Touch of virtual reality

★配役:♂2♀2=計4人

平岡真紀♀
19歳。バーチャルガールフレンドのバイトで生計を立てている。

榊♂
19歳。大学一年生。あだ名は冷血男。

今村♂
30歳。真紀と榊の高校時代の担任。

古閑♀
29歳。榊の大学の助教授。今村とは院時代の同期。


※ルビを振ってある漢字はルビを、振ってない漢字はそのまま呼んでください。

◆1/真紀のアパート、PVRDの内部


真紀M:PVRD(パーソナル・バーチャル・リアリティ・デバイス)は、いつも暗く、暑苦しい。
     冷暖房完備のモデルもあるけど、私のワンルームには納まりきらなかった。

     この四畳半に満たないスペースが、私の世界のすべてだ。

真紀M:HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着する。

     視界は一変。
     白々しいまでの無意味な黒板と、空っぽの机のオブジェクト。
     誰もいない教室で、立体映像(ホログラム)の今村先生が生徒名簿を広げる。

今村:出欠を確認します。平岡さん。

真紀:はい。

真紀M:俯瞰(ふかん)モード。
     ビューが替わって、真上から見下ろす仕様になる。
     幽体離脱したような錯覚。

     教室には、高校の制服を着た私がいた。
     高校を中退する前の、二年前の私。

今村:それでは本日の授業を始めます。
    『電脳神経学 基礎理論』教科書の36ページ――

真紀M:私と今村先生の、二人だけの授業が始まる。
     本物の教室でない、仮想現実(バーチャルリアリティ)の『サイバーエデン』で。


◆2/榊のマンション


榊:脱いで。

真紀:は?

榊:やるんだろ?

真紀:やらないし。

榊:じゃ帰って。

真紀:ホントありえない。

榊:脱ぐんだ。

真紀:ここからはあんたが脱がせて。

榊:了解。

真紀:手、洗ってよ。ポテトチップ食べてたでしょ。

榊:そうだった。

真紀:はあ〜……

榊:タバコの臭い。

真紀:オフの指名来たから。

榊:やったの?

真紀:気になる?

榊:やったなら、シャワー浴びてきて。
   知らないオヤジの後は、さすがに嫌だ。

真紀:あんた最低。

榊:やったの? やってないの?

真紀:やってない。

榊:じゃ続ける。

真紀:冷血男。女の敵。

榊:お互い様だろ。やらずぼったくり。

真紀:そういう仕事だもん。

榊:バーチャル・ガールフレンド。

真紀:チャットレディと、出会い系の中間みたいなもの。

榊:稼げる?

真紀:オフ指名取らないと難しい。
    でもキャバと違って時間に制約ないし、毎日出勤しなくて良いから楽。

榊:ふーん。

真紀:サカキ、大学は?

榊:暇。

真紀:電脳神経学でしょ。

榊:そう。

真紀:いつの間にか、PVRD(ピーブイアールディー)買ってるし。

榊:親にメールしたら、配達されてきた。

真紀:信じられない。私は半年お金貯めてやっと買ったのに。

榊:だよね。俺も驚いた。

真紀:お金持ちなんだね。

榊:らしい。

真紀:……寂しくない?

榊:別に。物心ついたときから養育施設だったし。
  中学入ってからは一人暮し。
  欲しいものはどっちかの親にメールすれば、翌週配達されてくる。

真紀:人口維持政策。

榊:30歳以上の男女に、最低二人の子供を義務づける法律。
  22世紀に施行され、段階を踏んで、24世紀現在の形になった。

真紀:ほんと大人ってバカ。
    法律で強制すればいいってもんじゃないのに。

榊:別にいいんじゃね。
  精子と卵子を提供して、税金余分に払えば、後は政府が面倒見てくれるし。

  俺は試験管ベビーだけど、何も困ったことがない。

真紀:あんたの親は、お金持ちだから。
    あの政策のせいで、私の家はめちゃくちゃだった。

榊:大変だな。

真紀:あんたって、いつも他人事。
    興味ないって感じで、切り捨てる。

榊:興味ないからね。

真紀:あっそ。

榊:学校、未練ある?

真紀:ない。友達いなかったし、勉強嫌いだし。

榊:俺と一緒。

真紀:……早くしてよ。眠いんだから。

榊:OK。

真紀:んっ……

    ねえ、サカキ。
    私のこと、好き?

榊:別に。

真紀:……安心した。
    私のこと、好きにならないでね。

榊:どちらかといえば好きだけど。

真紀:んんっ……なんで?

榊:やりたいときにやれる。
   面倒臭いデートも連絡もしなくていい。

   嫌いになる要素、ある?

真紀:ははっ、最低。

榊:どうも。

真紀:それがいいの。
    そこだけが、サカキの唯一嫌いじゃないところ。

榊:他は?

真紀:大嫌い。

    会うなり脱げ。やったら帰れ。
    人の話は全部聞き流すし、親のお金でいつも涼しげ。

    好きになる要素、ある?

