The 13th prince(プリンス・オブ・サーティーン)

第23話 鬼神の恋人

★配役:♂2♀3両1=計6人

▼登場人物

ガウェイン=ブリタンゲイン♂
三十七歳の機操騎士。『大英帝国の要塞』の異称を持つ。
ブリタンゲイン五十四世の一番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、ブリタンゲイン陸軍元帥。
自身も優れた搭乗型魔導具『魔導装機』の乗り手であり、数多くの武勇伝を打ち立てている。

第一皇子であり、皇位継承権第一位。
しかし寵姫ラグネルの子であるため、側室の子であることを問題とする勢力もある。

搭乗する魔導装機は、専用重量型〈グレートブリテン〉。
全身を重火器で武装し、斥力障壁も備えた、移動要塞とも呼べる帝国最強の魔導装機である。

アムルディア=ブリタンゲイン♀
十六歳の機操騎士。第一皇子ガウェインの長女。
ブリタンゲイン五十四世には、孫に当たる。
ブリタンゲイン陸軍『魔導装機師団』の第八師団長を務める。

ハーフドワーフ。
母親であるアンナは、洞窟人ドワーフの王族である。
ドワーフの血筋ゆえに身長は低めであり、その反対に胸は大きい。
またドワーフらしく、古今東西の武具を好み、機械弄りが趣味。

魔導具:【-聖銀の伯叔(カリバーン)-】
魔導装機:専用軽量型〈アルトリオン〉

ケイ=ブリタンゲイン♂
二十八歳の財務長官。通称は『帝国国庫番』。
ブリタンゲイン五十四世の五番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、『情報戦略局』の局長。
また、政府内閣の財務長官も兼任している。

皇位継承権は、第三位。
ケイの支持層は、近年台頭してきた銀行連合や商業組合。
守旧派の教会・貴族からは反発を招いている。

メイプル=ラクサーシャ
二十九歳。ケイの屋敷で働くメイド兼ボディーガード。
大英帝国の植民地である倭島国(わじまこく)出身で、阿修羅姫お付きの下女。
倭島人の女性ながら相当な大柄で、平均的なブリタンゲイン人の男性も上回る。
がさつで不器用、家事はてんで駄目。しかし本人は『大和撫子』を志向している。

裏の顔は、ケイ配下の『情報戦略局・百鬼衆』を束ねる首領「羅刹女(らせつにょ)」である。

メイプル=ラクサーシャは、倭島国の名をブリタンゲイン風の名に改めたもの。
本名は羅刹楓(らせつかえで)という。

阿修羅姫(あすらひめ)
倭島国の姫を名乗る、黒髪黒瞳の倭島人。
幼くも大人びても老成しても見える、摩訶不思議な美女。
ケイの婚約者であり、屋敷で共に暮らしている。
ブリタンゲイン風に改めた複名は『アーシェラ』である。

『百鬼衆』が仕える、倭島国の陰の皇族。
天津神(あまつかみ)の子孫である(みかど)一族ではなく、国津神(くにつかみ)に連なる血筋だという。

ベディエア=ブリタンゲイン両
十六歳の第十二皇子。
『円卓の騎士』の一人で、勅諚官(ちょくじょうかん)を任されている。
人懐こい性格で、ブリタンゲイン五十四世の寵愛を受けている。

『ハ・デスの生き霊』の幹部、蠱蟲(こちゅう)(さなぎ)レ・デュウヌに、蟲を寄生させられている。
『ハ・デスの生き霊』に帝国の情報を流す他、内通者へのメッセンジャーとしても働いているスパイ。

魔導具:【-遠見の千里眼(コルヌータ)-】

蠱蟲(こちゅう)(さなぎ)レ・デュウヌ両
『ハ・デスの生き霊』の幹部、逆十字(リバースクロス)の一人。
蟲を使役する蟲虫使い(ネルビアン)
千年前の魔法王国時代に滅亡した、古代人の生き残りであり、
その正体は、オルドネアの使徒の一人として活動した、第八使徒ヤコブ。

身体のあちこちに昆虫の部位を持った美少年。
感情豊かでよく笑うが、虫が人に擬態しているような不自然さを匂わせる。

古代人は完全な魔因子を持っていたとされる。
〈魔晶核〉も〈魔心臓〉も共に正常に形成され、優れた魔法を行使した。
長い時間が流れるあいだに、魔因子は毀損してしまい、
〈魔晶核〉か〈魔心臓〉の片方しか形成されない準魔因子となって残るのみとなった。

魔導具:???
魔導系統:【-蟲虫使役法(アヌバ・セクト)-】

※レ・デュウヌとベディエアは二役となります。


※注意
・ルビの振ってある漢字は、ルビを読んでください。
・特定のルビのない漢字は、そのまま読んでください。

□1/帝都西区、魔導式軍用ジープに乗るガウェインとアムルディア


アムルディア:父上、私の運転はいかがでしょう。

ガウェイン:うむ、問題ない。
       魔導装機と一緒に、軍用ジープの運転免許も取ったのだったな。

アムルディア:はい。魔導式四輪の限定ですが。

ガウェイン:ガソリン式の免許も取っておけ。
       戦場では、駆動方式の好き嫌いを言える余裕はないぞ。

アムルディア:はい、わかりました。

        父上。
        ジープの運転は日が浅いのですが……
        この原動機の駆動が、ダイレクトに伝わってくる感じは堪りませんね。

ガウェイン:うむ。
       精神連結で、機体と一体化してしまう魔導装機とは、また別の(おもむき)があるな。

アムルディア:そうですよね!
        私の魔心臓の昂ぶりが運動エネルギーに変換され、ジープが加速する興奮――!
        するとまた魔力が漲ってきて――!

