The 13th prince(プリンス・オブ・サーティーン)

吸血鬼編外伝-暁と黄昏の盲人-

★配役:♂3♀3両1=計7人

▼登場人物

トリスタン=ルティエンス♂:
二十九歳の弓騎士。『黄昏の貴公子』の異名を持つ。
ブリタンゲイン五十四世の四番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、『陸軍弓兵師団』の団長であると同時に、
『ハ・デスの生き霊』の幹部、逆十字(リバースクロス)の一人「クドラク」という裏の顔も併せ持つ。

吸血鬼(ヴァンパイア)。古代人の一派、夜魔一族の血を引いている。
完全な魔因子を持っており、魔導具無しでも魔法を使える。
額には魔晶核(ましょうかく)があるが、人前では目立つため、人間時には隠している。

血を吸った人間を、半吸血鬼(ダンピール)に変え、自身の下僕にする。
半吸血鬼(ダンピール)に変えられるのは、異性に限られ、同性にはただの吸血行為で終わる。

魔導具:なし
魔導系統:【-高貴なる夜(ローゼンブラッド)-】

イゾルデ=ルティエンス♀
十八歳。トリスタンの実の妹。
ブリタンゲイン五十四世の十番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、『帝国博物館』と『帝国美術館』の館長。
ただしほとんど名誉職で、実際の施設運営は館長代理に委ねられている。

ルティエンス家の遺伝病とも言われる、慢性壊血病を患っているが、
その原因は、高い魔力を産み出す代わりに赤血球を壊してしまう、吸血鬼特有の体質である。

ランスロット=ブリタンゲイン♂
三十四歳の聖騎士。『黄金の龍』の異名を持つ。
ブリタンゲイン五十四世の二番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、ブリタンゲイン海軍元帥。
またオルドネア聖教の聖騎士団団長も兼任している。

現皇帝の正妻アルテミシア皇后の子。
皇位継承権は二番目だが、正妻の子ということでランスロットを推す声も高い。

ケイ=ブリタンゲイン♂
二十八歳の財務長官。通称は『帝国国庫番』。
ブリタンゲイン五十四世の五番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、『情報戦略局』の局長。
また、政府内閣の財務長官も兼任している。

皇位継承権は、第三位。
ケイの支持層は、近年台頭してきた銀行連合や商業組合。
守旧派の教会・貴族からは反発を招いている。

クレハ=ナイトミスト♀
二十四歳の侍女。大英円卓(ザ・ラウンド)の事務官も勤める。
裏の顔は『情報戦略局・百鬼衆』の影渡りであり、忍び名は煙羅(えんら)
大英帝国の植民地である倭島国(わじまこく)出身。
身分は二等国民で、純血のブリタンゲイン人である一等国民より、法律上の権利に制限を設けられている。

クレハ=ナイトミストは、倭島国の名をブリタンゲイン風の名に改めたもの。
本名は夜霧紅葉(よぎりもみじ)という。

羅刹女(らせつにょ)
年齢不詳。倭島国の間諜『影渡り』。
ケイ配下の『情報戦略局・百鬼衆』を束ねる首領。
羅刹の面で顔を隠す、黒髪の女。

クレハとは二十年来の付き合いであり、「あねさま」と慕われている。

ベディエア=ブリタンゲイン両
十六歳の第十二皇子。
『円卓の騎士』の一人で、勅諚官(ちょくじょうかん)を任されている。
人懐こい性格で、ブリタンゲイン五十四世の寵愛を受けている。

魔導具:【-遠見の千里眼(コルヌータ)-】

蠱蟲(こちゅう)(さなぎ)レ・デュウヌ両
『ハ・デスの生き霊』の幹部、逆十字(リバースクロス)の一人。
蟲を使役する蟲虫使い(ネルビアン)
千年前の魔法王国時代に滅亡した、古代人の生き残りであり、
その正体は、オルドネアの使徒の一人として活動した、第八使徒ヤコブ。

身体のあちこちに昆虫の部位を持った美少年。
感情豊かでよく笑うが、虫が人に擬態しているような不自然さを匂わせる。

古代人は完全な魔因子を持っていたとされる。
〈魔晶核〉も〈魔心臓〉も共に正常に形成され、優れた魔法を行使した。
長い時間が流れるあいだに、魔因子は毀損してしまい、
〈魔晶核〉か〈魔心臓〉の片方しか形成されない準魔因子となって残るのみとなった。

魔導具:???
魔導系統:【-蟲虫使役法(アヌバ・セクト)-】

※ベディエアとレ・デュウヌは二役となります

白き終焉の熾天使(してんし)サタンセラフィム♂:
オルドネア聖教の異端審問機関『黙示録の堕天使』を率いる天使長。
十二の古式魔導具で構成された、白銀の騎士甲冑『聖骸十二翼(ルシフェラード)』に身を包む。
階級は九段階の内の最上位『熾天使』であり、オルドネア聖教の神威を知らしめる神の剣。
傲岸不遜で、自身が悪と断定した者には一切の容赦なく殺戮する、理性ある狂信者。