榊:ごもっとも。

真紀M:私は私を好きな人を、耐えられない。
     愛されることが、気持ち悪い。

     冷たい手が好き。
     愛のない、醒めた目で見下ろして。

     キスはしたくない。
     ただ挿れて。

     熱はいらない。
     世界が『サイバーエデン』に飲み込まれればいいのに。

     仮想現実が、私の現実――


◆3/大学、屋上の給水塔の下


榊:ふうー……

古閑:こら、榊君。

榊:うっす。

古閑:二十歳未満の喫煙は停学よ。

榊:これ電子タバコ。

古閑:言い訳は通用しません。

榊:タバコの有毒性は燃焼によって生じるタールや一酸化炭素。
  ニコチン単独の害はカフェインと同等で、アルコールより低い。
  公共性で議論となる受動喫煙の害も、電子タバコなら無視できるレベルまで低減されている。

古閑:理屈こねたってダメです。

榊:めんどくせーな。

古閑:めんどくさいのよ、社会って。

    ふうー。

榊:先生もタバコ。

古閑:先生はいいの。

榊:世の中、バカばっか。

古閑:世の中をバカにしたって、自分がバカを見るだけよ。

榊:それ実体験?

古閑:さあ。

    榊君、授業は?

榊:サボり。

古閑:大学に何しにきたの?

榊:古閑先生に会いに。

古閑:ありがとう。でも電脳神経学は必須よ?

榊:期末で8割取ればいいだろ。

古閑:落としたら留年よ。

榊:補習してよ、古閑先生。

古閑:いつ?

榊:今。

古閑:ここで?

榊:そう。

古閑:だーめ。あとで。

榊:知らない。

古閑:んっ……

榊:はあ……

古閑:悪い子。

榊:捕まるのは先生だ。

古閑:ふふっ。

榊:……濡れてる。

古閑:クイズです。

    それはどうしてだと思う?

榊:野外プレイが好きだから。

古閑:惜しい。もっと具体的に。

榊:先生がビッチだから。

古閑:遠くなった。

榊:解答。

古閑:だ、め……考えて。

榊:見られるかもしれない危険?

古閑:マルをあげましょう。

榊:ビッチで合ってるじゃん。

古閑:かすってるけど違う。

榊:こっち?

古閑:もう、そっちじゃなくて……

    リスクって、快感なの。
    危機に晒されている時、脳内は神経伝達物質で氾濫する。
    ドーパミンとノルエピネフェリンのカクテルが、生きているって実感させてくれる。

榊:頭良さそう。ビッチなのに。

古閑:頭いいもの、私。

榊:屋上で、生徒とやっておいて。

古閑:ねえ、私の中、熱い?

榊:熱いよ。

古閑:こっちも触って。

榊:……柔らかい。

古閑:次世代のPVRD(ピーブイアールディー)は、触覚の実装に向けて、開発が進んでいる。

榊:バーチャルセックスの時代か。

古閑:新技術普及の牽引役がポルノなのは、インターネット黎明期からの真理よ。

榊:触覚の実装はイノベーションじゃないの。
   今のVR(ブイアール)のバーチャルセックスって、自己視点のエロ動画でしかないし。

古閑:ねえ、榊くん。

榊:――!

古閑:ん、ちゅっ。

榊:んんっ、んっ。

  はあ、はあ。

  激しいね、先生。

古閑:知ってた? 10秒のディープキスで、8000万個の口腔常在菌(こうくうじょうざいきん)が交換されるのよ。
    それと男性の唾液中に含まれるテストステロンは、女性の性衝動を昂進(こうしん)させる作用がある。

榊:昂進(こうしん)した?

古閑:うん、ちょびっと。

榊:先生って、いつもそんなこと考えながらセックスしてるの?

古閑:ときどき。

榊:ふーん。

古閑:どうしたの?

榊:いい匂い。

古閑:HLA(エイチ・エル・エー)遺伝子の差異ね。

榊:なにそれ。

古閑:白血球の血液型。    
   HLA(エイチ・エル・エー)遺伝子が異なるほど、相手の匂いを心地好く感じるの。

榊:へー。

古閑:クイズです。
    触覚を実装したPVRD(ピーブイアールディー)は、セックスの代替となるでしょうか?

榊:無理だね。

古閑:正解よ。

    旺盛な需要に支えられて、VR(ブイアール)の研究は進むわ。

    けど、現実の情報量は膨大で、仮想現実は圧倒的に物足りない。
    どこかで気づいてしまう。
    しょせんは作り物だと、夢から覚めるように。

    仮想現実(バーチャルリアリティ)の、臨界点が近づいている。
    私はね、それはそう遠くないと思うの。

    もし仮想現実(バーチャルリアリティ)の限界に目を背けて推し進めたとしたら――
    そこはきっとディストピアね。


◆4/『サイバーエデン』、仮想現実の教室


今村:19世紀末より発生した人口爆発は、22世紀に収束を迎えます。
    理由は資源の枯渇でした。

    世界は長い低成長と、貧困の時代を迎えます。

真紀M:無意味な黒板と、誰もいない机のオブジェクト。
     二年前は現実だった、今は仮想現実の――私と今村先生だけの、授業。

今村:成長産業はない。それを取り込む需要はもっとない。
    一方で、世界中でハードルの上がった、最低限の文化的生活――
    世界中がかつての先進国と同じレベルの暮らしを求めるようになったため、資源価格は高騰した。

真紀M:頭のいい人が好きだ。

     私の話はつまらない。
     どうでもいいネットのニュースや、おもしろ動画と配信者、バーチャル・ガールフレンド用のエロ話だけ。
     だから聞かなくていい。

     一方的に語って聞かせて欲しい。
     学術的(アカデミック)な話を。

     知性には、人間の崇高な精神が宿っている気がするから。

今村:不況下の物価高騰、慢性化したスタグフレーション。

    少ない資源の中で、どうすれば世界は満たされるのか?