ガウェイン:……アム。
       法定速度をオーバーしている。
       安全運転だ。

アムルディア:はっ――!
        し、失礼しました。

ガウェイン:む。後続のリムジン。
       どうやら追い越しをするらしいぞ。

アムルディア:追い越しなど……
        この疾風(しっぷう)の若獅子と呼ばれた私の前に出るなど……
        いい度胸だ。

ガウェイン:……誰に呼ばれたのだ?

アムルディア:失礼しました。これから言われる予定です。

ガウェイン:アム、速度を落とせ。
       リムジンは進行道路に戻れず、困っているぞ。

アムルディア:私の後続を走ればよいことです。

        このアムルディア、売られた喧嘩は誰であろうと買う。
        黙って追い越され、ケツを拝んでやるような軟弱者ではない――!

        高鳴れ私の魔心臓! 振り切れよ速度メーター!

ガウェイン:あ、アムルディア――!
       俺の黒歴史を呼び覚ますつもりか――!

       ブリタンゲインの暴走列車と呼ばれてはしゃいでいた、今となっては葬りたい過去を……!

アムルディア:父上……!
        この高ぶる走り屋の魂は、父上から受け継がれたものだったのですね……!

ガウェイン:止めはせん……
       止めはせんが……

       市街地ではやめろおおおお――――!!!


□2/帝都西区、ケイ邸宅の玄関


メイプル:お待ちしておりました。
      ガウェイン様、アムルディア様。

      私は先週よりケイ第五皇子様の屋敷で働いております、女中のメイプル=ラクサーシャと申す者。

      ケイ皇子がお待ちです。
      こちらへどうぞ。

アムルディア:うさ耳ですね……

ガウェイン:うさ耳だな……

アムルディア:訳を聞いてもよろしいでしょうか?

ガウェイン:待て。
       彼女は倭島人(わじまじん)だろう。
       もしかすると、倭島国(わじまこく)の正装なのやもしれん。

アムルディア:成る程……さすが父上。
        不肖このアムルディア、他国の習俗まで思慮が至りませんでした。

ガウェイン:うむ。互いの文化や伝統は、出来る限り尊重しなければならん。

アムルディア:そうですね。
        私たちには少々奇抜な格好に見えたとしても、
       客人に礼を尽くす≠サの気持ちを感じ取ることが大事。

(うさ耳カチューシャの倭島人の案内に従い、応接間に通されるガウェインとアムルディア)

ケイ:これはこれは兄上。
   ご足労を煩わせ、申し訳ありませんな。

   メイプル。

メイプル:はい。

ケイ:案内ご苦労だった。
   それと、そのうさ耳カチューシャは外したまえ。
   客人が気味悪がっている。

メイプル:な、なんと……!

ガウェイン:ケイ、そのうさ耳カチューシャは倭島国の文化なのではないか。

ケイ:単にメイプルの趣味です。

アムルディア:しゅ、趣味……

メイプル:花嫁修業の一環として、可愛いメイドさんを目指してみようかと……

ケイ:自分の身長を考えたらどうだと言いたくなるね。

メイプル:身長の話はお止めいただきたく……!

ケイ:せいぜい不思議の国のアリスの、兔の怪人がいいところだ。

アムルディア:叔父上、他人の身長をからかうのは宜しくありません!

ケイ:フッ。
   どうだね。背は伸びたかね、アムルディア。

アムルディア:……成長中であります。

ケイ:婦人ならば、そう気にすることもあるまい。
   どうしても背が欲しいなら、女の特権を生かし、堂々とヒールの高い靴を履けばよいではないか。
   その点、男は辛いものだよ。
   シークレットブーツは、かつらと同じぐらい、世間に公認されてないのでね。

アムルディア:毎日牛乳を飲んでおります!

ケイ:背ではなく、違う場所が成長しているようだが。

ガウェイン:ケイ。娘へのセクハラは、喩え冗談であっても俺が許さんぞ。

ケイ:あまり過保護にしすぎると、男への免疫が出来ず、妙な輩に引っかかりますぞ。

ガウェイン:娘を泣かせた輩は……俺が血の涙で詫びさせる。

ケイ:親馬鹿ですな。「親の心配するほど娘はモテもせず」ですよ。

アムルディア:大きなお世話です。

        叔父上こそ、いい歳をして、いつまで独身で通すつもりですか。
        英国紳士たるもの、家庭を持ってこそです。

ケイ:やれやれ……
   とても十六の娘の発言とは思えんな。
   そんな歳から年寄り臭くてどうするのだね。

メイプル:失礼します。
     紅茶とケーキをお持ちしました。

アムルディア:ケーキ!

        ありがとうござ、い……

メイプル:……申し訳ございません。
     切り分けに失敗し申した……

ケイ:包丁ではなく、(なた)でも使ったのかね。

ガウェイン:形が崩れても、味は変わらん。
       気に病むな、ラクサーシャ殿。

メイプル:かたじけないお言葉……
     今、テーブルに紅茶を。

     ああっ――!

ケイ:これで割ったティーカップは、二十六個目だね。
   給料から引いておくぞ。

ガウェイン:……こう言っては何だが、ラクサーシャ殿。
       貴殿には、女中以外に向いている仕事があるのではないか。

       賞金稼ぎや、期間契約の傭兵。
       身元の保証が取れれば、貴族の婦人の警護なども実入りがいい。

メイプル:ガウェイン様。
     何故、戦士の仕事ばかり薦められるのですか。

ガウェイン:その体格、身のこなし。
       服の上からでもわかる、男の俺が惚れ惚れする筋肉。

メイプル:筋肉……

ケイ:兄上、筋肉を褒めて喜ぶ女はいませんよ。
   まあ、私はバストを褒めたら嫌がられましたが。

アムルディア:叔父上は、言い方が嫌味ったらしいのです!

