ゲネシスタ-隕星の創造者-

6話-毒蛇上天(どくじゃじょうてん)-

★配役:♂2♀2両1=計5人

戴黄麒(たいおうき)
18歳。
黒髪黒瞳の道人(どうじん)の少年。
華僑である両親を早くに亡くし、少なからぬ遺産で悠々自適の生活を送りながら中央官僚を目指す書生。
――という肩書きで、龍仙皇国を流離う『始皇帝』の落胤。

父親は龍仙皇国の『始皇帝』こと『覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)』。
天帝盤古龍(パングーロン)の創り出した九柱の要塞型(シタデル)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱であり、筆頭である。
母親は『妲己(だっき)』とも『玉藻前(たまものまえ)』とも呼ばれたギオガイザー系譜の要塞型(シタデル)九尾狐(きゅうびのきつね)』。

本来なら異系譜の降魔同士で受精は起こらず、稀に受精に至っても奇形や虚弱など遺伝子疾患を抱えているケースが多数を占める。
しかし戴黄麒は両親の隕石灰(メテオアッシュ)を正常に受け継ぎ、龍であり獣である、龍獣(りゅうじゅう)麒麟(チーリン)』となった。

ダイノジュラグバとギオガイザーの二系譜を跨る偽王型(レプリカロード)
二系譜の総督型(プレジデント)に準ずる権能を有する。
軍兵型(カデット)を支配し、指令型(エリート)に対しても一定以上の影響力を持つ。
霄壌圏域(ヘヴンズ)の一部にも接続可能であるため、要塞型(シタデル)にとっても驚異となりうる。
ただし、本物の総督型(プレジデント)には一段劣り、上位種と真正面から衝突すれば劣勢は必至である。

ダイノジュラグバとギオガイザーの混血から産まれた『麒麟』は、龍と獣の天敵であり、新種の反逆型(ミーティア)と言える。

封星座珠:【瑞兆角】

凜嶺娥(りんれいが)
済州(さいしゅう)の金剛竹林に棲まう仙人(せんじん)の女。
金剛石のように透明で煌びやかな美貌に輝く宝玉の美女。
鎖骨の窪みに金剛石の宝珠が埋まっており、隕石灰(メテオアッシュ)を知覚する封星座珠(ホロスコープ)となっている。

ダイノジュラグバ系譜の要塞型(シタデル)金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)
ダイノジュラグバこと天帝盤古龍(パングーロン)の創り出した九柱の要塞型(シタデル)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱。
龍の遺伝子を受け継ぐ仙人ではなく、龍の化身した神人(しんじん)である。

龍魄(りゅうはく)という、神龍(シェンロン)の魂。
五千年前の『封龍の儀』より、神龍(シェンロン)たちは躯から魂を剥離された。
ある者は龍魄のまま彷徨い、ある者は眷属の降魔を乗っ取り、ある者は寄生型(メタビオス)に宿り宝貝(パオペエ)となった。
何れの神龍(シェンロン)たちも、かつての天地を支配した権能からは程遠く、時偶世上の噂話に上る、伝承上の存在となった。

凜嶺娥は、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)鎮守造偶(デミウルゴン)であり、龍魄を埋め込んだ化身である。

封星座珠:【金剛龍玉髄】

楊李明(ようりめい)
15歳。
済州瑛郡の秘書官で、道人の少年。
利発で端整な顔立ちの少年で、藩金蓮の寵愛を受けている。

父は道人で、母は猩人の家に生まれる。
降魔絡みで不幸な幼少期を過ごし、家族を亡くした。
金剛竹林の開発に執念を燃やし、凜嶺娥を憎んでいる。

藩金蓮(はんきんれん)
38歳。道人の女。
現・瑛郡伯。
病死した夫の瑛郡伯(えいぐんはく)潘洵(はんじゅん)の跡を継ぐ形で、現・瑛郡伯となった。
汚職や収賄の噂が絶えず、『瑛郡(えいぐん)の悪女』とあだ名されている。

元々は花柳の売春婦だった。
魏難訓と出会ったことで、悪女としての才を開花させる。

魏難訓(ぎなんくん)
年齢・性別不詳。
『極楽浄土の切符から、地獄の沙汰の買収工作まで承る』闇商人。
魏難訓は一人ではなく、謎の商人集団の通名である。
皆一様に、不気味な象骨面(ぞうこつめん)を被り、暗色の天竺織(てんじくおり)を纏っている。

象骨面は、邪眼象(ギリメカラ)の骨に龍魄(りゅうはく)の欠片を埋め込んだ寄生型(メタビオス)の一種。
象骨面を被せられた者は、要塞型(シタデル)の傀儡となり、数々の悪事を代行する。

天陰(てんいん)
射干玉の黒髪と蒼醒めた肌を持つ仙人の男。
闇商人魏難訓の元締めであり、同じく不気味な象骨面を被る。

ダイノジュラグバ系譜の要塞型(シタデル)天魔神龍(マーラ・シェンロン)
ダイノジュラグバこと天帝盤古龍(パングーロン)の創り出した九柱の要塞型(シタデル)龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一柱。
龍の遺伝子を受け継ぐ仙人ではなく、龍の化身した神人(しんじん)である。

天陰は、天魔神龍(マーラ・シェンロン)鎮守造偶(デミウルゴン)であり、龍魄を埋め込んだ化身である。
龍仙皇国の大地は、要塞型(シタデル)殺しの大創成(グレータージェネシス)封龍八卦陣(ほうりゅうはっけじん)』が恒常的に発動している。
天魔神龍(マーラ・シェンロン)の本体は霄壌圏域(ヘヴンズ)『大欲界』に籠もり、配下の魏難訓を操り、皇国転覆の機会を窺っている。