古式魔導具とは、一つの魔導具につき一つの魔法に特化した魔導具で、
魔法の自由度が失われる反面、魔力消費量、発動までの待機時間が大幅に少ない。
使用者によっては、戦略魔法や儀式魔法クラスの大魔法まで、単独行使出来るケースもある。

魔導具:【-聖骸十二翼(ルシフェラード)-】
魔導系統:【-神聖魔法(キリエ・レイソン)-】

※ランスロットとサタンセラフィムは二役となります

以下はセリフ数が少ないため、被り役推奨です。

縛られた女♀
□6のみ。
イゾルデ、レ・デュウヌの登場パートです。

※注意
・ルビの振ってある漢字は、ルビを読んでください。
・特定のルビのない漢字は、そのまま読んでください。

ひらひらのひらがなめがね
上記のサイトに、この台本のURLを入力すると、漢字に読みがなが振られます。
ただし、当て字でルビを振ってある漢字(例:救世十字架(ロンギヌス))にも、読みがなが振られてしまうので、カタカナで振られている文字を優先して読んでください。

□1/十年前、帝城キャメロット中庭で


(木漏れ日の注ぐ大樹の下で、トリスタンは竪琴を爪弾きながら叙情詩を謡う)

トリスタン:黒き月夜に背を向けて しろがねの女は 黄昏へ走る
       沈みゆく太陽に追いすがる胸中は 人間(ひと)の残照への焦がれ

       やがて夜の追っ手は 流血の(いざな)いを諦め
       しろがねの女は (くれない)の空に 灰と散った

ランスロット:トリスタン、お前の創作か?

トリスタン:お恥ずかしい。
       亡き母のことを考えていたら自然と浮かんだ、詩のようなものです。

ランスロット:第三王妃オリヴィア殿。
        まだ四十を過ぎたばかりだというのに、早すぎる夭折(ようせつ)だ。

トリスタン:ルティエンス公爵家の早死には、母上に始まったことではありません。
       ルティエンス公爵――私の祖父は、類縁では珍しい長寿なのです。

ランスロット:しかし……驚いたよ。
        俺が四、五歳の頃に見た、白金(しろがね)の美姫オリヴィア。
        棺で眠るオリヴィア殿は、あの頃の記憶と寸分も違っていない。

トリスタン:…………

       早死にが多い反面、奇妙なほど若々しい。
       母は典型的なルティエンス公爵家の女でした。

ランスロット:そして美男美女揃いと。
        ワラキア公国の『黄昏の貴公子』トリスタン殿。

トリスタン:(おも)はゆいあだ名ですね。
       日差しに弱く、夕刻過ぎにふらふら活動する生活をからかわれたのですよ。

ランスロット:おや、お前の小さな恋人がやってきたようだ。

イゾルデ:おにいさま――!

トリスタン:イゾルデ。
       父上……皇帝陛下のお加減はどうでしたか?

イゾルデ:はい。おかあさまを亡くした哀しみが、未だに癒えておられないようです。

ランスロット:オリヴィア殿は、父上が最も愛した王妃だった。
        近頃父上が塞ぎ込むことが増えたのも、少なからずオリヴィア殿の死が、影を落としているのだろう。

イゾルデ:おとうさまは、わたしにおかあさまの面影が残っているとおっしゃいました。

      それで、あの……
      おとうさまは、わたしに帝都ログレスで暮らさないかと……

トリスタン:ログレスで、ですか?

イゾルデ:はい。
      おにいさまは、どのようにするのがよいと思われますか……?

トリスタン:イゾルデ、お前のことですよ。お前が決めなさい。
       お前はワラキア公国の公女であり、ブリタンゲイン帝国の皇女なのですから。

イゾルデ:…………

ランスロット:イゾルデ。
        お前はブリタンゲインとワラキア、どちらで暮らしたい?

イゾルデ:おとうさまは、寂しいのだと思います……
      でも、ワラキアにはおじいさまが……

ランスロット:父上やお祖父様のことは考えなくていい。
        お前の本当の気持ちを言ってごらん。

イゾルデ:ワラキア、です……
      わたしはおにいさまと離れたくありません――!

トリスタン:…………

ランスロット:わかった。父上には俺から断っておこう。

イゾルデ:ありがとうございます、ランスおにいさま。

ランスロット:イゾルデはトリスタンのことが好きなんだな。

イゾルデ:はい!
      おにいさまは優しくて聡明で……
      わたしは……大好きです。

ケイ:おやおや。兄妹仲、麗しきことですな。

トリスタン:ケイ。

ランスロット:帝国大学院合格の報を聞いたぞ。
        おめでとう、ケイ。

ケイ:たまには神に祈ってみるものですな。
   埋めきれない答案を提出した時は浪人を覚悟しましたが、神頼みが通じたようです。

ランスロット:神は自らを助くる者を助く。
        お前が真面目に勉強に励んでいたからだよ。

        それに祈るだけならタダだ。

ケイ:ノーリスク、ハイリターンですか。
   神頼みの新しい解釈ですな。
   神学と経済学の見事な融合です。

イゾルデ:ケイおにいさま、ご無沙汰しております。

ケイ:イゾルデか。君は今年で幾つだったかね。

イゾルデ:八つになります。

ケイ:八歳でこの美貌とは、驚くばかりだ。
    さぞ婚約の話も舞い込んでくるだろう?