ガウェイン:ごほん。

       貴殿は、倭島では名のある武芸者であったであろう。
       如何なる理由があって、住み込み女中をしているのだ。
       ケイは、帝国でも屈指の締まり屋だぞ。

メイプル:さる高貴な御方に仕えることが、私の本務。
     故に、この屋敷を離れる訳には参りませぬ。

     それに倭島国では、未婚の女子(おなご)女中奉公(じょちゅうぼうこう)に出るのが習わし。

ケイ:半分事実で、半分嘘だな。
   倭島国で女中奉公に出るのは、十代の未婚の女子(じょし)だ。
   来年三十の君は、行かず後家というのだよ。

アムルディア:叔父上!
        先程から聞いていれば、あまりに辛辣すぎる!

        ラクサーシャ殿、元気を出してください。
        必ず、叔父上とは違う、魅力的な男性と結ばれます。

メイプル:有り難き幸せ……

     さほど多くを望んでいるわけではございません。
     まず私より背が高く――

ガウェイン:……相当絞られたぞ。

ケイ:兄上、愛人にいかがですかな。

メイプル:知的で、毛深くなく――

ガウェイン:……脱落した。

アムルディア:父上! 私は父上の胸毛を愛しております!

メイプル:伯爵以上の身分で、結婚歴のない四十歳以下の殿方――

     私が望んでいるのは、平凡な女子(おなご)の細(ささ)やかな理想。
     ただそれだけにござりまする。

ケイ:腹立ちませんか、この女。

ガウェイン:うむ……

アムルディア:り、理想を高く持つのは悪いことではないと思います。

ケイ:アムルディア、覚えておきたまえ。
   それは高望み、身の程知らずと言うのだよ。

メイプル:お屋形様――
     必ず御身に、私の花嫁姿をご覧に入れる……!

ケイ:ほう。
   君の結婚式には、喪服で出席しなければならんね。
   君の餌食となる新郎を(いた)んで。

メイプル:失礼(つかまる)る――!

ガウェイン:…………
      お前の呼び出した用件とは、あのメイドか?

ケイ:まさか。
   一つはお伝えしたように、ワラキア公国の債務問題。
   もう一つは――

   近々、結婚することになりまして。

ガウェイン:…………
       すまん、もう一度言ってくれ。
       結婚、と聞こえたのだが。

ケイ:ですから結婚ですよ。

アムルディア:叔父上と結婚をしてもいいと思う女性がいたなど……!
        このアムルディア、世界の広さを思い知った次第です……!

ガウェイン:ケイ――
       まさか知らんとは思わんが、念のために念を押しておくぞ。
       結婚生活が破綻して離婚となれば、財産分与が発生するのだ。
       さらに子供がいれば、養育の義務も負わなければならんのだぞ。

ケイ:何故「結婚する」と言っただけで、離婚後の法的義務を説かれたり、世界の広さを痛感されなければならんのですかな。

ガウェイン:……相手はどのような婦人だ?

ケイ:しばらく前から、屋敷で一緒に暮らしておりまして。

ガウェイン:……何もかもが驚天動地(きょうてんどうち)だ。

メイプル:姫様、こちらにございます。

ケイ:丁度良く、やってきたようですな。

   入りたまえ。


□3/ケイ邸宅の応接間、策士の婚約者


阿修羅姫:ガウェイン皇太子殿下、並びにアムルディア内親王殿下。
      此度は、拝顔(はいがん)(えい)(よく)し、欣幸(きんこう)の至り。

      わらわは、阿修羅(あすら)と申す。
      倭島国の()の国を治める一族の者にござりまする。
      どうぞ、よしなに。

アムルディア:凄い着物ですね……
        何重にも重ね着をしている。

メイプル:これは十二単(じゅうにひとえ)と申します。
     色を重ねることで高貴な(みやび)(かも)し出した、倭島の伝統衣装です。

阿修羅姫:楓、京の錦織(にしきおり)を――
      アムルディア殿下に似合うものを見繕って持ってきやれ。
      ご交誼(こうぎ)の記念に、一枚差し上げたく存ずる。

メイプル:御意、姫様。

アムルディア:そんな……
        そのような高価な織物を戴いてしまっては――

阿修羅姫:どうせ箪笥の肥やしになっている着古しじゃ。
      肌に合わなくば、雑巾にでも仕立ててくだされ。
      錦織(にしきおり)も箪笥で朽ちてゆくより、異国の地を清めるのに働くほうが嬉しかろうて。

ガウェイン:娘への贈り物、有り難く頂戴します、阿修羅姫。
       返礼に、後日ワラキア公国製のドレスを拝呈(はいてい)しましょう。
       お召しいただければ、幸いです。

阿修羅姫:ガウェイン皇太子殿下。
      わらわの名は、そなた様の言葉では言いにくかろう。
      どうぞ忌憚(きたん)無く「アーシェラ」と呼んでくださりませ。

ガウェイン:ではお言葉に甘えて――

       アーシェラ姫。
       貴殿は倭島国の王族の出と仰ったが、
       私の知る限りでは、貴殿のような名の姫君は、寡聞(かぶん)にして存じないのだが。

阿修羅姫:倭島の王族と言えば、(みかど)一族。
      天津神(あまつかみ)の子孫と名乗る連中じゃ。

      わらわは天津神(あまつかみ)ではなく、国津神(くにつかみ)の血を引く者。
      倭島に続いてきた、もう一つの王族でござります。

ガウェイン:……ケイ。
       策士と渾名されるお前なら、頭が回らんとは思えんが……
       これは倭島国の内政問題に首を突っ込むことになりかねんぞ。
       お前は、どう考えているのだ?