※以下は被り推奨です

玉藻前(たまものまえ)
金の眼と銀の髪を流し、白絹の衣を纏う猩人の女。

ギオガイザー系譜の要塞型(シタデル)『白面金銀妖瞳九尾狐』。
古代より、生まれ持った美貌と金銀妖瞳で、時の権力者を籠絡し、幾つもの国を傾けた。
戴黄麒の母親である。


※ルビを振ってある漢字はルビを、振ってない漢字はそのまま呼んでください。

ゲネシスタwiki 劇中の参考になれば幸いです。



□1/無意識の淵、暗闇の世界


(暗黒の世界、行燈の灯る一角で、着物姿の女が啜り泣いている)

玉藻前:口惜しい……嗚呼、口惜しい……

戴黄麒:あれは……

玉藻前:金と銀の(まなこ)を閉じれば、蘇る……
     衆目の前で龍に組み伏せられ、陵辱される九尾の姫……
     苦痛と羞恥の記憶と共に、時の絵巻物に記された……

     獣が龍に屈した日……

戴黄麒:母上……!

玉藻前:龍に犯され、醜く膨らんだ(はら)……
     けれどこの(はら)腫瘍(こぶ)に、龍を殺す呪詛(のろい)が育っていると……
     皇国の地を追われ、逃げ延びた島国で、怨讐の鬼火を燃やした……

(啜り泣く女の前に、幼少期の戴黄麒が現れ、女は幼い戴黄麒に憎悪の目を向ける)

玉藻前:嗚呼、惰弱な鬼子よ……!
     お前は龍の子でも、獣の子でもありませぬ……!
     道人(どうじん)……唯人(ただびと)の子でした……!

戴黄麒:母上――! お聞きください――!
     私は龍を(たお)しました――! 金剛石の龍を――!
     次は覇皇の首を母上の墓前に――

(振り返った玉藻前の金銀妖瞳は、金剛石の眼に凝結し、凜嶺娥が嗤笑する)

凜嶺娥:覇皇を(たお)すだと――?
     弱ったわしを騙し討ちにした偽王(ぎおう)が、覇皇を(たお)せる道理は無かろう。

戴黄麒:黙れ金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!
     お前たち龍の時代は、五千年も前に幕を閉じた――!

     貴様は死んだ――!
     俺が(たお)した――!

凜嶺娥:わしは滅んでなどおらぬ。
     金剛石は、決して砕けん。

戴黄麒:何度でも殺してやる、神龍(シェンロン)――!
     お前たち龍は、俺の、母上の運命をもてあそんだ――!

凜嶺娥:そうだ、憎め。
     わしを殺しに来い。
     お前ならば、この金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)を殺せるやもしれん。
     
     さっさと目覚めろ、小僧。
     待っているぞ――


□2/済州瑛郡、郡営病院の病室


戴黄麒:はあ、はあ……

楊李明:黄麒殿、黄麒殿――!

戴黄麒:……楊秘書官ですか。

楊李明:随分うなされておいででしたね。
     医者を呼んで参りましょう。

戴黄麒:……ご心配には及びません。
     悪い夢を見ただけです。

楊李明:そうですか。お怪我の具合は?

戴黄麒:お陰様で。

楊李明:それは良かった。
     藩金蓮郡伯も黄麒殿の容体を大変案じておられました。

戴黄麒:藩金蓮郡伯ですか。

楊李明:はい。
     快方祝いにささやかな宴会を開きたいと。

戴黄麒:それはありがたい。
     ぜひお会いしたいと伝えてください。


□3/瑛郡、高級料亭


藩金蓮:病み上がりのところ、御足労煩わせた。
      わらわが藩金蓮。瑛郡(えいぐん)の領主じゃ。

戴黄麒:この度は私のために宴の席を設けていただき、恐縮です。
     私は戴黄麒。
     世の見聞を広めるべく皇国を巡っている放蕩書生です。

藩金蓮:放蕩書生とはご謙遜を。
     金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)を打ち倒した大立ち回り、そこの李明より聞き及んでおりますぞ。

戴黄麒:……凜嶺娥は生きているのですね。

藩金蓮:うむ。郊外の獄舎に厳重体制で捕えてある。
     気に喰わぬか?

戴黄麒:あの女に興味はありません。
     単なる腕試しです。処遇はお好きなように。

藩金蓮:腕試しに龍殺しとは、先秦(せんしん)の英雄譚の如しじゃな。
     それも邪魅爬(じゃみは)ではなく神龍(シェンロン)――
     封龍演義(ほうりゅうえんぎ)の真似事か?

戴黄麒:封龍演義(ほうりゅうえんぎ)ですか。
     あんなものは茶番です。

     始皇帝は神龍(シェンロン)を殺してなどいません。
     ただ封印しただけだ。

藩金蓮:それに引き替え、そなたは神龍(シェンロン)を殺して見せた?

戴黄麒:ええ。殺し損なったのだから、私も始皇帝と五十歩百歩ですが。

藩金蓮:ほほほほ。
     李明、黄麒殿は常日頃からこんな調子か?

楊李明:はい……傍で聞く私がヒヤヒヤするほど。

藩金蓮:自信と自惚れは覇王の資質じゃ。
     わらわは気に入った。

     今後ともよろしく頼むぞ。

戴黄麒:お褒めに預かり恐縮です。
     金剛竹林開発――
     文字通り、破竹の勢いで事業を進めましょう。

藩金蓮:頼もしい言葉じゃ。
      のう李明――?