イゾルデ:はい……
      色々な品々をいただくのですけど……
      どうすればよいのか困ってしまいます……

トリスタン:私と祖父で相談し、婚約の話は一切断ることにした。

       イゾルデはまだ八歳の子供だ。
       皆、何を考えているのやら……

ケイ:家柄はルティエンス公爵家、八歳ながらオリヴィア殿も凌ぐ美姫に育つ片鱗も見せる。
    ファンダメンタルズは完璧です。
    異母兄妹でなければ、私も花婿にエントリーしたいところですよ、イゾルデ姫。

イゾルデ:ええっ!? ケイおにいさままで……?

トリスタン:ケイ、悪ふざけは止めてくれ。イゾルデが困っている。

ランスロット:イゾルデ、俺も恋人候補に名乗りを上げていいかな?

トリスタン:兄上まで……

イゾルデ:あの、わたし……どうすればよいのでしょう……?

ランスロット:第二皇子、第四皇子、第五皇子。
        俺たちブリタンゲインの皇子の中で、誰が一番イゾルデの好みか。
        遠慮はいらないぞ。正直に言ってくれ。

イゾルデ:あの……ごめんなさい……
      ランスおにいさまは、気配り上手で頼もしくて、
      ケイおにいさまは、頭が良くて自信家で、
      どちらのおにいさまもとても素敵な方なのですけれど……

ランスロット:一番はトリスタンかな?

イゾルデ:はい……申し訳ございません。

ランスロット:予想通りの失恋だったな。

ケイ:兄上も大変ですな。こんな絶世の美姫に一途に慕われては、世の貴婦人は恐れ多くて近寄れませんぞ。

ランスロット:トリスタン、リオネス侯爵令嬢とはどうなった?

トリスタン:彼女とは破局しました。

ランスロット:お前の恋愛も長続きしないな。全く不思議だ。

トリスタン:私は壊れた竪琴なのですよ。
       恋愛(こい)の調べを掻き鳴らそうにも、琴糸(こといと)(たわ)んで響かない。
       皆、物珍しさで手にとっても、やがて退屈して去っていくのです。

ケイ:男は厳しいものですな。美貌だけで万事上手く進んでいく女とは大違いです。
   やはり女性を落とすには、会話と世辞の上手さ、口説きに入る行動力が大事なのですね。
   兄上?

ランスロット:何故俺に話を振るのかな?

ケイ:ランスロット卿の社交界の戦績は、皇族随一ですから。
    ご指導、ご教授賜れればと思いまして。

イゾルデ:おにいさま、殿方の密談が始まりました。
      わたしは聞こえないふりをするのが、レディのたしなみでしょうか……?

トリスタン:兄上、ケイ。色恋の話は二人でやってください。

ケイ:ああ、これは失敬。

ランスロット:そろそろサン・ペテロ大聖堂の、使徒評議会に出席しなければならん。
        トリスタン、イゾルデ、ケイ。また話そう。

ケイ:はぐらかされましたな。兄上は尻尾を掴ませない。
    ああいうところが、女遊びの上手さに通じるのでしょうな。

    では私も失礼。
    お二方とも、久々の帝都でしょうから、のんびり見物していってください。
    それでは。

イゾルデ:ランスおにいさまも、ケイおにいさまも面白いお方ですね。

トリスタン:ログレスは楽しいですか、イゾルデ?

イゾルデ:はい。
      おかあさまが亡くなって、気の塞ぐことが多かったのですけど……

      おにいさまやおねえさま、弟たち。
      みんな素敵な方々で、とても楽しいです。

      こんなときが、いつまでも続いて欲しいですね……


□2/二年前、ルティエンス公爵家の美術工房


(薄暗い屋敷の廊下で、トリスタンは美術工房のドアをノックする)

トリスタン:イゾルデ、いますか?

イゾルデの声:ん……あ、はい。

トリスタン:入ってもいいですか?

イゾルデの声:はい、どうぞ。

(美術工房の室内は、分厚い窓掛け布で締め切られ、薄暗い室内に蒼白い肌の美少女が浮かび上がる)

トリスタン:美術工房(アトリエ)にいたのですか。
       屋敷中どこにも居ないから、探してしまいました。

イゾルデ:ごめんなさい、お兄様。
      夜になったら目が冴えてしまって眠れなくて……

トリスタン:油絵は、はかどりましたか?

イゾルデ:はい。これが今描いている絵……
      地上に堕ちる凶星を描いた、『闇夜の海に泳ぐもの』です。

トリスタン:……こちらは?