    物質を超えた世界を作ればいい。

    仮想現実(バーチャルリアリティ)
    今、平岡さんが使っている、PVRD(パーソナル・バーチャル・リアリティ・デバイス)
    パナギア社の開発したワールドエミュレーター『サイバーエデン』がその答えなのです。

真紀:先生、現代のVR(ブイアール)は、視覚と聴覚に訴えるだけです。
    いわば映画の延長に過ぎません。
    将来的には、触覚や嗅覚、味覚も再現できるようになるのでしょうか。

今村:いい質問です。

    既に触覚の解析と、再現実験は成功しています。
    手のひらに電極を接続することで、触れられた≠ニいう電気信号を脳に流す。
    数年以内に触覚を実装したPVRD(ピーブイアールディー)が商品化されるでしょう。

    一方の嗅覚と味覚は基礎研究レベルですが――

真紀:先生、愛はVR(ブイアール)で再現できるのでしょうか。

今村:愛、ですか。

真紀:はい。
    触覚を電気信号として計測し、再現する技術があるなら、
    脳の働きを解析して、たとえば外部から磁気などを放射して、
    人間の精神を愛している¥態に誘導することは可能でしょうか。

今村:愛している¥態を、外部から誘導できるか。
    24世紀現在の技術では、実現に至っていません。

    仮想現実(バーチャルリアリティ)が再現できるのは、基本的な五感だけです。
    その先にある精神活動は、言葉や体感によって生じた複雑系の結晶知であり、要素に還元できるものではないと考えます。

真紀:じゃあ、VR(ブイアール)で人を好きになったら、それは何でしょう?

今村:それは昔からあることではないでしょうか。

真紀:昔から?

今村:古くは平安時代の和歌の交換から、文通にメール。
    21世紀には、オンラインゲームやSNSからの交際も当たり前になりました。

真紀:どうして会ったこともない人を好きになれるんですか?

今村:その人の内面に触れたからだと思います。
    外見や、上辺だけの世間話ではない、その人の本質に触れる会話を交わしたとき、人は人を愛するのではないでしょうか。

真紀:先生――

    今度、お会いできませんか。
    『サイバーエデン』じゃなくて、オフラインで。


◆5/大学、研究室の仮眠所


古閑:榊くんって、県立高校だっけ?

榊:そう。

古閑:今村先生って知ってる?

榊:担任。

  先生、知り合い?

古閑:同じ研究室の同期よ。

榊:やった?

古閑:ええ。

榊:……何回?

古閑:んー、三回ぐらい?

榊:付き合ってたの?

古閑:研究室の飲み会で、私とエッチしたそうだったから。

榊:……先週の金曜日にあげてた写真。

古閑:パナギア社の、企画室の室長さん?

榊:……やったの?

古閑:ええ。

榊:…………

古閑:嫉妬した?

榊:別に。

古閑:クイズです。

    どうしてこんなに苦しいのでしょう。
    自分がセックスした相手が、他の誰かとセックスすることが。

榊:托卵(たくらん)恐怖。
   メスは、妊娠した子供は、確実に自分の子供。
   けどオスは、本当に自分の子供かわからない。

   全く関係のない他のオスの子供を育てて、一生を終えるかもしれない。

古閑:よくできました。

榊:ついでに男の束縛は、配偶者防衛の名残り。
  ヤマシギやメダカやトンボは、つがいのメスに、他のオスが近づくことを防衛する。

古閑:すごい。はなまるあげちゃう。

榊:嫉妬の起源。

古閑:そう。根源の欲求なの。
    余裕を持てとか、相手を信じろなんて、薄っぺらいでしょう?

    遺伝子が命じて、鞭打つの。
    メスを護れ。さもなくば。

榊:嫉妬は、生殖にまつわる習性だろ?
  俺は先生と子供を作る予定はないし、認知しろって言われても困る。

  先生だって、俺に扶養義務を求められると思ってないだろ。

  だったら、楽でいいじゃん。
  万一避妊に失敗しても、厄介事は、他の男に被ってもらえばいい。

古閑:榊くん。冷血男とか、最低男って言われない?

榊:会う度に言われる。

古閑:榊くん、他に女の子いるんだ。

榊:まあね。

古閑:そっかあ。

榊:先生、嫉妬したの?

古閑:んー、ちょびっと。

榊:正解のご褒美は?

古閑:ちゅっ。

榊:さっき沢山した。

古閑:えー。喜んで?

榊:わーうれしー。

古閑:ふふっ。

    榊くん、指綺麗ね。

榊:そう? どうでもよくない?

古閑:よくないわ。だってこれが中に入るんだから。

榊:爪は切ってる。

古閑:薬指と人差し指の長さの比率で、テストステロンの量がわかるの。

榊:男性ホルモンだっけ?