楊李明:はい。

(部屋の戸が開かれ、仲居が楊李明を呼ぶ)

楊李明:どうしました――?

     郡伯閣下、郡庁から火急の用件とのこと。
     事実関係の確認に向かいたいのですが――

藩金蓮:行ってこい。

楊李明:かしこまりました。

     では――

(楊李明が部屋を出て行った後、戴黄麒が呟く)

戴黄麒:楊秘書官、お若いのに優秀な方ですね。

藩金蓮:気も回れば、頭も回る。
     それに紅顔の美少年。

戴黄麒:郡伯の側近は美男子揃いですね。

藩金蓮:目の保養になろう?
     この身分になって、スケベ親父どもの気持ちがわかったわ。

戴黄麒:税を使って陰間茶屋(かげまちゃや)とは、噂通りの悪女ぶりですね。
     秘書官は、公平な試験で選ばれるという触れ込みでしたが?

藩金蓮:はっ、誰でも出来る雑用仕事だ。
     顔以外に何があるんだい。

     わかりきったこと言わせんじゃないよ。

(郡伯の口調を崩した藩金蓮は、煙管に火を落とし、たっぷり吸い込んでから、煙混じりの嗤笑を吐き出す)

藩金蓮:ふー……

     戴黄麒、あんたも小姓に加えてやろうかい。
     顔だけで値付けするなら、ま、便所掃除ってとこだね。

戴黄麒:噂以上の悪女ぶりだ。
     元が女郎屋の安娼婦という話は本当だったようだな。

藩金蓮:値踏みされたのがそんなに癪かい。
     女はいつもやられてんだよ。
     あたいぐらいになりゃ、馬鹿なジジイどもを騙くらかすのが快感になるけどね。

戴黄麒:おいおい、勘違いしないでくれ。
     色惚けした年増女にどう思われようと知ったことじゃない。

     俺が用があるのは、郡伯としてのあんただ。

藩金蓮:ぶっ殺したくなるぐらい可愛いガキだね。
     あたいも興味があるのは、あんたのご立派な角さ。

戴黄麒:俺は麒麟(チーリン)
     ダイノジュラグバ系譜とギオガイザー系譜を跨る偽王型(レプリカロード)
     俺以外には存在例がない、固有種の降魔(ゲネシスタ)だ。

藩金蓮:麒麟(チーリン)……
     龍と獣の合の子ってことかい。

戴黄麒:俺の能力は三つ。

     一つはダイノジュラグバとギオガイザーの総督型(プレジデント)に成りすますこと。

     もう一つは、降魔(ゲネシスタ)の創成に割り込みを掛けること。
     これはダイノジュラグバとギオガイザーに限定されるが。

     最後の一つは、龍と獣に羅睺病(らごうびょう)――
     アナフィラキシーショックを引き起こし、即死させることだ。

藩金蓮:報告の通りだね。
     まだ何か隠してるんじゃないかい?

戴黄麒:さあね。

藩金蓮:あんたのご自慢の角だけど、凜嶺娥は生きてるじゃないか。

戴黄麒:生け捕りにするため、手加減してやったのさ。
     時期が来れば昇天させてやる。

藩金蓮:吹かしてるんじゃないよ、童貞小僧。

(剣呑な空気が流れる二人の部屋に、青ざめた顔で飛び込んでくる楊李明)

楊李明:報告致します。

     町内8カ所で連続殺傷事件が発生。
     5人が死亡、20人以上が重軽傷。
     傷口から邪魅爬(じゃみは)による噛み傷と推測されますが、目撃者はおらず……
     まるでかまいたちのように傷を作っていったと――

(料亭の中庭から鋭い悲鳴が響き渡る)

楊李明:悲鳴――!?

戴黄麒:中庭からだ。この料亭が9カ所目のようですね。

藩金蓮:戴黄麒、おぬしの見せ場が到来したぞ。

戴黄麒:郡伯閣下に献上しましょう。
     正体不明の邪魅爬(じゃみは)の剥製を。

(灯篭の灯る中庭に出た黄麒は暗闇に潜む気配を探る)

戴黄麒:確かに気配はあるが姿は見えない。
     だが俺には何の意味もない。

     龍獣の王が勅命(みことのり)を下す。

     竜よ、地に落ちろ。
     砕けよ。

(ガラスの砕けるような音と共に、周囲を飛び交っていた気配が消失する)

藩金蓮:終わったか。

楊李明:邪魅爬(じゃみは)はどこに――!?

戴黄麒:楊秘書官の足元にいますよ。

楊李明:これは――! 水晶の欠片――!?

戴黄麒:飛蜥蜴(とびとかげ)の亜種ですね。
     細胞が水晶質(クリスタル)に置き換わっている。

藩金蓮:この夜の暗がりじゃ。
     それで警吏(けいり)どもは気づけなかったというわけじゃな。

楊李明:この飛蜥蜴(とびとかげ)の亜種はやはり……

戴黄麒:金剛竹林からでしょうね。
     金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)隕石灰(メテオアッシュ)を浴びて変態したのでしょう。

藩金蓮:凜嶺娥が呼び寄せたのか?

戴黄麒:いいえ、その可能性はゼロです。

藩金蓮:理由は?

戴黄麒:神の命は王の命より優越する。
     しかしこの降魔(ゲネシスタ)は私の命に従った。

藩金蓮:麒麟と神龍では、神龍が格上と。

戴黄麒:要塞型(シタデル)総督型(プレジデント)ですからね。
     凜嶺娥が不在になったことで、人里まで獲物を襲いに出てきたのでしょう。

藩金蓮:仮に凜嶺娥を殺せば、済州の邪魅爬(じゃみは)は全ておぬしの支配下に入るのか?