ケイ:ご心配なく。
   私とアーシェラの結婚に、政治問題は一切関係しません。

阿修羅姫:遙か昔――
      神代(かみよ)の時代の取り決めにより、国津神の一族は、歴史の表舞台に立たぬこと――
      代わりに、天津神の一族と並ぶ、千代に八千代の栄えを契り申した。

      国津神の子孫は、いわば陰の王族。
      わらわの存在は、倭島でも限られた者しか知りませぬ。

ケイ:ブリタンゲイン帝国の第五皇子が、倭島国の豪族の娘を(めと)る。
   対外的には、ただそれだけのことです。

ガウェイン:政治上の問題は良いとしよう。
       しかし、生活を送る上で、文化や習俗の違いはどうするのだ。
       その十二単なる倭島の衣装では、外を出歩くことすらままなるまい。

阿修羅姫:この十二単は、殿方に和菓子の包み紙を一枚一枚剥がしてゆくような手間を楽しませる、女の晴れ着。
      恋しき(おのこ)が忍んでくる()
      寝物語の誓いだけを頼りに、逢瀬を焦がれる女たちが、情人(じょうにん)の目を飽きさせぬよう知恵を凝らしたもの。

      帝国風の名に改めたように、生活を西洋式に合わせることも、やぶさかではありませぬぞ。

ケイ:是非そうしてもらいたいね。
   包み紙など、私は面倒臭いだけだよ。
   過剰包装は、高コストで環境にも悪い。

阿修羅姫:なんとまあ、情趣(じょうしゅ)の無い。
      ブリタンゲインには、華を秘する文化は無いのかや。

ケイ:君は着飾らずとも、十分に美しいのだよ、アーシェラ。
   余計な飾りなど、君を覆い隠す邪魔物でしかない。

阿修羅姫:野暮天(やぼてん)かと思いきや、世辞はようすらすらと出てくる。
      そなた様は、愉快じゃのう。

      旦那様も望むことじゃ。
      暫くは五衣(いつつぎぬ)で過ごすとしようぞ。

アムルディア:……えーと、父上。
        そのー……これは……

ガウェイン:娘の前で、下世話(げせわ)な話は止めてもらおう。

       結婚の件はひとまず置いておくとして……本題に入りたい。

ケイ:ワラキア公国の債務問題ですな。

ガウェイン:そうだ。
       そしてそれに伴う経済危機だ。


□4/ケイ邸宅の応接間、ワラキア金融危機


メイプル:ワラキア公国の首都ヴラドーは、復活した真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)シモーネにより、甚大な被害を受けました。
     都市の半分以上の地区で、家屋(かおく)は全壊または半壊。
     特に被害の著しい北区は、荒野も同然になっています。

     生存者はゼロ――
     十万人もの人口が、ワラキア公国から一夜にして消え去りました。

ガウェイン:改めて数字を聞くと……戦慄を覚えるな。

メイプル:ブリタンゲイン帝国第四皇子にして、ワラキア公国公爵トリスタン=ルティエンス。
     彼は、裏でカルト教団『ハ・デスの生き霊』と通じており、石棺(ひつぎ)の歌い手クドラクを名乗っておりました。
     吸血鬼であった彼は、真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)の復活を目論み、妹である第十皇女イゾルデを生贄に捧げ――
     大悪魔(ダイモーン)一柱(ひとはしら)である、真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)シモーネをこの世に復活させた。
     その際、イゾルデ皇女は死亡しています。

ケイ:死亡ね、フッ――
   皇族の醜聞は、トリスタン一人に被せておくと。
   まあ、それが妥当でしょうな。

メイプル:ワラキア経済危機の懸案(けんあん)は二つ。

     一つは、復興資金の調達懸念。
     もう一つは、既存債務の償還(しょうかん)問題です。

ガウェイン:復興資金の調達懸念か……
       しかしワラキア公国は、首都機能の分化が進んでおり、庶民院、貴族院ともに無事。
       政治機能も体面上は麻痺しておらず、内閣によって何とか事態の収拾が図られている。
       経済活動も、貴族の大規模荘園(だいきぼしょうえん)が主で、都市一極集中型経済ではない。

アムルディア:はい。
        帝国財務省の出した試算では、首都壊滅と人口十万人減の影響を勘案しても、税収の落ち込みは軽微に留まる。
        ワラキア公国の支払い能力に、問題はない――そうではないのですか?

ケイ:現状ではね。
   しかし、重大な事実を忘れていますな。

メイプル:トリスタン=ルティエンス公爵は、『ハ・デスの生き霊』の幹部だった――

ケイ:もしかすると、トリスタンは公国の予算を使い込んでおり、あるはずのカネがない。
   すると、帝国財務省の試算の前提そのものが崩れてしまい、財政は大幅な赤字に転落する。
   悪い未来へのブレ……ネガティブリスクを孕んでいるということですな。

メイプル:それに関連しまして、もう一つの問題――
     ワラキア公国に債権を有する貴族諸侯(きぞくしょこう)から、債務の即時返済。
     それが出来なくば、帝国政府の保証をつけろとの声が上がっております。

ガウェイン:祖国存亡の危機に、己の財産を保全することしか考えんとは……
       嘆かわしいを通り越し、最早国賊だ。

ケイ:国家と個人は、独立した経済主体ですからな。
   その点では、彼らの行動はもっともなことです。

ガウェイン:しかしお前は、帝国政府の保証を突っぱねた……

ケイ:何故帝国政府が、ワラキアの貴族のために、信用リスクを肩代わりしなければならんのですかな。

   儲けた時は自分のもの、不良債権化しそうになれば、政府に保護を求める。
   そんなことは許されません。
   信用リスクを抱えて満期まで保有するか、リスク相応のディスカウントをして売却するか。
   自己責任の原則を徹底させるべきです。

ガウェイン:しかし貴族たちは、債権の保護が認められなければ、
       ワラキア公国の資産を差し押さえに掛かり、海外への売却も辞さない構えだぞ。

ケイ:貴族連中は、破綻懸念のある公債を現金化したいが、買い手がいない状況にある。
   問題の本質は、流動性の涸渇です。
   
   そこで帝都ログレスの大銀行により、ワラキア公債引受(ひきうけ)シンジケート団が結成されました。

メイプル:ワラキア公債引受シンジケート団――
     略称引受(ひきうけ)シ団は、公債の買取希望には、国の内外問わず無制限に応じます。
     参加銀行は、三年間の売却禁止義務を負い、公債の安定化に努める。

ガウェイン:その引受シ団によって、貴族連中の現金需要を満たし、公国からの資本逃避を防ぐと……
       しかし、それでは銀行側にメリットは少ないのではないか。

ケイ:無論、銀行側もタダで協力したわけではありません。
   さらなる金融の発展のために、信用リスクの引受を了承したのです。

   帝国財務省が、シ団銀行に出した条件は、金融先物取引所の開設です。

ガウェイン:金融先物取引所……?