古閑:そう。

榊:ふーん。

古閑:綺麗な顔してるよね、榊くん。
    でも、テストステロンは高い。知能も上々。

    優秀なオス。

榊:で、先生は優秀そうなオスと、手当たり次第やりまくってるってわけか。

古閑:本能が命じるの。
    優秀なオスを誘惑して、セックスしろと。
    それを実行すれば、報酬系が活性化して、ドーパミン・リッチな幸福感に満たされる。

榊:世間じゃヤリマン、ビッチって言われるけど。

古閑:それはメスを管理下に置いておきたいオスの都合。
    配偶者防衛をモラルにすり替えた。

榊:頭のいいビッチは違うね。

古閑:VR(ブイアール)で友達を探すのは何のため?
    オフラインで会って、セックスするため。
    バーチャルデートに課金するのは何のため?
    オフラインで会って、セックスするため。

    歌は? 踊りは? スポーツは?
    芝居に小説、絵画に彫刻、学歴肩書き資産。
    すべてクジャクの羽、エゾジカの角、ライオンのたてがみ。
    オスがメスとセックスするため。

榊:言い切った。

古閑:当たってる?

榊:だいたい。

古閑:わー、嬉しい。ご褒美は?

榊:ほらよ。

古閑:なあにこれ?

榊:さっき噛んで捨てたガム。

古閑:榊くん。

榊:はい。

古閑:怒るよ?

榊:先生って怒ることあるの?

古閑:もちろん。

榊:どうなるの?

古閑:シャットアウト。存在しないものとして扱う。

榊:……ごめん。

古閑:じゃあ、ご褒美。

榊:……ちゅっ。

古閑:ふふっ、嬉しい。

榊:先生……

古閑:なあに?

榊:先生はセックスが好きなの?

古閑:好きよ。

榊:恋人は?

古閑:榊くん。

榊:でも他にも――

古閑:その時は、その人が恋人。

榊:…………

古閑:あ、なにか言いたそう。

榊:言えば安っぽくなるからいい。

古閑:愛?

榊:……まあね。

古閑:私、みんなを愛してるわ。

榊:……もし俺が先生を愛しているとしたら。

古閑:わー、嬉しい。

榊:愛しているから、他の男とは別れてくれて言ったら、どうする?

古閑:んー……

榊:……変なこと聞いた。忘れて。

古閑:変じゃないわ。愛は生殖の習性の変形だもの。配偶者防衛を志向するのは当然よ。

榊:だったら――

古閑:だったら、いらないかな。愛は。


◆6/ラブホテルの一室


今村M:現実が嫌いだった。

     物心ついたときから、僕は吃音(きつおん)で運動が大の苦手。
     小中高と、スクールカーストの最下層だった。

今村M:大学に入っても、それは変わらなかった。
     大学の名前で、他校から女の子たちが集まってきても、
     コミュニケーションが苦手で、世間の流行に興味のない僕は、すぐにそっぽを向かれた。

     名門と呼ばれる大学に入っても、これだ。
     地味で大人しい外見の下に隠された、僕の内面――
     知性と努力、人間への洞察は、誰からも理解されなかった。

今村M:転機は、パナギア社のPVRD(パーソナル・バーチャル・リアリティ・デバイス)『サイバーエデン』だった。
     それまで商業化は20年先と言われていた個人用VR(ブイアール)装置を、乗用車と同じ価格帯で売りに出したのだ。

     『サイバーエデン』は発売と同時に、空前のブームとなった。
     それに伴い、僕の専攻である『電脳神経学』も、一躍人気学部となった。

     政府は多大な補助金を交付し、企業はこぞって『電脳神経学部』の学生を迎え入れた。
     合コンでは一番人気。
     僕の挙動不審な振る舞いも、一方的に専門用語をまくし立てるだけの話も、女の子たちは眼を輝かせて聞き入った。

     22歳の夏、僕は童貞を卒業した。
     
今村M:僕は数百は下らない企業のオファーをすべて蹴り、院に進んだ。
     迷いはなかった。

     ようやく僕の時代が来たのだ。
     つまらない肉と骨のハードウェアではなく、その上に走る精神活動――人間の知性が自由になれる世界。
     仮想現実(バーチャルリアリティ)こそ、24世紀、文明の停滞した人類の、フロンティアだった。

古閑:本日より皆さんと同じ研究室で勉強させていただきます。
    古閑と申します。

    よろしくお願い致します。

今村M:僕はそこで、彼女に出会った。

古閑:今村くん、今日の研究発表面白かった。
    今村くんの、五感の電気信号の変換方程式だけど――

今村M:彼女は聡明だった。

     学生時代、僕をいじめていたクズ女たちとも、院に入ってから遊んできた、頭の悪い女の子たちとも違う。
     孤独な僕の知性を理解してくれる、世界でたった一人の女性に巡り会えたのだ。

     僕は生まれて初めて、心の底から、一人の女性を愛した。
     しかし――

古閑:若輩者の身でありながら、身に余る栄誉をたまわり大変恐縮です。
    パナギア社先端技術賞は、若手研究者の登竜門と呼ばれ、私がこのような名誉ある――

今村M:彼女は僕を理解した。
     一瞬で。
     そして興味を失った。

     僕は彼女が怖かった。
     彼女と言葉を交す度に、僕の浅い底と愚かさが浮き彫りにされる。
     見てしまった。
     柔和に微笑む眼差しの奥に(こご)る、底知れない孤独と失意を。

