The 13th prince(プリンス・オブ・サーティーン)

第28話 鬼神(おにがみ)の里

★配役:♀3両1=計4人

▼登場人物

羅刹楓(らせつかえで)
十九歳。倭島国の那岐(なぎ)の里の頭目。
十年に一度の穢れ迎えの祭りで産まれた赤子であり、里の者でも随一の穢れ≠持つ。
顔形はごく平凡だが、六尺三寸(190cm)の大女であり、倭島国では成人男子を含めても頭抜けた長身。
旅籠屋で飯盛り女として身売りをしているが、その長身のため、客付きは悪い。

影渡りとしての忍び名は、羅刹女(らせつにょ)
最大七尺六寸(2m30cm)という、自身の身長よりも長くなる、伸縮自在の金棒を武器とする。

夜霧紅葉(よぎりもみじ)
十四歳。倭島国の那岐(なぎ)の里の影渡り。
髪上げを終え、元服の日を迎えたばかり。楓を「あねさま」と呼んで慕っている。
前頭目の娘であり、黄泉の国の穢れ≠ヘ色濃く受け継がれている。
異形異相の者が多くを占める那岐の里では、比較的整った顔立ちをしており、里の稼ぎ頭と期待を寄せられている。

影渡りとしての忍び名は、煙羅(えんら)
体から霧を出す特異体質であり、特製の丸薬を服用ことで、霧に薬効を含ませることも可能。

紗玖耶(さくや)
那岐の里の影渡りが長年仕えてきた、稜威母(いずも)の国の姫君。
可憐と高貴の色を纏い、春爛漫の桜の花も、紗玖耶の色香に、恥じらい落ちる≠ニ謳われるほどの美姫。
しかしその性格は、鰐鮫(わにざめ)のように冷酷で、(まむし)のように残忍である。
藩主である父が病床に伏しているのをいいことに、専横を振るう。

鬼神様(おにがみさま)
那岐
(なぎ)
の里で祭られている祭神。
里の山の奥深くにある洞窟の大岩に封じられており、十年に一度の穢れ迎えの祭りの際に開かれる。
かつて天津神(あまつかみ)と争った国津神(くにつかみ)の主であり、天孫である帝一族も畏れ敬うという。

※鬼神様と紗玖耶は、二役になります。
※鬼神様の声は別キャストにしてありますが、被りでも構いません。

※注意
・ルビの振ってある漢字は、ルビを読んでください。
・特定のルビのない漢字は、そのまま読んでください。



□1/〜十年前〜那岐の里山で紅葉を探す楓

(行方の知れなくなった四歳の紅葉を探し、那岐の里山で名を呼び回る九歳の楓)

楓:紅葉――! 紅葉――!

  どこにもいない……
  里中総出で探しているのに……
  まさか、神隠しに……

紅葉:あ! あねさま……!

楓:紅葉――!
  どうしてこんな山の中に来たんだ!

紅葉:おにがみさま……

楓:え――?

紅葉:おっかあがいってた。
    おとうは、おにがみさまの国へいったんだって……

楓:鬼神様……

(紅葉の歩いてきた先、注連縄の捲かれた大岩に目をやる楓)

紅葉:あねさま。
    おとうは、この岩のむこうにおるんじゃろ?

    だからおら、ずっとおにがみさまにおねがいしとった。
    あねさまも、おにがみさまにおねがいしてけろ。

楓:紅葉……

紅葉:おとうは、おらがややのころ、わるいことして、いずものとのさまに首はねられちまった。
    でもおら、おとうにあいたい。

楓:わかった……わたしも一緒にお願いしよう。

紅葉:ありがとう! あねさま!

    おにがみさま、おにがみさま。
    どうか、死んだおとうにあわせてください。
    おら、これからアワやヒエのおまんまでも、のこしません。

    おねがいします!

楓:鬼神様……

  どうか里の皆が、腹一杯白い米を――いえ、麦でもいいです。
  たらふく食べられるような暮らしをさせてください。

  それと、わたし……
  背がどんどん伸びて、まだ九つなのに、とうとうおっかあを抜かしてしまいました。
  いつ角や牙が生えてくるのか……鏡を見るのが恐ろしいです。
  わたしの穢れ≠ェ外見(そとみ)に出ぬように計らってください――

(注連縄の捲かれた大岩に、手を合わせて祈る楓と紅葉)

紅葉:おにがみさま、なんもこたえてくれねえだ……

楓:帰ろう、紅葉。おっかあや、里のみんなが待っている。

紅葉:おにがみさまのあほう! おとうをかえせ!