ケイ:ざっくばらんに説明しますと、誰でも自由にワラキア公債の売り買いが出来る場ですな。
   三年間の売却禁止(ロックアップ)期間後は、シ団銀行も一定数の公債を市場売却していい。

   将来的には、様々な金融商品の上場を見込んでおります。

ガウェイン:誰でも自由に……
       ベルリッヒ連邦やパリス共和国も入るのか。

ケイ:ゆくゆくは。
   海外資金の呼び込みこそ、目的としておりますので。

ガウェイン:馬鹿な……!
       外国に債権を握られるということだぞ!?

ケイ:失念されているようですが、ワラキアは独立国ですよ。
   帝国のシ団引受は、まさしくワラキアへの海外投資ではありませんか。

ガウェイン:しかしブリタンゲインとワラキアは、古くから繋がりの深い国だ。
       ベルリッヒやパリスとは違う。
       文化的な繋がりのない海外投資家は、情け容赦なくワラキアを食い荒らす。

ケイ:根拠のないナショナリズムと、排外主義ですな。
   そもそも公債は、発行した時点で支払総額と期限が決まっているものですよ。
   誰が保有していようが、公国の財政には同じことです。

ガウェイン:政治的な問題も勘案(かんあん)しなければならん。
       債務国のワラキアは、外交上、弱い立場に置かれる。
       内政干渉、不平等条約の押しつけなど、長期に渡り不利益を被ることになれば、
       一時的な資金需要を満たしたところで、公国の利益にはならん。

       同盟国であるワラキアの不利益は、回り回って帝国の不利益となろう。

ケイ:では、帝国政府が保証をつけろと?
   最悪の想定が現実のものとなり、ワラキア公国の債務不履行が生じた場合、帝国政府がそれを負担することになる。
   それは帝国国民の負担となり、モラルハザードの悪い前例を残します。

ガウェイン:ケイ、お前の頭には、財政と規律しかないのか。
       政治には、外交や内政の問題もあるのだ。

ケイ:戦場では『大英帝国の要塞』と讃えられた兄上も、経済危機や外資の侵略といった脅し文句には、簡単に震え上がるのですな。
   兄上こそ、貴族たちのいいように利用されているだけです。

阿修羅姫:そこまでにしてくれぬかや。
      (おのこ)の議論は、側目(そばめ)で聞く女には、退屈で苦痛じゃ。
      旦那様もガウェイン殿下も、少しは聞く耳を持ちやれ。
      我を押し通すばかりでは、纏まる話も纏まらん。

アムルディア:叔父上は、一体どのような政治を望んでおられるのです?
        叔父上の話からは、いつも財政と経済しか出てきません。
        失礼ながら、この帝国をこうしていきたいという理想もヴィジョンも、何一つ感じられないのです。

ケイ:私の目指す社会は――自由と自立だよ。
   規制緩和や経済振興策は、その橋頭堡(きょうとうほ)となるものだ。

  神と国から個人(ひと)を解放する
   これを理念に掲げる諸改革を、ブリタンスタンダードと名づけた。
   兵役の義務を志願制に、オルドネア聖教と国政の分離、貴族階級の廃止――

   ブリタンゲイン発の自由と自立の理念は、必ずや世界の共感を集めるはずだ。
   ブリタンスタンダード――これこそ私の政治理念だ。


□5/帝都西区を走る軍用ジープ


ガウェイン:もう夕暮れか。
       疲れたら眠っていて構わんぞ。

アムルディア:自由と自立――
        欲望を原動力に回る経済……
        今日初めて、叔父上……ケイ(きょう)の政治理念がわかりました。

ガウェイン:俺は、国のため、民のために、己を律して尽くすよう、公の精神を叩き込まれて育った。
       俺の家庭教師は、軍人上がりの機操騎士(きそうきし)だったのでな。厳しい人だった。

       ブリタンスタンダードか……
       どうもあいつとは、根っこの部分で合わんな。

アムルディア:……叔父上は、どこであのような思想を身につけたのでしょう。

ガウェイン:ケイは、帝国大学院で学問を修めた後、
       銀行に勤めながら、財務官僚としてのキャリアをスタートさせた。
       軍一筋で生きてきた、俺のような武辺者(ぶへんもの)とはまるで違う。

       俺は頭が硬いのかもしれん。

アムルディア:神と国から個人(ひと)を解放する
       
        立派な理念だとは思うのですが……
        人は、拠り所とするものが何一つない世界に耐えられるのでしょうか。

        それにブリタンスタンダードの根底にある、
        利己心を肯定し賛美する思想は、どうも腑に落ちなくて……

        ……私も、頭が硬いのかもしれません。

ガウェイン:そうか。

アムルディア:父上は、何故ケイ卿と親しくされるのです?
        正直なところ、性格も政治理念もバラバラだと思うのですが。

ガウェイン:俺は陸軍元帥として、また一介の魔導装機乗りとして、
       帝国の大地を、戦乱の手から守ってきた自負がある。

       しかし……
       莫大な戦費を積み上げてしまった戦犯≠ナもある。

アムルディア:それは……仕方がないではありませんか!