イゾルデ:『無慈悲なる夜の女王』……
      月を女王に、星々を兵隊に見立てた、昼と闘い続ける夜の王国の絵です。

      隣は『冷たき手』……
      熱を消し去った氷の美しさ……
      それを死者の手で表現しました。

トリスタン:……昔と絵の印象が変わりましたね。
       過去の絵は様々な色彩が使われ、近年の絵は寒色や暗色が中心。
       一瞥しただけで作風の変化がわかります。

イゾルデ:……夜型になったからでしょうか。
      最近は夜や闇のモチーフに惹かれるのです。

トリスタン:…………

イゾルデ:リトーさんの行方はわかりましたか?

トリスタン:いえ……
      二週間前、ヴラドーの街へ買い出しに出かけてから行方知れず。
      ご実家にも戻られていないそうです。

イゾルデ:そうですか……心配ですね……
      大変良くしてくださったのに……

トリスタン:ええ……良く気のつく、よいお手伝いさんでした。

イゾルデ:お屋敷のことはどうしましょう?
      私、お料理もお掃除も、何も出来なくて……

トリスタン:ヴラドーで人の手配を頼んできます。
       リトーさんには申し訳ないですが、お手伝いさん無しでは生活が成り立ちませんからね。

       一人で大丈夫ですか?

イゾルデ:はい。近頃調子が良くて。
      一ヶ月前、寝たきりだったのが嘘みたいです。

トリスタン:……おや、その布の掛かっている絵は?

イゾルデ:あ、その絵は――!

トリスタン:失礼。習作ですか?

イゾルデ:……いえ、ご覧になりたければご覧になってください。

トリスタン:――!

(布を捲った下にあったのは、血の涙を流しながら微笑む銀髪の女だった)

トリスタン:この絵は……?

イゾルデ:……『血涙(けつるい)の聖女』。
      血の涙を流して微笑む聖女の……宗教画です。

トリスタン:何処となく……イゾルデに似ています。

イゾルデ:そうでしょうか……?
      髪の色が銀髪だからかもしれません……

トリスタン:…………

イゾルデ:ごめんなさい、変な絵を見せてしまって。
      私、なんだか暗い絵ばかり描いてますね。

      次は明るい絵にしましょう。
      春風に揺れるワラキアの草原など素敵だと思います。

トリスタン:ええ、今度お前を連れてワラキア草原に行きましょう。

イゾルデ:ふあ……

トリスタン:もう寝なさい。
      一晩中創作に励んで疲れたでしょう。

イゾルデ:はい、お兄様。
      一晩中起きて、朝になると眠る――
      なんだか私、吸血鬼みたいですね。

トリスタン:…………


□3/二年前、夕暮れ時、ワラキア公国首都ヴラドーの教会前


(オルドネア聖教の教会前で、トリスタンは懐から出した一枚の手紙に目を落とす)

トリスタン:(オルドネア聖教、聖ヨーゼフ教会……)
       (この手紙をランス兄さんに出せば、私が闇夜に(うず)めてきた秘密は、白日の下に晒される……)

(教会の正門を潜ろうとした途端、何処からともなく飛んできたイナゴが手紙を奪い去っていく)

トリスタン:虫――!

       手紙が――!?

(手紙を抱えて飛ぶイナゴを追い掛けて、トリスタンは薄暗い路地裏へ駆けていく)
(行き止まりの袋小路で待っていたのは、封を破った手紙を指先に挟んでもてあそぶ人間)
(人懐こいようで、どこか不自然な薄笑いを浮かべる、少年とも青年ともつかない男だった)

レ・デュウヌ:へえ、第四皇子トリスタンから第二皇子ランスロットへ秘密の相談。
        六年前のワラキア公殺害事件に関すること――って何だろうね?

トリスタン:――……!

      その額の魔晶核……!
      古代人か……!?

レ・デュウヌ:初めまして。
        ワラキア公国公爵にして、ブリタンゲイン帝国第四皇子トリスタン。

        僕はレ・デュウヌ。蠱蟲の蛹レ・デュウヌ。
        古代魔法王国の一種族、ネルビアンの一人さ。
        よろしくね。

トリスタン:馬鹿な――!
       ネルビアンは千年前に絶滅した種族……!

レ・デュウヌ:どうだっていいじゃん。

        それよりトリスタン。
        僕は君のこと、君と君の妹さんのことを助けてあげたいと思ってね。

トリスタン:…………
       人の手紙を奪い、勝手に盗み見た者が何を言う。

レ・デュウヌ:君が先走っちゃってるから止めてあげたんだよ?
        せっかくのグッドニュースを届けにきたのに。

トリスタン:グッドニュース……?

レ・デュウヌ:真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)といえば、ワラキアを永遠の夜に閉ざした血の淑女<Vモーネ。
        でも、人間の心を保った真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)は実在する。

        だから――
        イゾルデだって、人の心を持った真祖になれるよ。

トリスタン:――――!?

レ・デュウヌ:あはは、食いついた。

        それじゃあ次はバッドニュース。
        君が二週間前、バナト山に埋めた召使いの死体。
        あれ、(ふもと)の村の猟師に見られてたよ?