楓:こら! 紅葉――!

紅葉:…………!?

楓:――――!!

紅葉:へんな風……なまぬるい手に……ほっぺなでられた……

楓:気のせいだ……帰るぞ、紅葉。

紅葉:う、うんっ! おら、先かえる!

(鬼神様の大岩に背を向けて、一目散に山を駆け下りる紅葉)
(一人残った楓は、注連縄の大岩を振り返り、ぽつねんと呟く)

楓:鬼神様……


□2/那岐の里、入り口


楓:紅葉――おぬしは今日で十四。水揚げの歳となった。

紅葉:はい。
    あねさまも、十四の元服では旅籠屋(はたごや)に……?

楓:那岐の里のおなごは、皆そうだ。

紅葉:あねさまは、いかがでしたでしょうか……

    ……いえ、やはり結構です。
    知らぬ方が良いこともございましょう。

楓:……道中、私が送ろう。
  藩主様……いや、紗玖耶姫の御用召しもある。

紅葉:あねさま、私の手を引いてくださりませぬか。
    私の足が、明後日の向きへ逃げ出してしまいそうなので。

(俯く紅葉の手を取り、引っ張るように歩き出す楓)

楓:……往こう、紅葉。

紅葉:はい。


□3/稜威母(いずも)の城、藩主の間



楓:紗玖耶姫……今、何と?

紗玖耶:聞こえなかったのかや。
     おぬしら百鬼衆(ひゃっきしゅう)へあてがう俸禄(ほうろく)を、半分に減らすと言ったのじゃ。

楓:恐れながら、紗玖耶姫――!
  我ら百鬼衆は、里の痩せ地を耕し、アワ、ヒエなどの雑穀を育てておりますが、食うや食わず……!
  これ以上、稜威母(いずも)の国より(たまわ)(ろく)を減らされてしまえば、一族郎党(いちぞくろうとう)飢え死にする次第にござる……!

紗玖耶:死ねば良かろう?

楓:……は?

紗玖耶:ほほほ、(そぞ)(ごと)じゃ。()に受けるではない。

     おぬしも知っての通り、稜威母(いずも)の国は日照り続き。
     近年まれに見る凶作じゃ。
     城の米倉に積んだ(たわら)も、数を寂しく減らしておる。
     おぬしらに下げ渡す(ろく)も無いのじゃ。

楓:は……稜威母(いずも)の国のお台所事情は、重々承知しておりまする。

  なれば……(ろく)先借(さきが)りをお頼み申し上げる。
  連日の日照りで、里の稚子(ややこ)が弱り果て、白米の(かゆ)なら喉を通るかと――

紗玖耶:無いと申しておろうに。

     空きっ腹を抱えておるのは、おぬしらだけではない。
     手前勝手ばかり()ねるでないぞえ。

楓:しかし紗玖耶姫――!

紗玖耶:じい、百鬼の者との面会は終わりじゃ。
     次の者を呼んで参れ。

楓:……御意。

  失礼、(つかまつ)る。

(大柄な肩を落として藩主の間を後にする楓)

紗玖耶:やっと失せたか。
      じい、穢多(えた)()しておった畳を取り替えや。
      嗚呼、穢らわしい。

(老中の指示により、藩主の間に真新しい畳が運び込まれ、取り替え作業が始まる)

紗玖耶:のう、じい。
     影渡(かげわた)りなどという、あの穢多非人(えたひにん)どもとは、縁切り出来ぬのかや?

     ご先祖の時代は戦乱の世ゆえ、彼奴等(きゃつら)にも値打ちはあったのじゃろうが、この天下泰平(てんかたいへい)の世。
     奴らを飼っておくなど、とんだ捨て扶持(ぶち)じゃ。

     先頃(さきごろ)島津の行商人が売りに来た、珊瑚細工のかんざし――
     もう一寸(いっすん)金子(きんす)があれば、わらわの黒髪を飾る誉れに浴することが出来たというのに。
     それもこれも、彼奴等(きゃつら)にくれてやる(ろく)さえ無ければ……!