ガウェイン:ケイが財務長官に就任して以来、膨張を続けていた財政赤字は、縮小に向かっている。
       経済は順調に成長し、かつ増税も行っていない。
       一時期流れた、帝国財政破綻のデマも声を潜めた。

       帝国に債権を持つ貴族たちや、銀行連合や商業組合からの評価は高い。
      
アムルディア:しかし……
        ケイ財政以来、新しい富裕層が生まれた反面、新しい貧困層も生まれています。
        特に、子爵以下の下級貴族の凋落(ちょうらく)(いちじる)しい。
        貧富の差が縮まったと言われていますが、別の形で拡大していきそうに思えます。

ガウェイン:うむ……
       トリスタンは、俺やケイがなおざりにしがちな、弱者のための政治を行ってくれたのだが。
       こんなことになってしまった今では……

アムルディア:ランスロット卿はいかがでしょう?
        ランスロット卿なら、ケイ卿とトリスタン卿の良いところを取り入れた政治が出来るはずです。

ガウェイン:ランスロットか……

アムルディア:父上は、あまりランスロット卿の話はされませんね。
        オルドネア聖教の聖騎士ゆえに、教会の代弁者になってしまうところもありますが……

        お嫌い、なのですか?

ガウェイン:いや……
       オルドネア聖教が、国政への影響力を強めるのは望ましくないと考えるが……
       ランスロットは、むしろよく抑えてくれていると思う。

       人格的にも高潔で、申し分ない男だ。

アムルディア:『完璧なる騎士』『騎士の中の騎士』
        ランスロット卿なら父上を支えてくれる、無比の右腕となるでしょう。

        父上――
        ブリタンゲイン帝国、五十五代皇帝を――!

ガウェイン:うむ……
       そう、だな……


□6/ケイ邸宅応接間、ガウェイン親子帰宅後


ケイ:メイプル、煙管(きせる)に火を入れたまえ。

羅刹女:……お屋形様、煙草はお体に障る。

阿修羅姫:よいではないか。
      男子、家を(いず)れば七人の敵有り。
      小煩く養生を説くより、夫の労をねぎらうが良き妻ぞ。

      旦那様、わらわが火を入れて進ぜよう。

ケイ:感謝するよ、アーシェラ。

   フゥ――……
   わかったかね。これが結婚出来る女なのだよ。

羅刹女:…………
     あれは、メイプル=ラクサーシャという仮の人物を演ずる設定。
     即ち三十路(みそじ)を前に焦る、未婚の女子(おなご)

     私の――この羅刹女の心意ではござらん。

ケイ:ティーカップを割るのが演技だとしたら、迷惑なので是非とも止めてもらいたい。
   それとうさ耳カチューシャ。
   あれは本気で可愛いと思っていたのか、突っ込まれるのを待っていたのか聞きたいのだが。

羅刹女:私の芝居を評する余裕などお有りか。
     御身の計画――金融先物取引所はどうなる。
     ガウェインは、反対の姿勢を崩しておらぬ。

ケイ:通るさ。
   あれで兄上は、厳しい状況に追い込まれている。
   第一皇子でありながら、皇位継承が危ぶまれているのだからな。

阿修羅姫:おんや、あの御仁(ごじん)の人気は、其処まで地に落ちたのかや?

ケイ:ガウェインの支持層は大英帝国≠信奉する覇権主義者たちだ。
   軍を中心に、国家主義の政治家や純血のブリタンゲイン人に、支持を集めている。

   ランスロットの支持層は、オルドネア聖教。
   聖職者たちの他、異人種を含めた民衆の人気が高い。
   国教だからね。神父が説法をすれば、民衆はランスロットを信じ込む。

羅刹女:帝国の次代皇帝は、この第一皇子と第二皇子のどちらかと目されていた。
     世論が急速にランスロット支持に傾いたのは……

     『ハ・デスの生き霊』か?

ケイ:そうだ。
   『ハ・デスの生き霊』は帝国各地で暗躍し、内乱の火種を撒いている。
   帝国政府は討伐に躍起になっているが、未だに幹部の一人を捕まえることすら出来ていない。
   ばかりか想定される最悪の事態――大悪魔(ダイモーン)の復活を許してしまった。

阿修羅姫:古代魔法王国を滅亡させた大悪魔(ダイモーン)……
      帝国を未曾有(みぞう)災禍(さいか)が襲うと思いきや、オルドネア聖教の異端審問官により、直ちに再封印された。
     
      然もありなん。
      大衆はオルドネア聖教に熱狂し、ランスロット卿万歳を叫ぶであろうぞ。

ケイ:大衆は、見掛け倒しの国≠ノ愛想を尽かし、神≠フ庇護を求めるようになったと言うことだよ。

羅刹女:お屋形様、客人が見えられた。

ケイ:ああ、そういえば彼との面会も予定に入れていたな。
   通したまえ。

(応接間に落ち着かない様子のベディエアが入ってくる)

ベディエア:あの……
       こんばんは、ケイ兄様。

       約束の資料……
       真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)と異端審問官の、交戦記録をお持ちしました。


□7/ケイ邸宅応接間、ベディエア来訪


ベディエア:オルドネア聖教、異端審問機関『黙示録の堕天使』――
       謎のベールに包まれていた、最上位の熾天使(してんし)……
       サタンセラフィムがその力を現した、数少ない記録となります。

羅刹女:人の身でありながら、大悪魔(ダイモーン)に匹敵する力を持ち、
     千年前の古代魔法王国の歴史書にも、その名を残す天使……

     奴もまた現代まで生き続ける、古代人の一人か。

ケイ:エルフやドワーフを見たまえ。
   現代で最も古代人に近いと言われる彼らでも、千年の寿命は持たん。
   可能性として一番高いのは、単に中身の人間が、代替わりしているだけだろうね。

   しかし我々には情報が伝わってこないために、異端審問機関の不気味さをいや増すエピソードとなっている。

ベディエア:ブリタンゲイン帝国は、建国当初から、オルドネア聖教と不可分の関係にありました。
       何故なら初代皇帝ブリタンゲイン一世こそ、第三使徒フィリポス――
       第一使徒サン・ペテロ、第二使徒ヨーゼフと共に、最も尊い聖人『聖三使徒』と讃えられています。

ケイ:わかるかね。アーシェラ、メイプル。
   このブリタンゲイン帝国に巣くう病巣の大きさが。
   オルドネア聖教こそ、千年以上の時が流れて尚、帝国を陰から支配する、闇の皇帝なのだ。

ベディエア:でも兄様……
       オルドネア聖教があるからこそ、人は人生に迷わず、人と人の繋がりも出来て、
       神と正義を信じ、安心して暮らしていけるのではありませんか?