     彼女は天才だった。

     僕は研究者の道から逃げ出し、教職に着いた。
     僕がコントロールできる、頭が良いつもりの、頭の悪い女の子たち。
     彼女たちに囲まれ、先生、先生と尊敬の眼差しで見つめられ、傷ついた自尊心(プライド)を慰めた。

真紀:先生……

今村M:二年ぶりに再会した平岡は、綺麗になっていたが、すっかり水商売の世界に染まっていた。

     高校中退の顛末(てんまつ)は、よく覚えている。
     不登校からの行方不明。そして保護者からの退学届け。

     離婚調停の真っ只中で、父親も母親も親権を拒否。
     やっと出てきたのは、年齢にそぐわない服装の年増女――平岡の母親だった。

     その後は、とにかく大変だったという記憶ばかり残っている。
     高学歴の僕には、底辺の相手は苦痛でしかない。

     生徒たちの話では、平岡は男のもとに転がり込んだらしい。
     あの母親にして、この子供ありだ。

今村:愛しているよ、真紀。

真紀:愛してる=c…

今村M:僕がプレイボーイのようなセリフを吐いたことに、自分で失笑してしまう。
     愛するわけがない。誰にでも股を開く、水商売のクソビッチなど。

真紀:先生、私――

今村M:僕を好きでいてくれる、僕のファン。
     多少可愛ければ、いや可愛くなくてもいい。

     僕を尊敬して、僕を慕ってくれる女の子が欲しい。
     一人でも多く。

     彼女を忘れる、鎮痛剤(モルヒネ)が欲しかった。

真紀:んんっ、ああっ……

    気持ち悪い……


◆7/大学、研究室


古閑:クイズです。
    旧石器時代の人類と、24世紀の現代人は、どのぐらい知能の差があるでしょう?

榊:どちらも同じ。

古閑:正解です。
    どちらも同じホモ・サピエンスだから。
    増えたのは、知能じゃなくて、知識よ。

    結局人間の幸福も苦しみも、遺伝子のもたらす報酬と罰。
    旧石器時代から、何も変わっていない。

榊:先生は、VR(ブイアール)嫌いなの?

古閑:嫌いではないわ。意味がないと思っているだけ。
   VR(ブイアール)は、どれほど褒めそやされたって、映画や小説やマンガ、娯楽商品の代替にしかならないもの。

榊:仮想現実(バーチャルリアリティ)の土地の概念や、独自通貨の発達は、停滞した24世紀経済のパラダイムシフトと言われている。

古閑:大昔からある、スマホアプリの課金と何が違うの?

榊:VR(ブイアール)を活用した授業や集会。距離を超えたコミュニケーション。

古閑:21世紀のビデオ通話で十分。

榊:立体感とか、臨場感とか――空間投影とか。

古閑:それで?

榊:それは……

古閑:人類は、20万年前のミトコンドリアイヴから変わっていない。
    文明も、インターネットが普及した21世紀初頭の延長試合。

    300年ものあいだ、人類は何をしてきたのかしら?

榊:でも先生は、学会でもビジネス界でも、VR(ブイアール)研究の第一人者だ。

古閑:そうね。

榊:先生は、本当は何をしたかったの?

古閑:宇宙工学。

榊:マジ?

古閑:私、最初は宇宙工学科に入ったの。

榊:電脳神経学科は?

古閑:大学三年生の時に、転部した。

榊:どうして?

古閑:ついていけなかった。難しすぎて。
    宇宙語が飛び交ってるみたいだった。

榊:電脳神経学の世界じゃ、天才って言われてるのに。

古閑:ね? 笑っちゃう。

榊:宇宙工学に、未練ある?

古閑:ないかな。

榊:本当?

古閑:自分が好きでも、誰からも必要とされなくて軽んじられる場所より、
    自分が好きじゃなくても、自分を必要としてくれる場所のほうが、ずっと居心地いいもの。

榊:先生……

古閑:私、幸せよ?


◆8/真紀のアパート、PVRDの内部


真紀M:愛されることが、気持ち悪かった。

真紀M:物心つく前に、両親は離婚したらしい。
     人口維持政策で、いやいや結婚した二人だった。

真紀M:中学校に入った頃、母が再婚した。
     新しい父の目当ては、母ではなく、私だったと知るのは、再婚後まもなくだった。

    愛している

     新しい父は、私を抱きながら何度もささやいた。
     頭痛、過食、嘔吐、不眠が始まったのは、その頃からだった。

真紀M:高校に入ってしばらくして、母が私と父の関係に気づいた。
     家庭は崩壊した。

     私は逃げるように、ネットで知り合った男のもとに転がり込んだ。
     高校は、知らないあいだに退学になっていた。

    愛している

     彼は日雇い労働者だった。
     社会から孤絶していた彼は、私との暮らしを喜んだ。

     私も年齢を隠し、働き始めた。
     彼にはそれが不満だったらしい。
     彼は私が浮気をしていると、猜疑心に取り憑かれるようになった。

    愛している

     そう言いながら、彼は何度も私の顔を殴った。
     私の左の前歯は、差し歯だ。
     私は男のもとを逃げ出した。

今村:ねえ真紀ちゃん、次のオフはいつ?
    君に会いたいよ。

真紀M:違うよ、先生。
     私にもっと難しい話をしてよ。

     電脳神経学や進化心理学、歴史の話や経済の話。
     退屈で理解できなくて、一方的に聞かされるだけの、知的な会話をしてよ。

今村:真紀ちゃんに会いたいんだ。

真紀M:やめて。

今村:愛している。

真紀M:やめてよ。

今村:愛している愛している愛している。

真紀M:やめて!!!