トリスタン:…………!!

レ・デュウヌ:ここでグッドニュースをもう一つ。
        その猟師は、骨になって土の下だ。
        よかったでしょう?

トリスタン:お前がその猟師を……!?

レ・デュウヌ:顔ぐらい隠したほうがいいよ?
        お近づきの印にこれをあげる。

トリスタン:この醜悪な仮面は……

レ・デュウヌ:醜いから意味があるんだよ。
        ぱっと見た時、誰も君を連想しないでしょう?

トリスタン:…………

レ・デュウヌ:さて、第四皇子様。
        いつまでも本名で呼ぶのは不味いよね。

        君のことはこれから『クドラク』と呼ぼう。
       『石棺(ひつぎ)の歌い手クドラク』――
        第五使徒シリウスの家族を殺した吸血鬼の名前だ。

トリスタン:石棺(ひつぎ)の歌い手クドラク……

レ・デュウヌ:いい名前でしょう?
        それじゃまたね、クドラク――

(人間を形作っていたレ・デュウヌの姿が崩れ、無数のイナゴになって、宵闇の空に飛び去っていく)
(蟲の群れが去った後、トリスタンは、残された醜貌の仮面を見つめて呟く)

トリスタン:石棺(ひつぎ)の歌い手クドラク……
       これが私の……もう一つの顔……


□4/帝城敷地内の外れ、幽閉塔の頂上


(塔最上部の独房から差し込む日光を避けるように、トリスタンは日陰で詩集に目を落としている)

トリスタン:…………

クレハ:第四殿下。面会者のご来訪です。

ランスロット:俺だ、トリスタン。

トリスタン:兄上ですか。どうぞ、開けてください。

(独房の第一の封印扉が開かれ、第二扉の鉄格子越しにランスロットが立っている)

クレハ:面会時間は十分です。私も立ち会いますがご了承を。

ランスロット:面倒を掛けます、ナイトミスト事務官。

クレハ:お気になさらず。仕事ですから。

ランスロット:詩集か。どんな詩を読んでいた?

トリスタン:『暁と黄昏の盲人』という詩です。

ランスロット:面白そうな題名だ。帰りに本屋で探してみよう。

トリスタン:私の釈放はいつになるのでしょうか。

ランスロット:全ての疑いが晴れるまでだ。

トリスタン:……また異端審問官の査閲(さえつ)を受け入れろと言う話ですか。

ランスロット:トリスタン、何故そこまで異端審問を拒む。
        枢密院は、お前への疑いを強めるばかりだ。
        俺も庇い切れん。

トリスタン:兄上は異端審問官の所業を知らないとでも?
       疑いのある者は有無を言わさず捕らえ、何週間も軟禁状態に置く。
       彼らの生活など意に介さず、人間の尊厳を踏みにじられた環境で、自白を強要する。

       どれほどの民が異端審問に苦しめられ、異端審問官の影に怯えているかわかりますか?

ランスロット:お前の言う通り、過去の異端審問には、行き過ぎもあった。
        俺もオルドネア聖教の聖騎士として、申し訳なく思う。

        だが異端審問により、多くの命が守られているのも事実だ。
        最近では、ブレナ村の事件が記憶に新しいだろう。
        異端審問が無ければ、多くの農民が殺害され、アンデッドの素体にされていた。

トリスタン:私は公国の民を脅かす異端審問を認めることは出来ません。

ランスロット:平行線だな。

トリスタン:……兄上は、すっかりオルドネア聖教に染まりましたね。
       時折、見知らぬ誰かと話している気分になります。

ランスロット:変わったように見えるのはトリスタン、お前もだよ。
        近頃のお前は少々強引に見える。
        『二等国民』の社会保障権付与と参政権付与は、国を巻き込む大激論となった。
        ケイは元より、ガウェイン兄さんも強硬に反対しているぞ。

トリスタン:帝国の拡大政策が止み、資本と人間の自由化が進んだ。
       それに伴い、かつての封建制度とは異なる、格差と貧困が生じています。

       新たな貧困層……異人種である二等国民は孤立しがちで、社会の支援を受けられない。
       ひとたび暴徒化すると、過去の内乱とは比べものにならぬ規模となりましょう。
       『ハ・デスの生き霊』は、彼らの差別と困窮を苗床に勢力を伸ばしているのです。

ランスロット:トリスタン。何故お前は『ハ・デスの生き霊』に執心する?

トリスタン:……おかしなことを聞かれますね。
      『ハ・デスの生き霊』は帝国の秩序を揺るがすカルト教団。
      討伐を願うことは、執心と呼ばれることなのでしょうか?

ランスロット:それほど『ハ・デスの生き霊』を問題視するお前が異端審問を拒むのは、自己矛盾に思える。

トリスタン:問題の本質の理解の違いです。
      私は異端審問を、住民同士の差別と不信を強めるだけの施策だと考えているのです。

ランスロット:トリスタン、お前は何か悩んでいないか?