ケイ:異教徒・異民族討伐の十字軍遠征――
   あの何の利益にもならない宗教戦争で、何十万人が死に、帝国政府が巨額の負担金を強いられたことも知らんのかね。

   国民が己自身で考えることを止め、神などに判断を委ねるから、あのような度し難い愚行が起こるのだよ。

レ・デュウヌの声:はははは――
           本当に君は、オルドネア聖教が嫌いなんだねえ、策士ケイ卿?

ベディエア:ひっ……!
       い、今のは僕じゃありません……!

ケイ:オルドネア聖教を憎んでいるのは、貴公も同じではないかね。
   第八使徒ヤコブ殿。

レ・デュウヌの声:へえ――
           まさか当てずっぽうじゃないよね。
           君の推測を聞かせてもらいたいな。

ケイ:何故『ハ・デスの生き霊』は大悪魔(ダイモーン)の復活に執着するのか。
   何故『ハ・デスの生き霊』はオルドネア聖教の教義を、真っ向から否定するのか。

   『ハ・デスの生き霊』とは、かつての行いを否定し、自らの手で葬り去るための集団なのだ。
   そう見当をつければ、自ずとその首謀者も導き出される。

   黒翅蝶(こくしちょう)を名乗る死霊傀儡師(ネクロマンサー)とは――十三使徒ジュダであろう。

レ・デュウヌの声:正解、正解、大正解――!

           『影絵の救世主(メシア)』と呼ばれ、オルドネアと並び称された、癒しの奇跡を施したジュダ。
           そのジュダとは鏡写しのように、冥府の奇跡をもたらす、死霊傀儡師(ネクロマンサー)黒翅蝶。

           生と死……
           かつての十三使徒は、逆様の力を振るい、真逆(まぎゃく)の教えを説いている。

ケイ:ジュダの心変わりは、興味深いね。
   差し支えなければ、知っている範囲で教えてもらいたいのだが。

レ・デュウヌの声:フフフフ――
           友達の秘密を勝手に喋るわけにはいかないよ。

           今日は君にお土産を持ってきたんだ。
           これで我慢してくれるかな。

(怯えたように視線を泳がせるベディエアから、木箱を受け取る羅刹女)

羅刹女:木箱、か。

ケイ:この場で開けてもいいのかね。

ベディエア:そ、それは……!

レ・デュウヌの声:どうぞどうぞ。

羅刹女:では、開封を――

     …………!!!

ケイ:人の……女の首……!


   ナイトミスト事務官か……!

レ・デュウヌの声:ケイ=ブリタンゲイン。
           君、蟲殺しの霧≠ナ僕を殺そうとしたよねえ。
           亜人間(デミヒューマン)の一族を従えたからって、調子に乗りすぎじゃない?

羅刹女:も、紅葉(もみじ)……
     連絡が途絶えた故、覚悟はしていたが……

     やはりおぬしは……

レ・デュウヌの声:蟲の苗床にして、ベディエアと同じ肉人形にしようと思ってたけど、やっぱやめた。
           人間のくせに小賢しい奴って、虫酸が走るんだよね。

           殺しとこ。

羅刹女:紅葉の首が膨らむ……

     い、イナゴの大群……!
     っあああ――――!!

ケイ:ナイトミストの首に、蟲の爆弾を仕込んでいたのか――!

   くっ――うおおおっ――!

レ・デュウヌの声:そうだよ、怯えて絶望しろ――!
           ちっぽけな蟷螂(とうろう)が、誰に向かって斧を振り上げてるんだ。
           踏み潰されて死ね。

           はははは――――!
           は――……?

羅刹女:い、イナゴが死んでゆく……

ケイ:あ、アーシェラ……

   君か……?

阿修羅姫:さあて、わらわにはとんとわかりませぬ。
      この衣に、虫食い除けの香を焚いておったのが、奏効(そうこう)したのやもしれぬ。

レ・デュウヌの声:蟲殺しの霧=c…
           君もあの、霧を作り出す亜人間(デミヒューマン)の同種なのか。

阿修羅姫:はて、何の話やら。
      わらわは、どこにでもおる可愛い新妻じゃ。

      蟲殿、そなた様の贈り物とはこのイナゴかや?
      生憎と旦那様は西洋人故、イナゴの佃煮がお口に合うかどうか。

ケイ:……ゲテモノ料理は遠慮したいね。

羅刹女:おお……紅葉……
     私を姉と慕ったおぬしが……
     髑髏(されこうべ)すら残らず、斯様に無惨な骨と肉に散らされるとは……

     坊主……! 許さぬ……!

(羅刹女の侍女服が内側からはち切れんばかりに押し上げられ、女の相貌も羅刹のように変じていく)

ベディエア:ひ、ひぃぃぃっ!!
       に、兄様! レ・デュウヌ様!

ケイ:止めろ、メイプル――!

羅刹女:御身の指図は受けん――!

     この餓鬼を喰い殺す……!
     なければ、私の煮え繰り返る臓腑(はらわた)は収まらん――!

阿修羅姫:止めや、楓。

羅刹女:ひ、姫様――!?
     し、しかし此奴は紅葉を……!