戴黄麒:神を殺せば、降魔(ゲネシスタ)は王の支配下に入る。
      しかし手に入らないものが一つあります。

藩金蓮:なんじゃ。

戴黄麒:神自身ですよ。

藩金蓮:――――

     凜嶺娥を生かしておけと?

楊李明:――――!!

     お待ちください――!
     凜嶺娥は瑛郡を苦しめた邪龍の化身!
     あの者が弱った今こそ好機――!
     奴を仕留め、後世(こうせい)(まが)を絶つべきです――!

藩金蓮:ようわかった。お前の言うことはもっともじゃ。

楊李明:では――!

藩金蓮:凜嶺娥の処遇は――
     戴黄麒、そなたに一任する。

     必ずやわらわの――瑛郡の役に立てよ。

戴黄麒:ありがたき幸せ。
     閣下のため、龍を飼い慣らしてご覧に入れましょう。

楊李明:そんな――……

     藩金蓮様……
     姉さん……


□4/瑛郡郊外、苔生した石造りの地下牢



(妖獣の骨格子の向こう側、妖獣の血を塗られ、紅に濡れた金剛石の女が佇んでいる)

凜嶺娥:…………
     ……籠の中の龍か。

     何用だ、小僧。

楊李明:……妖獣の生き血は、龍を弱める毒汁となる。
     三皇(さんおう)の一人、神農(しんのう)の医術書の通りだ。

凜嶺娥:……地煞星(ちさつせい)隕石灰(プラーナ)がわしを蝕む。
     ……力が入らん。よく調べたものだ。

楊李明:凜嶺娥……金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)……
     お前に聞いてみたかった……

     何故お前は、魔星(ませい)の星屑を撒き散らし、我々を苦しめる――?

凜嶺娥:苦しめる?
     お前たちなど眼中にもない。

     金剛竹林は九龍(クーロン)の時代より、わしの霄壌圏域(シャンバラ)だ。
     お前たち人間が勝手に押しかけてきて、勝手に苦しみ、勝手にわしを怨む。

楊李明:お前の理屈は公害を垂れ流し、空や海を汚す人類統合体と同じだ――!
     何故人間に歩み寄れない――?
     天地に等しい年月を生きた、最も偉大な生き物……神龍(シェンロン)が――!

凜嶺娥:誉め殺しか?

     わしは脆くか弱い。
     お前たち人間や獣どもこそ、我ら龍を虐げている。

楊李明:何を言っている……!?

凜嶺娥:考えても見ろ。
     わしの兄弟姉妹は、たった九匹。
     龍は、数を減らしていく一方だ。

     お前たち人間は、産めよ増やせよで、地上に溢れかえってゆく。
     どちらが強く、どちらが弱い。

楊李明:……お前の目線は、高すぎて見えないのだろう。
     繁栄を謳歌しているように見える人の群れの中で、泣き笑い、死んでいった一人一人のことは。

     私の姉は……お前から見れば砂粒のような世界で生き、金剛竹林で殺された。

凜嶺娥:そうか。

楊李明:……それだけか?

凜嶺娥:叩き潰した藪蚊(やぶか)に恨み言を言われて、どう答える?

楊李明:さすがは龍だ。人間を蚊に喩えるか。

凜嶺娥:何千年経っても人間の恨み言は、中身が同じだ。

     つまらん。消えろ。

楊李明:消えるのはお前の方だ――!

(楊李明は壺に入れた真っ赤に煮え立つ血を、骨の格子越しにぶち撒ける)

凜嶺娥:この血は……鳳凰の生き血!?

(煮え立つ血に塗れた凜嶺娥に、哄笑を放つ楊李明が松明の火を投げつける)

楊李明:鳳凰の炎は、神龍も焼き殺す浄化の炎――!
     燃えろ、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!!

戴黄麒:龍獣の王が勅命(みことのり)を下す。

     鎮まれ、鳳凰の炎よ。

楊李明:黄麒殿――!

戴黄麒:これはとんだ背任行為ですね、楊秘書官?

楊李明:止めないでください。
     凜嶺娥は姉の――私の人生を狂わせた仇なのです――!!

戴黄麒:生憎と私も、母の仇討ちに彼女が必要なのですよ。
     凜嶺娥――金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)の力が。

楊李明:…………

     私の所行は――……

戴黄麒:さて、どうしましょうか。
     藩金蓮郡伯に報告するか否か。
     あなたの行く末は、私の胸先三寸一つというところですね。

楊李明:……!

戴黄麒:お引き取り願えますか、楊秘書官。
     私は彼女と二人きりで話したいのでね。

楊李明:黄麒殿、あなたは……

     …………

(楊李明はうなだれ、力無く地下牢を後にする)


□5/瑛郡郊外、うらぶれた裏街道



楊李明:無力だ……
     郡伯閣下の信頼は、新参者の戴黄麒殿に置かれている。
   
     いや、それも当然のこと……
     国中の誰もが知っているではないか……
     私が藩金蓮様の男娼婦(おとこじょうふ)に過ぎないということは……

楊李明:多少の学問が出来る……
     顔立ちが僅かばかり整っている……

     そんなことが一体何になる……
     権力者のご機嫌伺いをする小姓になれるだけじゃないか……

     何故黄麒殿に反発を覚えたか、今ならわかる……
     私は力が欲しかったのだ……
     誰かに媚びへつらって叶えてもらうのでない……
     私自身で事を為せる力が……

魏難訓:極楽浄土の切符から、地獄の沙汰の買収工作まで。

     天竺(てんじく)萬商(よろずしょう)魏難訓。
     歓迎降臨(ファンイン・クァンリン)歓迎降臨(ファンイン・クァンリン)

楊李明:お前は……闇商人魏難訓……!
     闇市の一斉摘発で、瑛郡から一掃されたはず……

魏難訓:人間二人、物々交換を始めれば、そこに市場(いちば)の萌芽が芽吹く。
     交換はやめられない。故に市場はなくならない。

楊李明:…………

魏難訓:力をご所望ですか?