     嗚呼、忌々しい穢多非人めらよ。
     彼奴等(きゃつら)め……この日照りで死に絶えてくれぬかのう。


□4/那岐の里の山奥、(みそ)ぎの泉


楓:……紅葉、ここにおったのか。

紅葉:あねさま……よく私の居場所がわかりましたね。

楓:私も……十四の時、独り、この泉で(みそ)ぎをした。

紅葉:……童子(わらし)の頃も、こうしてあねさまに見つけられました。

楓:……私も鬼神様に祈ったことがある。
  幾度も……今でも、時折。

紅葉:…………

楓:皆、おぬしを探しておる。
  今日は白米だ。

  往こう。米が固くなってしまう。

紅葉:それが私の……初物(はつもの)の値段ですか。

楓:…………

紅葉:旅籠屋(はたごや)で、あねさまの噂を聞きました。
    聞くに堪えぬ……侮辱と嘲りの数々……

楓:私は六尺三寸(ろくしゃくさんすん)大女(おおおんな)故……口の()にも上がるであろう。
  それでも目一杯値を下げれば……文無しと物好きの客は付く。

紅葉:見目のまともな女が、身売りで里の暮らしを支える……
    私やあねさま……母や祖母たちが恥辱を忍んで……
    私の父や里の男衆(おとこしゅう)は、そんな女たちを見かねて夜盗を結成し、稜威母(いずも)の殿様に捉えられ打ち首に処された……

楓:…………

紅葉:我らは、鬼の子……
    近隣の村々では、悪鬼羅刹の里と恐れられる……
    ならば何故、赤貧に喘いでおるのでございましょう……

    私はもう、斯様(かよう)な暮らしは、しとうありませぬ――!

(みそ)ぎの泉より振り返り、畔に立つ楓に抱きつく紅葉)

楓:この那岐の里は……罪人の流刑地(るけいち)だったのだ。

  祟り神である鬼神様を鎮めるために作られた、生贄の里……
  我ら里の者は、鬼神様に仕える、うつつの黄泉人(よもつびと)……
  罪の穢れに黄泉の穢れ……二重の穢れ≠ノ塗れ、異形異相の妖怪変化と成り果てる……

 人に(あら)ざるもの、その穢れを平民に移してはならぬ≠ニされる……

紅葉:遠い先祖が罪の穢れを背負っていたとしても、産みの(みそ)ぎを果たした赤子にまで、穢れ≠見るのでございますか……!
    我らが罪に穢れていたとしても、何故上様や平民たちは、斯くも無慈悲になれるのでしょう……!

    見目は違っても、我らの心は百姓や町民、お侍と、(いささ)かも変わりませぬ……!

楓:紅葉……

紅葉:だから私も、あねさまも……こうして泣くのでございます……!


□5/那岐の里、藁葺き屋根の集会場


楓:皆も知っての通り。
  一年前に来航し、倭島国に隷属を迫った黒船……
  ブリタンゲインなる南蛮の帝国と、幕府の交渉は決裂した。

  我ら百鬼衆は、稜威母(いずも)の隠密として幕府軍に参ずる。
  藩主様より、軍資金として千両箱を三つも賜った――!

  今こそ上様に、我ら百鬼の力を示す好機――!
  皆の者、積もり積もった塗炭(とたん)の苦しみを、存分に晴らそうぞ――!

(異形異相の者たちが歓呼の声を上げ、江戸へ向かって影を渡るように走り出す)
(無人になった藁葺き屋根の集会場に、一人残った紅葉が、何かを言いたげな表情でやってくる)

紅葉:あねさま……

楓:その名は止めろ。今は戦時(いくさどき)だ。

紅葉:……お頭様(かしらさま)。一つお尋ねしてもよろしいでしょうか。

楓:何だ、煙羅(えんら)よ。

紅葉:稜威母(いずも)の国は幕府軍に参ずると、藩は(おおやけ)に宣言したのでございましょうか。

楓:おぬしはよく知恵が回るな。推察通り、まだ密事だ。

紅葉:紗玖耶姫、ですか。

楓:姫は、まずブリタンゲインの兵力を調べ、幕府に分があるかどうかを当たる(おぼ)しだ。

紅葉:春爛漫の桜の花も、紗玖耶の色香に恥じらい落ちる=c…

楓:病床に伏した殿様に代わり、藩政を執られるだけはあられる。
  我が儘放題に見え、稜威母(いずも)の国随一(ずいいち)知恵者(ちえしゃ)だ。
  紗玖耶姫は、才色兼備よ。

