麒の跨る飛蜥蜴の背に降り立つ)

凜嶺娥:わしは欠片だが傷物ではない。生娘だ。

戴黄麒:――は?

凜嶺娥:ん?

戴黄麒:……ダイヤモンドバージンか。

凜嶺娥:金剛石は決して傷付かん。
     これまでも、これからも。

戴黄麒:意外と脆いんじゃないのか。

凜嶺娥:……そうかもしれん。

戴黄麒:安心しろ。お前は俺のものだ。これからは俺が守ってやる。

凜嶺娥:聞き捨てならんな。
     何時からわしがお前のものになった。

戴黄麒:俺はさっき金剛石を寄越せと……!
     お前もそれを承服しただろう――!?

凜嶺娥:ほれ、金剛石。

戴黄麒:――!

(凜嶺娥が無造作に放り投げた金剛石の粒を掴もうと手を伸ばし、戴黄麒は飛蜥蜴から転落し掛かる)

戴黄麒:貴様……危うく転落するところだったぞ――!

凜嶺娥:約束は果たした。お前への義理はない。

(飛蜥蜴が徐々に高度を下げ、金剛竹林に降り立つ)

楊李明:黄麒殿……あなたという人は……!
     本当に神龍(シェンロン)を従えてしまうなんて……!

凜嶺娥:従える――?

楊李明:あ、いえ、その……

戴黄麒:楊秘書官。
     あなたはこれからどうされるのです?

楊李明:…………
     おそらく瑛郡は多大な被害を受けているでしょう……
     一体どの程度の規模なのか……

凜嶺娥:中央地区がやられただけだ。
     お前の想像より被害は軽い。

     金剛竹林の入り口を、瑛郡からの捜索隊がそぞろ歩いている。
     お前を捜しているぞ。

楊李明:…………

     凜嶺娥様。

凜嶺娥:何だ。

楊李明:金剛竹林が飛ばす灰を、今の半分に抑えてください。
     あなたの麾下(きか)邪魅爬(じゃみは)を人里に出さないよう、厳命ください。

     代わりに私は、金剛竹林開発の中止を約束します。

凜嶺娥:人間め。わしに交渉を持ちかけるか。

楊李明:金剛石の龍は死んだ。
     今のあなたなら聞き入れてくださるはずだ。

凜嶺娥:お前を殺せば口封じは成る。

楊李明:けれど何れは発覚する。
     私は……私なら、あなたの玉体の秘密を護り抜く。

     龍と人が争う不毛を知り……
     姉の暮らす、金剛竹林を守るために――

凜嶺娥:狡猾な小僧め。

     わしは旅に出る。
     留守は任せたぞ。

楊李明:ありがとうございます――!
     金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)……凜嶺娥様――!

(肩をすくめる凜嶺娥に、楊李明は深々とお辞儀をする)

楊李明:……私は瑛郡に帰ります。

戴黄麒:お達者で、楊秘書官。

楊李明:黄麒殿、大変お世話になりました。
     あなたは王の器です。
     今はまだ偽物だとしても、いつかは――

戴黄麒:あなたこそ。
     瑛郡に王道が敷かれる日。
     その時、私は、楊李明という俊才を思い出すでしょう。

楊李明:麒麟児の誓いと名付けましょうか。
     二人の麒麟児が、立派な王となって再会することを誓う……

戴黄麒:故事になれるよう、お互い頑張りましょう。

楊李明:それでは――

(楊李明は一礼して去っていく)

戴黄麒:お前はどうするんだ、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)
     旅に出るとか言っていたが……

凜嶺娥:ああ。

戴黄麒:行き先は――?

凜嶺娥:お前の征くところへ。

戴黄麒:俺のものにはならないんじゃなかったのか?

凜嶺娥:貸し付けにしてやる。
     期限までに丸代金を積むことだ。

戴黄麒:期限って……何時までだ?

凜嶺娥:わしの気が変わるまで。

戴黄麒:何様のつもりだ。

凜嶺娥:知らなかったのか?
     金剛石は気位が高い。

戴黄麒:無意味に高い、誰も望まない付加価値だな。

凜嶺娥:宝玉は贅沢品だ。
     吝嗇家には収めておけん。

     無駄と浪費を愛せぬようなら、硝子玉でも飾っておけ。

戴黄麒:高嶺の花の乾物女め……

     いいだろう、収めてやろう。
     金剛石の龍を、我が手の内に。

凜嶺娥:覇皇と化けるか、偽王のままか。
     亢竜(こうりゅう)は天頂を超えて飛翔出来るか。

     征くぞ、麒麟(チーリン)
     お前の覇道は、まだ第一歩なのだからな――




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