楊李明:…………!
     聞いていたのか……!

魏難訓:商売の種は、一粒たりとも見逃しません。

楊李明:……降魔丹(こうまたん)ではあるまいな?

魏難訓:この魏難訓、七福神に誓って、望まぬ物を押し売りしたことはございません。

楊李明:……なら私に力をくれ。
     麒麟の角にも操られず、神龍も凌ぐ力を。

     どうだ、出来まい。
     邪魅爬(じゃみは)に変えるだけでは、凜嶺娥はおろか戴黄麒にも及ばない。

魏難訓:畏まりました。用立てましょう。

楊李明:……!?

     出来るのか!?

魏難訓:買いの声あらば、売りの声あり。
      売り買いの声が遠いほど、利鞘も膨らむ。

楊李明:私に何を望む……?
      金も権力もない、ただの小姓だぞ……

魏難訓:御代は格安に負けておきましょう。
      栄達後に、どうぞ吾儕(わなみ)を御重用くださいませ。

楊李明:…………

魏難訓:それでは品が入荷次第、ご連絡に参上致します。
     再見(サイチェン)――

楊李明:奴は何者なのだ……
     私は……魔物(マーラ)と取引を交わしてしまったのではないか……


□6/石造りの地下牢、妖獣の骨格子越しに向き合う二人



凜嶺娥:胸の悪くなる仁君振りだな。

戴黄麒:感謝して欲しいものだ。
     貴様の命を救ってやったのだから。

凜嶺娥:恩着せがましい小僧だ。父親似だな。

戴黄麒:俺の素性には気づいているのだろう?

凜嶺娥:覇皇(ブラフマー)の子か。

戴黄麒:そうだ。龍生九子(りゅうせいきゅうし)の一匹にして最強の龍。
     覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)に凌辱された九尾の姫が産み落とした、龍と獣の子。
     それがこの俺、『麒麟(チーリン)』だ。

凜嶺娥:二つの魔星は、互いを滅ぼし合う。
     お前は龍と獣の星に祝福された突然変異体か。

戴黄麒:封龍演義(ほうりゅうえんぎ)――
     始皇帝が九匹の神龍を封じた龍仙皇国の建国譚(けんこくたん)……

     あの話がペテンなのは知っている。
     何故ならば、始皇帝その人が神龍の一匹――
     覇皇神龍(ブラフマー・シェンロン)なのだからな。

凜嶺娥:物知りだな。

戴黄麒:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)、お前も覇皇に嵌められた被害者だろう?
     俺が覇皇を(たお)す。俺に力を貸せ。

凜嶺娥:麒麟の角は天狗の鼻より長いのだな。
     このわしを口説くとは。

戴黄麒:お前にとっても悪い話ではないはずだ。

凜嶺娥:百年早い。出直してこい。

戴黄麒:理由を聞かせてもらおう。

凜嶺娥:振られた理由を聞かねば、諦めがつかないか?

戴黄麒:ああ、聞きたいね。

凜嶺娥:お前の器では到底足りんということだ。
     覇皇を超えるのも、わしを手中に収めるにも。

戴黄麒:……忘れてもらっては困るな。
     お前は俺に負けたんだぞ、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)

凜嶺娥:たった一つの勝ち星がそんなに自慢か。

戴黄麒:一度痛めつけただけでは足りないらしいな。
     龍を躾けるには。

     鳳凰の血よ、今一度燃え上がれ。
     創成(ジェネシス)――!

凜嶺娥:――――!

戴黄麒:ハハハハ――!
     火達磨の心地はどうだ――?

凜嶺娥:創成(ヴェーダ)

戴黄麒:輝く龍の吐息(ブレス)――!?
      ぐう――!?

(金剛石の塵で輝く吐息が、妖獣の骨格子を削り取り、戴黄麒の全身を切り刻む)

凜嶺娥:わしの吐く息は金剛石の塵に変わる。
     此の世に砕けぬものはない、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)の吐息だ。

(撃ち破った牢獄から悠然と歩を進める火達磨の凜嶺娥に、戴黄麒は星図の迅る額を向ける)

戴黄麒:くそっ……!
     何が龍を弱らせる妖獣の生き血だ……!
     まったく応えていないじゃないか……!

     串刺しにしてやる――!

凜嶺娥:龍殺しの角か、麒麟(チーリン)

戴黄麒:計都羅睺(けいとらごう)が魔星を(くだ)す――!
     創成(ジェネシス)――!!

凜嶺娥:隠し球が通じるのは一度きりだ。

戴黄麒:――!?

(瞬時に距離を詰めた火達磨の凜嶺娥に、伸びた角を掴まれ、吊るし上げられる戴黄麒)

戴黄麒:ぐっ……!

凜嶺娥:これが麒麟の角か。
     熱い……鳳凰の炎よりも……
     金剛石の手が焼けていくぞ……

戴黄麒:炎が燃え移る……!!