トリスタン:唐突ですね。

ランスロット:昔からお前は、悩み事は一人で抱え込む男だった。

        トリスタン、悩みがあるなら俺に話せ。
        オルドネア聖教の聖騎士ではなく、兄として話を聞こう。

トリスタン:…………

クレハ:時間です。面談の切り上げをお願いいたします。

ランスロット:もう時間か。承知しました。

トリスタン:本日はありがとうございます、兄上。
       早々に私の疑惑が晴れることを願っておりますよ。

ランスロット:ああ、またなトリスタン。

(第一の封印扉の向こうにランスロットとクレハが下がり、鉄格子に分厚い封印扉が降ろされ、独居房は薄暗い静寂に閉ざされる)

トリスタン:…………

(独居房の外、クレハは封印扉に施錠する)

ランスロット:本日はありがとうございました、ナイトミスト事務官。

クレハ:仕事ですから。では往きましょう。

ランスロット:宜しければお仕事の後、私とお茶に付き合っていただけませんか?

クレハ:お断りします。

ランスロット:これは手厳しい。

クレハ:事務官という立場上、皇族の皆様には中立であらねばなりませぬ故。
     ご無礼ご寛恕(かんじょ)を。

ランスロット:それは言い寄られたら平静でいられないから――と自惚れてよろしいか?

クレハ:面白い冗談です。

ランスロット:無表情でそれは鉄壁の断り文句ですね。

        この分では見込みはなさそうだが……

クレハ:手紙ですか?

ランスロット:私の知人から預かってきましてね。
        宜しければ読んでやってください。

クレハ:署名がありませんが。

ランスロット:初心(うぶ)な男でして。名を名乗る勇気がないと。
        気持ちだけ伝えたいとのことです。

クレハ:せっかくのご好意ですが不要にございます。

ランスロット:おっと、受け取れませんよ。
        婦人に一度渡したものを受け取るのは、騎士の流儀に反しますので。
        ご不要であれば破棄していただければ結構とのことです。

クレハ:…………

ランスロット:万一困ることがあれば、私にご相談ください。
        迷惑を掛けないよう、言って聞かせますので。
        もっとも私では、信用がないかもしれませんが。

クレハ:…………

ランスロット:それでは失礼。

(ランスロットが階段を下りていった後、クレハは手紙の封を開ける)

クレハ:…………

     恋文……


□5/帝都西区、ケイ邸宅の応接間


ケイ:ナイトミスト、吸血鬼クドラクの活動状況を述べたまえ。

クレハ:帝都の行方不明者の内、吸血鬼クドラクのターゲットと想定される層を抽出し、その推移を表にまとめました。
     抽出条件は、十代/魔因子の保有者/未婚女子としています。

ケイ:書類を見る限りでは、トリスタン拘禁前と拘禁後で、目立った変化はないな。
    想定ターゲット層の行方不明者数は、依然として高止まりしている。

ベディエア:吸血鬼クドラクの被害に遭ったウルフスタイン伯爵のお嬢さん……カテリーナさんでしたよね。
       彼女のクドラクの正体は第四皇子ですわ≠フ一声で、トリス兄様は自主的に幽閉塔に入りましたけど……

クレハ:第四殿下拘禁後もクドラクの活動に目立った変化がないことから、
     政府関係者の間では、ただの勘違い≠ニいう見方が主流となりつつあります。

ベディエア:円卓会議でも『トリス兄様を陥れる謀略』じゃないかって言われましたよね。

ケイ:何故みんな私を疑うのだね。

ベディエア:だって、ケイ兄様とトリス兄様って仲悪いじゃないですか。

ケイ:不仲だけで犯人扱いとは、法治国家失格だな。

ベディエア:ケイ兄様、企み事好きですし。

ケイ:だとすれば、私は自らの謀略で窮地に追い込まれている大マヌケだね。

ベディエア:大マヌケなんですか?

ケイ:私が無実の罪で逮捕された時には、ベディエア、お前の犯行も白状することにしよう。

ベディエア:ええっ、僕、何もしてないですよ!?

ケイ:私もだが。

ベディエア:……ごめんなさい。

クレハ:『トリスタン=ルティエンス』の今後の処遇について。
     円卓会議の評決の結果は、釈放7、拘禁継続1、不在3。
     釈放が賛成多数で決定いたしました。

ベディエア:拘禁継続、ランス兄様でしたね。ビックリしました。

ケイ:この票決を見れば、私の冤罪は自明だと思うがね。
   兄上以上に濡れ衣を着せられているのは、私だと理解してもらいたいところだ。

ベディエア:でも、ランス兄様、どうしてでしょう?

ケイ:オルドネア聖教の意向だろう。それ以外にあるかね?

ベディエア:異端審問官、ですか……いい噂は聞きませんね……

ケイ:異端審問とは、教会の経済活動の一種だよ。
   立ち入りを受諾したが最後、大小様々な罪を並べられて告発される。
   助かるためには、多額の寄付金を積んで、情状酌量を乞う以外にない。

   オルドネア聖教と『ハ・デスの生き霊』。
   私には、どちらが邪教だか区別がつかんね。

ベディエア:オルドネア聖教がトリス兄様を陥れた……?