今村:やりたいやりたいやりたい
    やらせろやらせろやらせろ

真紀M:ああ……

今村:真紀ちゃん、どうしたの?

真紀:…………

   先生は私の、どこが好き?

今村:可愛くて、僕の話を理解できるところかな。

真紀:……可愛い?

今村:真紀ちゃんは、すごく可愛い女の子だよ。

真紀:……先生、ごめんなさい。
   もう会えません。

真紀M:気持ち悪い……


◆9/大学、研究室


古閑:飽きちゃった。

榊:え……?

古閑:飽きちゃった。榊くんに。

榊:なっ……

古閑:榊くんが悪いわけじゃないの。
    PEA(フェニルエチルアミン)、恋愛ホルモンが枯れちゃった。

    人間だから。しょうがないわよね。

榊:俺との関係は終わりってわけ?

古閑:終わりなんてないわ。だって始まってもいないんだから。

榊:じゃあ、どういうことなんだ?

古閑:私からは滅多に榊くんを誘わなくなるし、榊くんが会いたいって言っても断る割合が増える。
    お互いの希望が合致すれば、エッチする。

榊:ああ、本当だ。何も変わっちゃいない。

古閑:でしょう?

榊:セフレをなくした。

古閑:そう、それだけよ。

榊:…………

古閑:寂しい?

榊:別に。都合よくやらせてくれる女がいなくなって残念ってだけ。

古閑:榊くんって、好きって言えない人?

榊:俺、人を好きにならないから。

古閑:ほんと?

榊:女はセックスできればいい。

古閑:私、もう榊くんとエッチしないかも。

榊:それなら用無し。

古閑:別れる?

榊:ああ。

古閑:そっかあ。寂しいなあ。

榊:は?

古閑:私、引き止めてくれると思ってた。
    エッチなしでもいい。先生と別れたくないって。

    そんなあっさり受け入れられちゃって、悲しい。

榊:引き止めて欲しかったわけ?

古閑:うん。

榊:そんなの……

古閑:試されてるみたい?

榊:去るものは追わず。

古閑:去っちゃうよ。

榊:勝手にすればいいんじゃない。

古閑:そう。今までありがとう。

榊:待って!

古閑:ん?

榊:俺は……先生が好きだ。別れたくない。

古閑:ふふっ。

榊:好きなんだ、先生。
  先生が他の男に抱かれるのは嫌だ。
  心臓が刺されたようにぎゅっと痛んで、胸の中で、溢れ出た血が熱い。

  ずっと言いたかった。けど言えなかった。
  カッコ悪い。俺だけが好きみたいで。
  だから冷静に、冷めたふりで。

  だけど、本当は。

古閑:嬉しい。

榊:先生……

古閑:でも、ごめんね。

榊:なんで……

古閑:応えられないから。

榊:それでも――

古閑:ダメ。榊くんは傷ついてるでしょう。
    私はもっと傷つける。一緒にいちゃいけない。

榊:じゃあ、なんで言わせたんだよ――!!

古閑:榊くんってモテるけど、長続きしないでしょう?

榊:誰も好きにならないから。

古閑:誰の愛情も受け取らないし、誰も愛さない。
    だから心理的に優位に立てる。失っても痛くないから。

    でも人は、自分を愛してくれない人を、長くは愛せない。
    クールで執着しない榊くんを、表面上で好きになっても、やがて失望して離れていく。

榊:俺は……もっと愛情を示していたら、先生を繋ぎ止められたの?

古閑:うーん、無理かな?

榊:だってさっき――

古閑:クイズです。これが最後。
    どうして私は、榊くんから離れていくのでしょう?

    答え合わせはしません。
    次に女の子と付き合うまでに、解答を出しておいてね。

榊:くそっ――!

古閑:きゃっ。

榊:最後なんですよね。空っぽになるまでやりまくってやる。

古閑:いいよ、中に出して。ピル飲んでるから。

榊:ああもう、くそっ! 先生は本当に……

古閑:泣いてる?

榊:泣いてるよ。

古閑:これが失う痛みよ。

榊:教えないでよかった。
  誰かを好きになることが、こんなに苦しいなら。
  だから俺は、誰も好きにならなかった。

  誰にも執着しないから、俺は強くいられた。

古閑:けど、それは偽りの強さよ。
    これからの人生、誰とも繋がらず、何も築かずに生きていくの?

榊:先生にはあるの? 失う怖さ。

古閑:あったけど、忘れちゃった。

榊:先生、幸せ?

古閑:ええ、それなりに。

榊:でも、先生はいつもどこか寂しそうだ。

古閑:そう?

榊:俺は先生の、そんな寂しさが好きだった……
   俺がいつか、それを埋められるかもって……

古閑:ありがとう。榊くん。ごめんね。

榊:先生、好きだよ。先生。古閑先生。

  さようなら。


◆10/真紀のアパート


真紀:元気ないね。

榊:お前も。

真紀:どうしたの?

榊:失恋した。

真紀:彼女いたの!?

榊:いた。いや彼女じゃなかったかな。

真紀:なに?