凜嶺娥:どうだ、火達磨になった心地は。

戴黄麒:離せ金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!!
      俺の創成が発動すれば、今度こそお前は即死だ……!

凜嶺娥:構わん。

戴黄麒:――!?

凜嶺娥:やってみろ。
     その前にわしの(かいな)が、お前の角を握り潰すぞ。

戴黄麒:……!!

凜嶺娥:どうした?
     このまま鳳凰の炎に包まれて焼け死ぬか?

     ……腕が爛れてきた。
     これ以上、掴んでいられん。
     握り潰す。

戴黄麒:待て金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!!
     俺の負けだ――! 腕を離せ――!!

     ――っ!!

(凜嶺娥に掴まれていた角を離され、火達磨の戴黄麒は尻餅をついて解放される)

戴黄麒:鎮まれ、鳳凰の炎よ……

凜嶺娥:つまらん。

戴黄麒:貴様……死が怖くないのか……!?

凜嶺娥:お前は命が惜しくて堪らんようだな。

戴黄麒:当たり前だ――!
     死んでしまえば、何もかもお終いだろうが……
     俺の復讐も、俺の恨みも……

凜嶺娥:臆病者め。
     お前の命一つで、この金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)の命を奪えたやもしれなかったのだぞ。

戴黄麒:いずれ機会を見て奪ってやるさ……!
     生きてさえいれば……!

凜嶺娥:口先だけの小心者に、金剛石は買えん。

戴黄麒:何処へ行く、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!

凜嶺娥:籠の中で飼われてみるのも飽きた。
     霄壌圏域(シャンバラ)へ帰る。

戴黄麒:待て――!

凜嶺娥:わしを引き留めるだけの覚悟があるか?
     わしが殺すか、お前が殺すか。
     泣き言では止まらん死闘となるぞ。

戴黄麒:…………!

凜嶺娥:つまらん。
     所詮は生まれ持った王冠頼みの、金鍍金(きんめっき)の王。
     蜥蜴の王には成りすませても、龍を従えるには安い地金が覗く。

戴黄麒:言わせておけば……!

凜嶺娥:偽王なりの意地があるならば――
     わしを殺しに来い。

     待っているぞ、麒麟の子。

戴黄麒:…………


□7/済州瑛郡庁、郡伯室



(藩金蓮の煙管から甘ったるい煙が燻り、郡伯室に退廃の臭いを満たしていく)

藩金蓮:フゥー……

     いいね、全身が蕩けちまいそうになるよ。
     魏難訓、あんた何処でこんなもの仕入れてくるんだい?

魏難訓:崑崙(こんろん)の山頂から、桃源郷の泉まで。
     魏難訓の旅商いの道は、世の果てまでも通じております。

藩金蓮:あたいにも仕入れ口を教えな。

魏難訓:薄商いで細々と繋いでいる故に成り立つ商売。
     郡伯様のような鯨がやってきては、市場が潰れてしまいます。
     どうぞ(ひら)にご容赦を。

藩金蓮:(うま)い汁は吸わせないってかい。
     ヤク中相手の商売はさぞ儲かるだろうねえ。

魏難訓:一度(ひとたび)試供品をご利用いただければ、一見様も熱心な常連客。
     消耗品故、在庫はたちまち捌けていく。
     やむなき値上げ交渉にも応じてくださる、上客多数。

藩金蓮:抜かしてんじゃないよ、小悪党が。

     フゥー……

     それにしてもあのクソガキ。
     李明の奴が〝王の器、王の器〟って言うからどんなもんかと思ったら、
     本当に王の血筋――始皇帝の落とし子だったとはね。

魏難訓:母方も悪名高き『九尾の姫』。
     『玉藻前』こと『妖女妲己(ようじょだっき)』。

     龍と獣の(すめらぎ)の間に生まれた、由緒正しき混血児です。

藩金蓮:どうなんだい、あの雑種のガキは。

魏難訓:所詮は偽の王。
     恐るるに足りません。

     覇皇となられる郡伯様には、目の端に留めておく必要もございません。

藩金蓮:そうかい。
     それならあたいも安心して覇皇に――龍になれるってもんだ。

     フゥー……

魏難訓:郡伯様、そろそろ差し控えを。
     三途の川に足下まで浸かっております。

藩金蓮:はっ、このぐらい。
     涅槃(ねはん)にぶっ飛ぶまでキメて、やっと菩薩になれんだよ。

     汚え親父の腐れマラも、仏のご神体に見えてくる。
     阿片があれば、この濁世塵土(だくせいじんど)も極楽浄土。

魏難訓:それは君子の訓言(くんげん)だ。

藩金蓮:あたいの初めての男さ。
     売られていった女郎屋の店主。

     奪われたのは膜一枚。
     貰ったものは売女(ばいた)の名前と淋病毛虱(りんびょうけじらみ)

     くそったれな取引だったよ。

(朦朧とした目付きの藩金蓮は、衣服に下げた白い勾玉をかざす)

藩金蓮:あんたに貰った(つい)の勾玉……太極珠(たいきょくず)
     黒がまた薄くなってるね。

魏難訓:死の淵まで彷徨った陰の果て。
     御許(おんもと)の太極は陰極まり、陽に転じたのです。

藩金蓮:忌々しい黒が全部消え去れば――
     そん時があたいが龍になる時だね。

魏難訓:左様でございます。

藩金蓮:は――……

     やっとあたいにも運が巡ってきた――……
     気味悪いぐらい幸せさ――……

     でも、この太極珠が全部真っ白になったら――……
     その後は一体どうなっちまうんだい――……

     魏難訓――……

魏難訓:亢竜有悔(こうりゅうくいあり)