ケイ:さあね。
   しかし、オルドネア聖教もトリスタンを疑っているというのは興味深い。
   ますますトリスタンと『ハ・デスの生き霊』の繋がりに確信を深めたよ。

ベディエア:え? だってケイ兄様、トリス兄様はクドラクじゃないって……

ケイ:トリスタンが『ハ・デスの生き霊』と無関係とは言っていないが?
   『ハ・デスの生き霊』の活動拠点がワラキアにあり、トリスタンはそれを庇い立てしているように見えるのは私も同感だ。

ベディエア:トリス兄様が『ハ・デスの生き霊』に協力する理由って何でしょう?
       ワラキアは貴族の荘園(しょうえん)経済で、庶民間の貧富の差は少なく、国民一人当たりの豊かさだとブリタンゲインより上なのに。

       やっぱり、イゾルデ姉様……?

ケイ:理由を考え出すとキリがない。

    トリスタンは『ハ・デスの生き霊』に便宜を図っているように見える。
    この一点から何を見出し、何を引き出すか。

ベディエア:ケイ兄様は何をお考えなのですか?

ケイ:大悪魔(ダイモーン)の一柱に数えられる、赤き月の悪魔、真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)シモーネ。

   果たして神話は、どこまでが真実なのだろうか?
   シモーネ以前の真祖は、人類と大きな抗争を起こすことなく、共存していた記録もある。
   もし大悪魔(ダイモーン)が対話可能な、理性ある存在だとしたら――?

ベディエア:オルドネア聖教を信じてた人は、拍子抜けしちゃいますね。

ケイ:真祖復活は、教会の権威をテストに掛ける格好の試金石ということだよ。

ベディエア:でも、伝承通りの邪悪な吸血鬼だったら?

ケイ:危機が起これば、人間はそれなりに対処するものだ。
    現にその猛威を振るった大悪魔(ダイモーン)も、封印されているわけだろう?

ベディエア:ケイ兄様って酷薄ですね。
       ワラキアの人たちは生贄じゃないですか。

ケイ:私はただの観察者に過ぎん。
    批難や苦情は、オルドネア聖教と『ハ・デスの生き霊』に持っていきたまえ。

ベディエア:ふふ、僕はケイ兄様のそういうところが好きです。

ケイ:それはどうも。好意は有り難く受け取ろう。

ベディエア:僕はそろそろお暇します。

       あ、そうそう。
       僕のこと、監視するのは止めてくださいね?

       それじゃ、またきます。

(ベディエアが去っていった後、応接間の家具の物陰から、ゆらりと影が抜け出すように黒ずくめの鬼面の女が現れる)

羅刹女:何者だ、あの小僧。

ケイ:さあね。少なくとも私の知るベディエアではないな。
   私の知るベディエアは、グズで無能の愚か者だったからな。

羅刹女:御身には肉親の情など、米粒ほどもなかったな。

ケイ:骨肉の争いが最も苛烈なのは、古今東西を問わないよ。

クレハ:殿下、お煙草をお持ちしました。

ケイ:君はいつも気が利くね、ナイトミスト。

クレハ:お火を。

ケイ:フゥ――……

   ワラキア公国の調査はどうなっている?

羅刹女:ワラキアで活動する教団に隠密を潜り込ませた。
     続報を待たれよ。

ケイ:期待している。

   羅刹女殿、君には私のボディーガードを頼みたい。

羅刹女:ナイトミストでは不足か。

クレハ:大英円卓の事務官という職務上、第五殿下を贔屓立てすれば波風が立つは必定。
     殿下には専属の秘書官がいたほうが適切かと。

ケイ:君の国籍を取得しておいた。今日中には書類を完成させてもらいたい。

羅刹女:複名……倭島の名をブリタンゲイン風に改める制度は?

ケイ:君自身で申請したまえ。
   慣習では元の名を英訳するのだが、好きなように付けても構わん。

羅刹女:御意。

     して、御身の秘書官……
     具体的には何をすればよい。

ケイ:炊事洗濯掃除だ。

羅刹女:は――?

ケイ:昨日付で、パートタイムの家政婦を全員解雇した。
   今日から君が、屋敷の管理の全権を担うのだ。

羅刹女:使用人の召し抱えは?

ケイ:却下だ。機密保持のために家政婦を解雇したのだ。
   部外者がいては、気軽に内緒話も出来なくなるだろう?

羅刹女:…………
     御身の秘書の定義を詳しく掘り下げて聞きたいのだが。

ケイ:私の面倒事を全て投げられる職業だ。

羅刹女:そのような都合の良い役職はないと心得よ。

ケイ:それを何とかするのが有能な秘書官だよ。

   少々調べたいことが出来た。
   書斎に籠もるので、用がない限り呼ばないでくれたまえ。

羅刹女:待て。私の用は済んでおらん。

ケイ:ではナイトミスト。後を任せた。

クレハ:承知いたしました。

(応接間は、羅刹面の女と、倭島人のメイドの奇妙な組み合わせの二人だけとなる)

羅刹女:炊事洗濯掃除だと……!?