榊:セフレ。

真紀:ときどきいたじゃん。
    あんたがセフレって思ってるだけで、向こうは本気だったパターンばっかだけど。
    切れたとき、そんな落ち込んだ?

榊:だから失恋。

真紀:本気なんだ……

榊:はぁー……

真紀:サカキが人を好きになるなんてね。

榊:俺をなんだと思ってるの?

真紀:冷血男、鬼畜、外道、女の敵、ゲスの極み榊。

榊:そんな俺を部屋にあげてるお前は何なの?

真紀:それは……えっと……

榊:用がないなら帰る。

真紀:ゲームやろ。

榊:……トランプ?

真紀:そう! お店でもらった。

榊:……マジかよ。

真紀:シャッフルするね。

榊:帰るわ。

真紀:待って!

    じゃあ、しよ?

榊:俺、精神的ED。

真紀:うっそ! 失恋したから?

榊:セックス抜きだと、お前のこと、ホントどうでもいい。

真紀:振られても落ち込んでも、やっぱサカキだ。

榊:じゃ。

真紀:一緒にいて! お願い!

榊:なんで?

真紀:それは……

今村:真紀ちゃん! いるんだろう! どうして返事返してくれないんだ?

榊:あー……

今村:君が心配なんだ。誰もいない部屋で倒れてるんじゃないかって。
    でも郵便受けは定期的に空になってるし、洗濯物も干してた。

    きっと中にいるんだよね。

榊:……そういうこと。

真紀:ごめん。

今村:ねえ、真紀ちゃん。
    僕が傷つけたなら謝るよ。
    愛してるんだ。
    もし僕の話が耳に痛い内容だったとしても、本気で君を思う、愛ゆえなんだ。

    もう一度だけ、僕と会ってくれないかな。

榊:うっす。

今村:き、君は……

榊:お久しぶりです、今村先生。

今村:さ、榊君! どうして君が……
    そうか、そういうことか。

榊:はい。そういうことなんでお引き取り願えませんか。

今村:真紀!
    お前、僕を裏切ったのか! 僕の純愛を!
    ふざけるなふざけるなふざけるな!!!

榊:まあまあ落ち着いて。元教え子と肉体関係ですか。やりますね。

今村:榊! お前真紀とやったのか!?

榊:はあ、まあ。

今村:いつからだ!?

榊:一年ぐらい前だっけ?

今村:このクソビッチがあああ!!

榊:先生、こっち向いて。

今村:……スマホ!?

榊:おっ、いい悪人顔。

今村:よこせ――!

榊:さーて、どこに提出しようかな。

今村:よこせといっているだろう――!!!

榊:ぐっ!

真紀:――!!!

榊:いってえ。

今村:お、おお、お前が、お前が……

榊:傷害罪。

今村:…………!!

榊:あーあ、これで先生、前科一犯。他に捕まってなければ。

今村:僕は悪くない!何も悪くない!
    お前が僕を脅迫したからだ! お前のせいだ!

榊:言い訳は動画サイトで、生主として。

今村:僕は無罪だ! 徹底的に戦うぞ!

    弁護士を雇う! 
    お前たちを逆に、脅迫と名誉毀損、不貞行為で訴えてやる!!!

榊:ご勝手に。俺も親に頼んで、弁護士配達してもらう。
  どっちが勝っても泥仕合で、はした金しか取れないだろうけどさ。

  先生は教師クビだろうね。

今村:く、クビ……

榊:一方、俺は学生、こいつは怪しいバイト。
   バレたところで、何のお咎めもなし。

今村:脅迫か! 脅迫しているんだな!
    ネットにお前たちの個人情報を公開してやる!
    ありのままの経緯を公開すれば、ネット社会はみんな僕に同情してくれる!

榊:おーこわ。

今村:僕が破滅するなら、お前たちも地獄に引きずり込んでやる!
    ひひひ。いひひひ。

榊:先生、痛み分けにしない?

今村:痛み分け?

榊:今日のことは黙っておく。
  先生も平岡にはこれっきり。

  どう?

今村:…………!

榊:悪くないだろ?

今村:そ、そうだな。ついかっとなってしまった。
    すまなかったね、榊君。

榊:お気になさらず。

今村:大丈夫かい?
   もし通院が必要なら、費用は僕が……

榊:いいっす。先生のパンチ、ソフトタッチでしたから。

今村:…………

榊:じゃ同窓会で、また。


◆11/真紀のアパート


榊:いってえ。

  ちょっと見栄張った。
  今村のパンチそこそこ痛い。

真紀:ごめん。

榊:これでもう連絡してこないだろ。

真紀:こないかな……

榊:こない。
  あいつは失うものを持っている。そして失いたくない。だから全然大したことない。

  本当にヤバイのは、失うものを何も持ってない奴と、失ってもいいと達観してる奴。

真紀:…………

榊:今村と付き合ってたの?