     今は知ることはありません。
     真っ直ぐに天頂を目指されよ。
     御許の天頂が何処にあるかは――星のみぞ知る。


□8/金剛竹林最奥部、宝仙郷



(極彩色の輝きに満ちた宝玉樹の間を歩む金剛石の女を、象骨面の男が出迎える)

魏難訓:お帰りなさいませ、金剛大君(こんごうたいくん)

凜嶺娥:お前は何処にでも湧くな。

魏難訓:金剛竹林の最奥部、宝仙郷(ほうせんきょう)
     辺り一面、瑠璃玻璃瑪瑙紫水晶(るり・はり・めのう・むらさきすいしょう)、まさに宝石の故郷。

     けれど、如何なる貴石(きせき)も御許の前では路傍の石にくすむ。

凜嶺娥:わしの寝床まで何の用だ。

魏難訓:夜這いに参上致しました。
     ……と申せば、お怒りを買いましょうか?

凜嶺娥:怒りはせん。興醒めだ。

     消えろ。

(歩み寄った凜嶺娥の手刀が一閃し、象骨面が首ごと落ちる)

魏難訓:クククク……

(魏難訓の体が汚泥となって崩れ、象骨面より人間大の蓮の蕾が伸び出す)

凜嶺娥:象骨面(ぞうこつめん)から、(はす)の葉が広がる――
     奈落の泥膏(どろあぶら)を糧に咲く、天魔の蓮華――

(蓮華の花が綻ぶにつれ、濡れ羽色の黒髪が零れ、陰の瘴気が噴き出す)
(深紅の花開く蓮華の中央に立つのは、射干玉の黒髪と蒼醒めた肌を持つ、象骨面の男だった)

天陰:久しいな、ヴァジュラ。
    この(まなこ)で見るのは数百年ぶりだ。

凜嶺娥:見飽きた顔だ。何の感慨も湧かん。

天陰:(なれ)に問おう。

    何故(われ)の贈った邪魅爬(じゃみは)を放し飼いにしていた。
    何故魏難訓の策動を知って放置した。
    何故麒麟の子を生かした。

凜嶺娥:飛車角落(ひしゃかくお)ち、香車(きょうしゃ)桂馬(けいま)も外したか。
     大駒を抜いてやらねば、今のお前とは勝負になるまい。

天陰:(なれ)の全てが手緩い。
    金剛石の苛烈さを閃かせた金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)とは思えぬ。

凜嶺娥:ではこの場で王手を決めてやる。
     フゥ――――……

(凜嶺娥は漂う隕石灰を吸い込み、端麗な口元に金剛石の輝きが零れ出す)

凜嶺娥:――――!?

     ゴボッ――!!

(金剛石の輝きを零していた凜嶺娥の口から、泥の吐瀉物が噴き出す)

凜嶺娥:奈落の泥膏(どろあぶら)墨蝋泥(ニラヤ)……!

天陰:吾の顔を見ると、反吐を催すと申したな。
    その反吐こそ吾の化身よ。

    (なれ)の透き通る手足は、黒き泥に穢れている。
    (なれ)の総てを、吾が侵し尽くした――

凜嶺娥:墨蝋泥(ニラヤ)は煩悩を糧に湧き出す、奈落の泥……

     邪魅爬(じゃみは)どもが撒いた隕石灰(プラーナ)が少しずつ堆積し……
     お前に揺さぶられ、一気に溢れ出した……

     これはわし自身の陰の気が造り出した泥膏(どろあぶら)か……!

天陰:(なれ)らしくもない粗相だ。
    だが喩えようもなく、卑猥で淫靡だ。
    (なれ)には美貌を穢す汚辱すら、劣情を醸し出す色化粧となる。

凜嶺娥:おのれ……!

天陰:憤怒を刻む貴石(きせき)(かんばせ)も、憎悪を込めた宝玉の眼も。
    (なれ)の美貌は非の打ち所が無い、金剛仙女(こんごうせんにょ)よ。

    しかし吾は知っている。
    お前の怒りも憎しみも、低廉(ていれん)金鍍金(きんめっき)
    楊貴妃の衣を脱がせば、ただ暗い虚無がある。

(凜嶺娥の黒く穢れた躯の部位から蓮華の茎が伸び出し、ひとひらの花弁をつける)

凜嶺娥:……!?

天陰:吾がお前に贈ろう。
    怒りを、屈辱を、快楽を、愛しさと憎しみを。
    百八を数える、数多の煩悩の華を。
    それこそ(なれ)が真に求むもの。

    蓮華の(とこ)で、煩悩の淫夢に花心(かしん)を濡らせ。
    金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)、愛しい妹御(いもうとご)よ――

(無数に咲いた一枚ずつの花弁は、凜嶺娥を飲み込み、一つの蓮華となっていく)


□9/墨色にくすんだ金剛竹林



楊李明:黄麒殿――!

戴黄麒:そちらはどうでした?

楊李明:辺り一面……
     金剛竹が朽ちて泥炭となっています……

戴黄麒:やはり同じですか。
     これを装着してください

楊李明:これは人類統合体の……

戴黄麒:ガスマスクとゴーグルです。

楊李明:私は平気です。

戴黄麒:突然降魔化されると迷惑なのですよ。
     それとも邪魅爬(じゃみは)となって、私の下僕になりたいですか?

楊李明:…………

(楊李明は躊躇いを見せた後、差し出されたガスマスクとゴーグルを装着する)

楊李明:金剛竹林の異変……
     黄麒殿が死闘の末、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)に深手を負わせたことによるものでしょうか?