紅葉:失礼ながらお頭様、浮かれすぎではござりませぬか。
   彼の紗玖耶が、我ら里の者にしてきた仕打ちを(かんが)みれば、まともな褒美を取らせるとは、ゆめゆめ思えませぬ。

楓:稜威母(いずも)の国が我らの奉公に(むく)いぬなら、幕府に我らの功を陳情しよう。

  赤貧洗うが如く、苦渋の汁を舐めた、天下泰平の(のぼり)は引きずり下ろされた。
  かつて戦国の世に暗躍し、勝ち(どき)に鬼の影有り≠ニ言わしめた、我ら百鬼の力……
  目にもの見せてくれようぞ。

紅葉:…………


□6/稜威母(いずも)の城、藩主の間


楓:ご報告、(たてまつ)ります。
  黒船より降りたるブリタンゲイン人は、南蛮の妖術師の集団……
  相模(さがみ)の国を瞬く間に平らげるや、東海道を進み、真っ直ぐ江戸へ向かっております……

紗玖耶:……幕府軍はどうなっておる。

楓:武蔵の国で迎え撃った二万の幕府軍は、潰走(かいそう)に次ぐ潰走でその数を減らし……
  昨日(さくじつ)では、一千を切るに至っております……

紗玖耶:合戦から僅か三日で、この有様かや……
     おぬしは幕府の分をどう見る。

楓:恐れながら申し上げるは……
  幕府は、万に一つを掴めれば……
  或いは、(げん)の船を沈めた、神風が吹けば……!

紗玖耶:あいわかった。
     もうよい、下がれ。

楓:はっ――

紗玖耶:それと……停泊中の黒船に忍び込み、消息を絶った者がおったそうじゃのう。

楓:はい。忍び名を海坊主……名を与兵衛(よへい)と申しました。

紗玖耶:じい、金子(きんす)を渡してやれ。

楓:こ、これは……!?

紗玖耶:稜威母(いずも)の国のため、いや倭島のために命を落とした忠霊に、ささやかな手向けじゃ。

楓:有り難き幸せ……!
  亡き与兵衛(よへい)も姫のお情けに、報われる想いでしょう……!

(楓が藩主の間を去った後、紗玖耶は側近の老中を呼び付けて密談を始める)

紗玖耶:……じい、弱ったことになったのう。

     中華龍王国(ちゅうかりゅうおうこく)が、阿片漬けにされて征服されたと聞いてから、二十年余り……
     ブリタンゲインの前では、幕府軍など赤子の手を捻るようなものであろう。

     倭島はもう長くなさそうじゃ。

紗玖耶:のう、じい。
     先度(せんど)金子(きんす)袋には、如何ほど入れた?

     なんと、小判一枚と――?
     穢多の命一つに、過ぎたる金じゃ。
     まあ良いわ。いずれ戻ってくる金じゃ。
     彼奴等(きゃつら)に呉れてやった、三千両と共にのう。

     じい、家老一同を集めよ。
     稜威母(いずも)の生き残りを賭けた、一世一代の桶狭間じゃ――!


□7/那岐の里に続く林道、荷を積んだ大八車を引く楓と紅葉


楓:ふう……ふう……

紅葉:あねさま、重くはございませぬか。
    三十の米俵を積んだ荷車を引き、背には味噌、塩の壷まで背負い……

    牛馬(ぎゅうば)でも根を上げまする。

楓:何のこれしき。鬼が牛馬に後れを取ってどうする。

  皆の衆に、腹一杯の飯を食わせてやりたくてな。
  数年ぶりの白米だ。精も(みなぎ)ってこよう。

紅葉:張り切っておられますね。

楓:紅葉、御用命があるというのは有り難いことだ。
  ようやっと上様の……天下のお役に立てる。

  田畑を与えられず、商人にも職人にもなれず、あらゆる表の職務から締め出され、無聊(ぶりょう)(かこ)っていた我らが……
  天下のため、倭島のため……夷狄(いてき)と戦う、刀となれるのだ。

  十九の人生で、これほど栄えあることはなかった。

紅葉:十九と言えば……
    あねさまは、十年に一度の祭りで産まれた子。
    来年もまた開かれますね。比良坂(ひらさか)の岩戸が……

楓:穢れ迎えの祭り……もうそんな周期が巡ったか。

紅葉:……先日、私の家に白羽の矢が立ちました。

楓:まことか――!?