真紀:懐かしくなって、サイバーエデンで連絡取ったの。
    そしたら心配してたよ、平岡はいつまでも僕の生徒だから≠チて。

榊:歯の浮くようなセリフ。

真紀:毎日夜、勉強見てくれた。
    勉強ってこんなに楽しかったんだって。
    高校辞めて初めてわかった。

榊:錯覚。お前はコミュニケーションに餓えていた。勉強はそのツールだった。それだけ。

真紀:そうかも知れない。でも先生は優しかった。

榊:やれそうだから。

真紀:…………

   いつもそうなんだよね。
   最初は沢山話をしてくれて、優しくしてくれるのに、最後はみんな体を求めてくる。

榊:それ以外、理由ないじゃん。

真紀:私は、私をわかってくれる人が欲しかった。

榊:誰もお前の内面に興味ないよ。そこらのホームレスが自分をわかってくれって話しかけてきたら、お前相手するの。

真紀:いるかもしれないじゃん!

榊:いない。お前の親じゃあるまいし。

真紀:…………

   サカキってさぁ、本当に冷たいよね。

榊:お前が甘すぎ。人の好意をタダだと思うなよ。

真紀:私の初体験、お父さん。

榊:実の?

真紀:義理の。

榊:へえ。

真紀:お母さんはいつまでも女だった。私が邪魔だったんだと思う。
    お父さんと離婚した後、また新しい男と付き合って、もう会ってない。

榊:ふうん。

真紀:お父さんにもお母さんにも、愛された記憶がない。

榊:いないほうがマシだね

真紀:サカキが羨ましい。

榊:まあね。不幸ではない。

真紀:でも私は、あんたみたいにはなれない。

    私、寂しいよ。
    誰も私をわかってくれない。
    わかったふりをして近づいてくるのは、条件付きの愛。
    大人は愛してるって言いながら、体を求めてくる。

    私、愛が怖い。
   愛してる≠ェ気持ち悪い。

    誰か私を愛してよ。
    見返りを求めず、無条件の愛を。

    私を愛して。
    そのままの私を。

榊:無理だね。お前は一生カモ。

真紀:…………
    もういいや。サカキは一生サカキだもんね。

榊:…………

真紀:今日はありがとう。利用してごめん。

    ……帰ってくれないかな。

榊:お前のそれ、子供の愛情だよな。
   親に無条件の愛を注いでほしいって。

真紀:そういう人種だもん、私。

榊:愛情は注いでくれても、こっちの愛は受け取ってくれないのも辛いよ。

真紀:サカキの好きな人?

榊:そう。

真紀:愛されるよりも愛したいってやつ?

榊:かな。

真紀:私は愛されたい。

榊:でもその人の心には、自分はいない。それでもいい?

真紀:それは……

榊:愛するのも愛されるのも、両輪なんだ。
   どちらかが大きすぎたり、小さすぎたりしても傾く。

   ああそうか、そういうことか、先生。
   気持ちに応えられないって、こういうことだったのか。

   やっとわかったよ。
   俺が先生を好きになり過ぎたから、先生の好きと釣り合わなくなった。

   けど先生は、俺に愛することを、教えたかった。

   別れは必然だったんだ。
   はははは、馬鹿だな俺。

   本当に馬鹿だ……

真紀:…………

   私、サカキのこと、ちょっとだけ好きだよ。

榊:…………

真紀:あんた冷血男だし、愛情なんてスプーン小さじ1ぐらいだろうから、私のことも、ちょっとだけ愛してよ。
    お互い、重くなくていいじゃん。愛することと、愛されることの練習。

    ね、どう?

榊:……俺は嫌だ。

真紀:なんでよ。

榊:俺は、誰かを好きになるのは嫌なんだ。

  独りぼっちの運動会の昼飯も、
  周りが家族旅行の作文を書いている中、俺だけ書いた、読書感想文も、
  初めて告白して振られて、一年間クラスでずっと気まずかった想い出も、

  俺は人を好きになりたくない。
  その人が気になって、落ち込んだり浮かれたりする、その精神状態が嫌だ。
  落ち着かない。イライラする。悔しい。

  最初から誰も好きにならなければいいんだ。

真紀:……寂しくない?

榊:寂しいよ。

真紀:じゃあ――

榊:誰かを好きになって寂しいなら、一人きりで寂しいほうがずっとマシだ。

真紀:だからサカキの好きな人は、サカキから離れたんだね。
    一人よりもずっと、サカキを寂しくさせるから。

榊:…………

真紀:私がサカキを好きで、サカキも私を好きなら、寂しくないよ。

榊:……そうかな。

真紀:そうだよ。

榊:俺も、平岡を少し好きになってみる。

真紀:あ、嬉しいかも。

榊:キスしてみる?

真紀:……うん。

榊:…………

真紀:…………

榊:どう?

真紀:わかんない。

榊:だよな。

真紀:でもさ、気持ち悪くない。

榊:は?

真紀:ねえ、愛してる≠チて言ってみて。

榊:えええー。

真紀:いいから。

榊:真紀、愛してる

真紀:あはっ、あははははははっ!!!

榊:お前さぁ、言わせておいてそれはなくない?

真紀:違うの、気持ち悪くないの。愛してる≠ェ。
    こんな愛してる≠ヘ初めて。

    あははははっ。

榊:はあ。

真紀:ねえ。私、サカキのこと、丸ごと愛せるかも。
    内面だけじゃなくて、顔も声も、そのやる気のない表情も、醒めた眼差しも、くちびるの熱も。

    VR(ブイアール)じゃ絶対に数値化できない、そのままのサカキを。

    今なら愛してる≠受け入れられる。
    私もあなたを愛してる≠ゥら――




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