戴黄麒:…………

楊李明:こんなことをいうのは不謹慎かもしれませんが……私は安堵しているのです。
     龍と人は相入れません。
     藩郡伯は神龍(シェンロン)を手中に収めたことで有頂天になっておられましたが、必ずや災いを招いたことでしょう。

戴黄麒:建前は止めませんか、楊秘書官。
     あなたは姉上の仇、金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)が憎い。
     それだけでいいでしょう。

楊李明:……誰もあなたのようにはなれないのです。
     自我を剥き出しても、なお重用される。

     それは黄麒殿が有能だからです。
     金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)と刺し違えるほどに……

戴黄麒:…………

楊李明:あなたが羨ましいです。
     己の力で何かを成せ、正直に生きられるあなたが。

戴黄麒:私は所詮、どこまでいっても部外者(アウトサイダー)ですよ。
     継続的な関係を築かないから……築けないから好き勝手に振る舞えるだけです。
     部外者の言葉は人に響きません。
     真に変革を成せるのは、内側から変えてゆける者だけですよ。

楊李明:…………

戴黄麒: (くそっ! 俺は何をくだらん綺麗事を並べているのだ――!)
     (俺は金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)を倒してなどいない……)
     (沽券を保つために嘘を吐いた俺が……これではまるで本物の偽王じゃないか……!)

楊李明:……金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)はどうなったのでしょうね。

戴黄麒:…………

凜嶺娥:わしならここにいる。

戴黄麒:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)――!

楊李明:金剛神龍(ヴァジュラ・シェンロン)……!

凜嶺娥:お前たちはわしの一挙手一投足に動揺し、怒り、喜び、悲しんで憎む。
     憧れの女に惑う、男のそれだ。

戴黄麒:大層な自信だな。
     美女も三日で飽きる、醜女(ブス)も三日で慣れる。

     金剛石も見慣れれば、光る石ころだ。

凜嶺娥:安心しろ。
     貧乏人に金剛石は一生買えん。
     お前は一生、わしの美貌に慣れることはない。

戴黄麒:ナルシストも此処まで来るとお笑いの域だな。
     三流芸人として、第二の人生を送ったらどうだ?

凜嶺娥:届かぬ葡萄に悪態を吐く子狐か。
     お前の手に落ちてやっても良い。

戴黄麒:……どういうつもりだ?

凜嶺娥:身の丈に合わぬ贅沢品を買えば、身の破滅。
     それを覚悟で来るか? 金剛石を掴みに。

戴黄麒:……いいだろう。

楊李明:黄麒殿、これは罠です――!

戴黄麒:そんなことは、百も承知の上です。
     だが奴の自惚れを突かねば、勝機はない。

(近寄ってきた戴黄麒に、凜嶺娥は左の繊手を差し出す)

凜嶺娥:わしに触れてみろ。

戴黄麒:…………

     冷たい……
     これが金剛石の、龍の腕……

凜嶺娥:次は躯だ。

戴黄麒:…………

凜嶺娥:怖いか。龍を抱くのは。

戴黄麒:図に乗るな……!
     たかが女め――!

(挑発に乗って凜嶺娥を腕に抱いた戴黄麒の心臓は、早鐘のように脈打ち、冷や汗が滝のように溢れ出す)

戴黄麒:(冷たく、硬い……)
     (冷や汗が止まらん……)
     (これが金剛石の龍……)

凜嶺娥:お前は熱いな、麒麟(チーリン)
     燃える血を持つ、獣の子だ。

     金剛石の龍は、お前の手の内にある。
     心を奪うか、命を奪うか。

     どうする?
     早く決めねば、折角掴んだ金剛石は、お前の手から転がり落ちるぞ。

戴黄麒:(凜嶺娥め、俺を(もてあそ)んでいるな……!)
     (奴の気に入る、満額の回答は――……)

凜嶺娥:驚愕、安堵、焦燥、憤怒、恐怖、憧れ、劣情。
     渦巻く煩悩が伝わってくる。

戴黄麒:(苦しい……)
     (心臓が締め付けられ、腹の奥に鈍い痛みが溜まる……)
     (何故俺は、こんなにも奴の胸中を恐れる……)

凜嶺娥:正と負に、激しく揺さぶられる感情――
     心を乱され、悩まされるほど狂おしく……
     愛情と憎悪(マーラ・カーマ)は、苦界(くかい)の輪廻を堅くする――

戴黄麒:ごほごほっ――!

(突如咳き込んだ戴黄麒は、手に付着した、唾液に混じった黒い脂に気づく)

戴黄麒:このタールのような脂は……隕石灰(メテオアッシュ)……!?
     体内の龍因子が異常に昂進している……!
     この苦しみの正体は……羅睺病――!?

凜嶺娥:くくく……地煞(ちさつ)の魔星が(なれ)を救ったか。

戴黄麒:創成(ジェネシス)――!

(邪悪に歪んだ凜嶺娥の美貌を、麒麟の角が貫くと、凜嶺娥は黒い泥膏となって飛散する)

天陰の声:だが時は既に遅し。
       墨蝋泥(ニラヤ)は、(なれ)の五臓六腑を蝕んでいる。

戴黄麒:何者だお前は――!

(黒い泥膏の水溜まりに蓮華の花が咲き、射干玉の髪と蒼醒めた肌の、象骨面の男が姿を現わす)

天陰:吾は天の(かげ)。その名を天陰。
    (なれ)にはこう名乗るほうが喜ばれようか。

    天魔神龍(マーラ・シェンロン)と。



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