紅葉:内密にお願いいたします。

楓:そうか。おぬしが選ばれたのか……

紅葉:十年に一度、比良坂の岩戸が開かれ、鬼神様に選ばれたおなごは、一晩を地の底……黄泉国(よもつくに)で過ごす。
    翌朝帰ってきたおなごは、黄泉の穢れを腹に宿し、鬼神様の子を産み落とす……

楓:…………

紅葉:あねさまのお母上は……何をされたのでしょう……

    いいえ、わかっております。
    生贄に選ばれたおなごは、皆、頑として口を割らずに生涯を終えていった。
    何をされたか、想像したくもありませぬ……!

楓:鬼神様の落とし子は、次期頭目となるが里の掟――

紅葉:私は鬼の子など、孕みとうありませぬ――!

楓:…………

紅葉:旅籠屋(はたごや)に来る馴染みの客で、私を身請けしたいと申す者がおりました。
    山陰道(さんいんどう)で、小豆商(あずきしょう)を営んでいる者でございます。

楓:おぬしは、どうするつもりだ。

紅葉:あねさま……あねさまも共に往きませぬか。

楓:私のような大女を身請けしたいという酔狂者(すいきょうもの)など――

紅葉:おります。石見(いわみ)の国の下駄職人に。

楓:ああ……あの四十過ぎの男やもめか。
  私は好かぬ。彼奴(あやつ)は私を犬畜生の如く扱う。

紅葉:しかし町人です。あねさまも穢多非人の賤民(せんみん)から抜け出せる。

楓:私は……男は嫌いだ。男も私を嫌う。おぬしと違って、私は醜女(しこめ)だ。

紅葉:南蛮の国では、成人男子であれば、あねさまぐらいの背丈の者は珍しくないと聞きました。

楓:……何を言いたいのだ。

紅葉:ブリタンゲインへ渡りませぬか……!
    那岐の里も、稜威母(いずも)のお国も捨てて……!
    私と共に……!

楓:……それがおぬしの本懐か。

紅葉:左様にございまする……!

楓:私は何も聞こえなかった。

紅葉:あねさま……!

楓:往くなら……一人で往け。

  私は何も聞こえなかった……
  故に、おぬしの行き先も知らぬ。

紅葉:御意……
    お頭様……さらば、御免――!

(大八車の後ろにいた紅葉は、跳躍する影となって林に姿を消す)

楓:紅葉……

(林道に一人残った楓は、心に落ちた錘の分だけ重くなった大八車を引きずり、歩き出す)

楓:……!?

  煙の臭い……硝煙も混じっている……
  この風向き……那岐の里から吹いてくる風だ――!


□8/火の手に包まれる那岐の里


楓:里が……家々が燃えている……!
  それにこの、耳をつんざく火薬の破裂音……!

紗玖耶:ほほほ。藁葺(わらぶ)きのあばら屋はよう燃えるのう。

(栗毛の馬にまたがった紗玖耶姫を守るように、陣笠を目深に被った鉄砲隊が方陣を作っている)

楓:紗玖耶姫……!

  何故……何故このようなことを……!

紗玖耶:幕府の敗北は、最早誰の目にも明らかじゃ。
     倭島がブリタンゲインの属国となるのは避けられまい。

     となれば、新しき南蛮の御上に、恭順の意を示すが吉。
     稜威母(いずも)は倒幕の旗を挙げ、攘夷派(じょういは)の連中を討つ。

楓:我ら百鬼は、稜威母(いずも)の御家に仕えてきた一族……!
  稜威母(いずも)が倒幕派と相成るならば、それに従い(そうろう)……!

紗玖耶:稜威母(いずも)の山に、妖怪変化の里があり――
     鬼ども降り来たりて、山陰道を、百鬼夜行が練り歩く――

     動乱の維新に、おぬしら影渡りは用立つであろう。
     さあれども、百鬼の噂は、広まり過ぎた。
     江戸や大阪で、浮世絵や浄瑠璃の題材となるほどじゃ。

     万に一つ、稜威母(いずも)藩と百鬼の繋がりが露呈すれば、戦国よりの策動は総て明るみに出る。
     そうなれば、御家取り潰しは必定(ひつじょう)……
     わらわは良くて島流し、悪くば市中引きずり回しの上、晒し首じゃ。

     ブリタンゲインの黒船に、鬼の一匹が捕まったそうじゃのう。
     おぬしが馬鹿正直に申したお陰で、わらわの腹も決まったわ。

楓:くっ……!