阿修羅姫:恐い思いをさせたのう。

      (ぼう)、此方へお出で。
      詫びの印に、甘い砂糖菓子をやろう。

ベディエア:は、はいっ……
       助けていただいて、ありがとうございます……

阿修羅姫:恋風に吹かれた旦那様の異母弟御(おとうとご)
      わらわにとっても、そなたは弟と同じじゃ。

      (おのこ)が、衆目の前で泣くではない。

ベディエア:ご、ごめんなさい……
       ありがとうございます……
       こんな綺麗なハンカチなのに……

       ぐうっ――……!?

(ハンカチの裏に隠れていた小さな蛇が、ベディエアの耳から潜り込む)

ベディエア:み、耳から、蛇がっ……!?

       うううええっ……
       あ、頭の中を蛇が這い回っているっ……!

阿修羅姫:ほほほほほ。
      それはトウビョウという蛇の憑き物じゃ。

      蟲殿は小倅(こせがれ)生殺与奪(せいさつよだつ)(けん)を握り、
      旦那様は(かしこ)まって聞くだけでは、道理を欠くであろう?

ケイ:クククク……

   よくやった、アーシェラ――!

阿修羅姫:何の。内助(ないじょ)の功を働かせたまで。

ベディエア:け、ケイ兄様ぁ……!
       どうして……どうして僕にこんなことを……!

ケイ:確かにアーシェラの言うとおり、男の涙は見苦しいな。
   この汚い涙と鼻水を、誰か止めてくれるかね。

ベディエア:ぐずっ……ぐずっ……

       ふふ、ふふふふ……
       はははは、ははははは――!

阿修羅姫:なんとまあ、泣きべそが大笑いになりよった。

      流石は蟲殿。
      わらわの如き小妹(しょうまい)には、荒魂(あらみたま)和魂(にぎみたま)四魂(しこん)を操るなど出来ませぬ。

レ・デュウヌの声:……何者なんだい、君は。
           僕と同じような力……
           こんなことが出来る亜人間(デミヒューマン)なんて、記憶にないよ。

阿修羅姫:何者でもござりませぬ。
      わらわは可愛い新妻――
      それ以上でも以下でもありませぬ。

ベディエア:兄様、レ・デュウヌ様……
       助けてください、助けてください。
       助けて……

ケイ:フフフ――
   何を怯えているのだね、ベディエア。
   我々は、お前の命を取りはせんよ。

レ・デュウヌの声:そうとも。
           これまで通り、僕たちのメッセンジャーとして働いてくれればいい。
           今までは若干(じゃっかん)僕を贔屓(ひいき)してもらってたけど、これからは中立にね。

阿修羅姫:どちらも裏切るような振る舞いをすれば――
      蟲か蛇か、どちらが早いか。
      そなたの臓腑(はらわた)を食い破り、脳味噌を食い散らすことになるがのう。

ケイ:クククク――

レ・デュウヌの声:はははは――

阿修羅姫:ほほほほ――


□8/ケイ邸宅応接間、ベディエア退去後


ケイ:やれやれ……
   これほど心臓の縮み上がる思いをしたのは、
   二十歳を過ぎたばかりの頃、借入金(レバレッジ)を利かせた投機で、破産し掛かった時以来だ。

羅刹女:……私がついていながら、この失態。
     ……面目次第も無い。

阿修羅姫:此よりは、わらわが側におりましょう。
      そなた様とわらわは、夫婦(めおと)の契りを交わした間柄。
      何時如何なる時も、一心同体じゃ。

羅刹女:……お屋形様。
     私の口から言うのはおこがましいが、古代人を刺激し過ぎたのではあるまいか。

     姫様や私はともかく、御身は生身の人間――
     吾奴(あやつ)が、露見も辞さぬ構えなら、御身は巻き添えで命を落としたやもしれぬ。

ケイ:アーシェラや君というヘッジは掛けた。
   ならば、後は決まっている。私はリスクを取りにいかねばならん。

   人食いイナゴに集られるという酷い経験をしたが、お陰で仮説が確証になったよ。

阿修羅姫:そなた様の言葉は時々ようわからぬが、言霊は伝わりますぞ。

羅刹女:知勇の将か、恐怖心の麻痺した気狂いか……

阿修羅姫:旦那様、わらわが恐ろしゅうはござりませぬか。
      彼の蟲よりもおぞましき、黄泉国(よもつくに)鬼神(きじん)にござりますれば。

ケイ:無論、恐ろしいとも。
   何時気まぐれで殺されるかわからん化け物と、寝所(ベッド)を共にするのだからね。

   しかし致命のリスクがあろうと、莫大なリターンがあるなら――
   命を賭ける(ベッド)するのも、悪くなかろう?

阿修羅姫:刀より書物が似合う、痩せ眼鏡の官吏(かんり)に見えて。
      なかなかどうして、勇ましき益荒男(ますらお)より肝が据わっておるではないか。

ケイ:恐怖(リスク)の本質がわかれば、取るべきヘッジも見える。
   君の寵愛が続く間は、私は安泰で、百鬼衆も忠実な諜報組織(ちょうほうそしき)というわけだ。
   せいぜい君に愛想を尽かされぬよう、努力するよ。

阿修羅姫:どうぞ、わらわを飽きさせないでくださりませ。
      そなた様とわらわが、一寸(いっすん)でも長く、夫婦(めおと)でいられるよう……

羅刹女:悪魔と手を組み、鬼神を妻とし、我ら鬼を従える……

     お屋形様……
     御身こそ、大悪魔(ダイモーン)なのやもしれぬ――

ケイ:大悪魔(ダイモーン)か。
   神殺しと国殺しを目論む私には、相応しい名だ。

阿修羅姫:のう、楓。
      ようわらわを、あの岩戸から出してくれた。
      あの真っ暗闇の根の国で、黄泉人(よもつびと)(かしず)かれて過ごすのはうんざりじゃ。
      この遠い異国の地で、遙かなる生まれ故郷で、斯様に愉快な日々が待っておったとは。

      嗚呼……この地を踏み締めるのは、真に千年ぶりじゃ。
      旦那様、わらわに胸躍る未来を見せてくださりませ……



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