紗玖耶:鉄砲組、火縄銃に弾を込めい。
     鬼どもを一匹残らず撃ち殺せ。

     稜威母(いずも)の鬼狩りじゃ。
     鷹狩りより風情があり、転楽(うただの)し。

楓:おのれ……! おのれ紗玖耶あああっっ……!!!

(激しい怒りで楓の満身が膨れ上がり、羅刹の貌となって、紗玖耶の方陣へ突撃していく)

紗玖耶:撃て。

楓:がああああああ――!!

紗玖耶:二列目、撃てい。

楓:ぐううおおお……!!

紗玖耶:狼狽えるでない。
     血も噴き出せば、骨も削れ飛んでおろう。
     鬼や羅刹といえど、多少造りが頑丈なだけの人間じゃ。

     三列目、撃てい。

楓:ぐう……あああっ……!!

(三段撃ちの鉄砲に、羅刹の如く駆けた楓はついに倒れ、方陣の前に血塗れの長駆を沈める)

楓:う、うう……

紗玖耶:鬼も呆気無いものじゃのう。
     時が時なら、わらわは鬼殺しの豪傑じゃ。

楓:紗玖耶、姫……
  御身は、私を同じ人間だと言った……
  ならば……何故我らを、穢多非人と忌み、遠ざける……

紗玖耶:簡単なことではないか。
     百姓が居らねば、誰がわらわの米を作る?
     機織りが居らねば、誰がわらわの西陣を織る?

     皆が皆、藩主と同じ暮らしを望んでは、世は成り立たぬ。
     百姓や大工が、己の職分に不満を抱いた時……おぬしら穢多非人を見下ろせば、溜飲も下がるであろう。

楓:…………!

  紅葉よ……おぬしの言った通りであった……
  紗玖耶など信じた私が愚かであった……

紗玖耶:穢れ多き賤民は、殺してやるも慈悲じゃろう。
     功徳を積んでおれば、来世は百姓ぐらいにはなれるやもしれぬぞ。

(突然刺激臭のある白い煙が辺りを包み、紗玖耶や鉄砲隊は涙を流しながら悶える)

紗玖耶:な、何じゃこの煙は……! 目に染みる……!

楓:この煙……霧隠れの術……!

紅葉:あねさま――!

楓:紅葉……!

紅葉:この霧は、玉葱をすり下ろした生薬の汁を含む霧。
    霧時雨(きりしぐれ)の中、目を封じられては、狙いを定めることは成りませぬ。

    煙の妖怪変化『煙羅(えんら)』の、面目躍如(めんもくやくじょ)にございます――!

紗玖耶:声じゃ! 声の聞こえる方を撃て!

紅葉:お肩を――!

楓:借りる……!

紗玖耶:逃がさぬぞ……! 鬼ども……!


□9/那岐の里山奥深く、比良坂の岩戸の前


紅葉:比良坂の岩戸……

楓:遙か神代(かみよ)の時代に、天津神(あまつかみ)と激しく争い、戦い敗れ、国譲りの約定(やくじょう)を結んだ。
  その後、岩戸の奥にお(こも)りになったという……
  鬼の神が(ましま)す……現世(うつしよ)隠世(かくりよ)の境目…… 

紅葉:あねさま……正気でございますか。

楓:那岐の里は滅び……我らもここで死ぬ……
  なれど紗玖耶に一矢報いねば、死んでも死にきれぬ……!

紅葉:……紅葉は、あねさまにお供いたします。

楓:まずはこの注連縄が邪魔だ。

  ふんっ――!

(楓は力任せに、大岩を巡る注連縄を引きちぎると、岩戸を真横から押し始める)

楓:岩戸を押す。鬼神様を叩き起こすのだ。

紅葉:微力ながらお力添えを。

楓:往くぞ――……!

紅葉:はいっ――!

楓:ぬううううう……!!

紅葉:はあああああ……!!

楓:岩戸が動き出した……!

紅葉:あねさま、もう一踏ん張りです……!

楓:よし……あと一息……!

  せえええいっっ!!

紅葉:開いた……!
    神代の時代より封じられていた、黄泉国(よもつくに)の入り口が……!

楓:はあ……はあ……

  な、中はどうなっておる……?

紅葉:何も……ありませぬ……

楓:はっ……?

紅葉:何もありませぬ……!

    比良坂の岩戸の後ろには……
    ただ……浅くて狭い岩屋(いわや)が……ぽつんとあるだけにございます……!

楓:そん、な……

(山道の下に無数の提灯の火がちらつき、鉄砲隊に囲まれた栗毛の馬に跨り、紗玖耶が姿を現す)

紗玖耶:鬼神様≠ニやらに、わらわに神罰が下るよう縋ったのかや?
     ほんに阿呆な連中じゃ。鬼神様など居るはずが無かろうて。

紅葉:し、しかし……穢れ迎えの祭りでは、鬼神様に見初(みそ)められたおなごは、鬼神(きじん)の子種を授かると……
    現にあねさまも、私の父も、穢れ迎えの祭りで種を授かった末、産まれた子……

紗玖耶:そんなもの、里の男衆が見惚(みほ)れたおなごを体良く犯すための口実じゃ。
     辺鄙(へんぴ)な田舎の村々では、極々有り触れた因習。
     文明開化の足音が聞こえるこのご時世に、真面目に信じておるとはのう。

楓:私の母は、そんな因習に……?
  私はそんな男どもの子だと……?

  紅葉も……また因習の生贄に……?

紅葉:いいえ、鬼神様はおります――!

楓:紅葉……おぬしも見たであろう……
  鬼神様など……迷信だったのだ……

紅葉:いいえ――!
    私は四つの頃、鬼神様の息吹を感じました――!
    鬼神様は、しかとこの那岐の里におわします――!

紗玖耶:どれ、あの狭苦しい岩屋(いわや)に入ってみる猛者(もさ)はおらぬかや?
     見事、鬼神様とやらの御室(みむろ)へ入った者には、この鼈甲(べっこう)(くし)をくれてやろう。

(鉄砲隊の面々は、肝が据わっているところを見せようと我先に名乗りを上げる)

紗玖耶:そうじゃなあ、お前にしようかのう。

     どうじゃ、何事も無かろう?
     どれ、そこの岩屋(いわや)で立ち小便でもしてみい。

     ほほほほ、何も起こらぬ。
     鬼神様とやら、わらわを祟るというなら、祟ってみい。

楓:生温い風……
  これは……十年前と同じ……

(不意に岩室の暗がりから、男の絶叫が響き渡る)

紗玖耶:何じゃ。つわものと名乗りを挙げて、情けない悲鳴を上げるでない。
     (まむし)でもおったのかや。

     ひっ……!

紅葉:鬼神様の御室(みむろ)に踏み込んだ兵……
    死んでいる……海月(くらげ)のような骨抜きになって……!

楓:蛭子(ひるこ)……!

(岩室の暗がりから、底知れぬ声で喜悦の音が伝わってくる)

鬼神様の声:おお……現世(うつしよ)に降りたのは数百年ぶりじゃ……
        なれど夜の風は骨身に染みる……

        欲しい……欲しい……
        柔らかな肉が……温かな血が……

紗玖耶:な、何じゃこの風は……! 吸い寄せられる……!

紅葉:ま、まるで鬼神様の御室(みむろ)が、大口を開けているかのように……!

楓:紅葉、掴まれ! 鬼神様に飲み込まれるぞ――!

(数十の兵を岩室に飲み込んだ後、声は哀しげな念を伴って響き渡る)

鬼神様の声:おお……
        肉じゃ……血じゃ……骨じゃ……
        柔らかい……温かい……しかと足で立てる……

        なれど斯様に醜い姿では、恥ずかしゅうて姿を晒せぬ……
        肉の上に被る衣が……人間(ひと)皮膚(かわ)が……
        欲しい……欲しい……欲しい……

楓:肉の塊が飛び出してきた……!

紅葉:あれが鬼神様なのですか……!? あの奇怪な肉塊が……!

紗玖耶:ひいいっっ!! くるなっ! くるな化け物っ!!

鬼神様の声:なんと気高く麗しい声じゃ……
        その面差しをよう見せておくれ……
        おお……可憐で高貴な(たま)顔貌(かんばせ)じゃ……

        お前の顔と声をもらうぞ……

楓:紗玖耶姫が……馬ごと、肉の触手に取り込まれていく……

紗玖耶:助けて、助けて、助け……

楓:引っ込んでいった……岩屋(いわや)の中に……

紅葉:逃げましょう、あねさま――!

楓:……いや、私は逃げぬ。

(岩室の奥から全裸の女が出てくると、楓は膝をついて頭を下げる)

楓:お初にお目に掛かります。
  私は那岐の里の頭目、羅刹楓と申す者。
  御身に仕えるうつつの黄泉人(よもつびと)の一人にございます……
  鬼神様――


□10/明け方、ブリタンゲイン帝国大型輸送船ガレオンの船長室


紅葉:お頭様。ブリタンゲイン人を一人残らず眠らせ、船底(ふなぞこ)の倉庫に放り込みました。

楓:顔の見えぬ者はおらぬか。童子(わらし)や年寄りは。

紅葉:点呼良し。里の者は全員乗り込んでおります。

楓:それでは――

(楓が眼差しを向けた先には、紗玖耶姫の面影を残した、しかし全く異質な雰囲気を纏う美姫がいた)

鬼神様:わらわの出番かや。

     どれ。

(鬼神の姫は、船長室の中央に据えられた、台座に乗せられた操舵球体に手を置く)

楓:動き出した……!

紅葉:金属の球に手を置いただけで、この巨大な船が……!

鬼神様:これは魔導汽船(まどうきせん)と言ってのう。
     魔因子……おぬしの言葉では穢れ≠ナあったかや?
     わらわの与えた妖気で動く、絡繰(からく)り船じゃ。
     楓、紅葉。おぬしらでもコツを掴めば、操舵(そうだ)出来るぞよ。

     (もっと)も魔晶核が無いと、魔力の扱いに難儀するかもしれぬがのう。

楓:魔晶核……その鬼神様の額にある三つ目≠フことにございますか。

鬼神様:三つ目とな?
     ほほほほ、おぬしは面白いことを申すのう。

     古代の人間どもは、水晶に似ているから魔の水晶――魔晶と名付けた。
     古代人と倭島の人間の感性の違いは、まことに興味深い。

紅葉:額の三つ目……魔晶核が消えた……!

鬼神様:人目に付くとあらば、消すことも出来る。
     これをやるのは、ちいと玄人芸(くろうとげい)になるがのう。

楓:まさに神業……! 鬼神(きじん)の神通力だ……!

鬼神様:鬼神(きじん)……また神か。
     嗚呼、そう言えば大悪魔(ダイモーン)とも呼ばれたのう。

     どれも好かぬ。
     わらわは、神も悪魔も御免じゃ。

楓:では何とお呼びすれば……

鬼神様:アスラ。わらわを造り出した者は、そう名付けた。

楓:では……阿修羅姫(あすらひめ)
  倭島に伝わる鬼神(きじん)の字を当てた名は如何でしょう。

鬼神様:阿修羅姫……よい名じゃ。
     此よりは阿修羅姫と名乗ることにしようぞ。
     有り難う、楓。

楓:勿体無きお言葉――!
  (わたくし)めこそ、長年祭られてきた鬼神様……阿修羅姫とじきじきに言葉を交わすことが叶い、感無量でございます……!

鬼神様:のう、楓。
     ようわらわをあの岩戸より出してくれた。

     現世(うつしよ)の、何と色鮮やかで(かぐわ)しきことよ。
     肉も骨も無い隠世(かくりよ)には、戻りとうない。

     美しい海の青も、空に浮かぶ雲の白も、大層気に入った。
     即今(そっこん)より、この地上はわらわのものじゃ。

楓:…………?

紅葉:…………!

鬼神様:楓、紅葉、何を(ほう)けておるのじゃ?
     わらわは可笑しなことは何一つ言っておらぬぞよ。

     ハ・デスを滅ぼすために産み出された大悪魔(ダイモーン)……
     このわらわが、蒼く丸い惑星(ほし)を我が手に収めることに、何の不思議があろう?

     ほほほほほ――

紅葉:あねさま……

楓:……ああ。

紅葉:やはり私には……あの御方を無邪気に盲信することは……とても出来ませぬ……
    必ずや倭島……いえ、全世界に災いをもたらすような……不吉な予感がしてならぬのです……

楓:紅葉よ、おぬしの思いもようわかる。
  なれど私は……鬼よりも鬼神(きじん)よりも、人間が恐ろしい。
  幾度異質な言動や振る舞いを見聞きして尚……鬼神(おにがみ)より、唯の人間が怖いのだ……

紅葉:…………

鬼神様:さあ――ブリタンゲインの地へ往こう。
     わらわの生まれ故郷……約束の地へ。



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