     あの男め……!
     私に飯炊(めした)(おんな)を命じるとは……!

クレハ:お頭様。
    『飯炊き女』と『メイドさん』は、似ているようで異なるもの。
     見てくださいませ、このエプロンドレスを。

羅刹女:……見た。で?

クレハ:可愛くはございませぬか。

羅刹女:私に……『メイドさん』とやらをやれと?

クレハ:はい。

羅刹女:……無理だ。

クレハ:影渡りを処世の(わざ)と心得るなれば、世を忍ぶ仮の姿を見繕うは必須。
     無理と思うからこそ、余人の目を欺けるのです。

羅刹女:……如何様にする?

クレハ:紅葉にお任せを。
     あねさまを可愛いメイドさんに仕立ててご覧に入れましょう。

     男子の心を掴むは恥じらいです。
     あねさまの年齢ですと、婚期を逃して悩む、行き遅れのおなごが吉。
     加えて、嫁入りの希望を訴えれば、男子に期待を持たせることが出来ます。
     少々間の抜けた振る舞いを見せれば、男子の庇護欲をくすぐるは請け合い。

     とどめの一撃に兔の耳飾りを付ければ、完璧な装いと言えましょう。

羅刹女:紅葉よ。

クレハ:はい。

羅刹女:戯れ言か。

クレハ:左様にございます。

羅刹女:おぬしの能面顔は、戯れ言と本気の見分けがつかん。

クレハ:申し訳ありませぬ。
     以後、戯れ言を申す時は笑みを作りましょう。

羅刹女:……おぬしは笑わなくなったな。
     笑いだけではない、泣くことも、怒ることも――
     おぬしが感情を露わにしたのは、幾つの時が最後だったか。

クレハ:沸き上がった感情は押し殺すが習いとなった故。
     ……笑うことが、わからなくなりました。

羅刹女:…………

クレハ:しかしあねさま、私は楽しゅうございます。
     
     この書類をご覧くださいませ。

羅刹女:あの男に提出したクドラクの資料か。

クレハ:私が(したた)めました。
     倭島では寺子屋に通えず、和文字の読み書きも出来ぬ私が、
     ブリタンゲインでは、書を綴る仕事を為したのです。

羅刹女:……おぬしは今の身分が気に入っておるのだな。

クレハ:…………

     影渡りの本務を軽んじるが如き言動でした。お許しを。

羅刹女:私は……好かぬ。
      ブリタンゲインの国も、赤鼻の天狗どもも。

      奴らのくだらん陰謀に使役されるのは、屈辱だ。
      姫様は何故あのような男に惚れ込んでおられるのか……

クレハ:あねさま……

羅刹女:私は腕は売っても、魂は売らぬ。

      いずれ寝首を掻いてくれる。
      せいぜい高いびきを掻いておけ、第五皇子ケイ。


□6/真夜中、ルティエンス公爵家の美術工房


(夜風が差し込み、カーテンが揺れ、月光に照らし出される美術工房の室内)
(全身血塗れのイゾルデが、乾涸らびた死体を前に泣いている様を、レ・デュウヌが薄笑いを浮かべて眺めている)

イゾルデ:ああ……ああ……!
      私は……何ということを……!

レ・デュウヌ:美味しかったでしょう?
        とびきり上等の魔因子を持つ処女の血だよ。

(レ・デュウヌは、イゾルデの頬についた血をすくって舐める)

レ・デュウヌ:うーん、不味いなあ。
        処女の血より、花の蜜のほうがずっと美味しいよ。

イゾルデ:あなたは悪魔です……
      毎晩毎晩……女性を誘拐してきては、こんな……

レ・デュウヌ:殺してるのは君じゃん。

        僕が目の前で離した女の子を、眼を血走らせて飛び掛かり、
        物凄い力で組み伏せて、獣のように喉を食い破ってるのは誰?

        わあ、この死体、肩の骨が砕けてる。
        力込めすぎだよ。あはははは。

イゾルデ:もう止めてください……
      私にこんなことをさせないでください……

レ・デュウヌ:ふうん、僕のせいなんだ。

        君を殺そうとしたお祖父さんを返り討ちにして、屋敷中の使用人を皆殺しにしたことも?
        吸血の衝動に駆られて、召使いの血を吸っては、殺してることも?
        お兄さんを吸血鬼に変えて、生かさず殺さずの、生きた餌代わりにしてることも?

        へー。

イゾルデ:ああ……! ああ……!
      どうして何も思い出さなかったの……?

      お祖父様の首を絞める手の感触も……
      お兄様の熱い血の迸りも……
      全て、全て私が……!

レ・デュウヌ:何それ? 彫刻刀?

イゾルデ:はあ……はあ……

レ・デュウヌ:死ぬの?

イゾルデ:来ないでください!
      喉を突いて……死にます……!

レ・デュウヌ:ふーん。死ねば?

イゾルデ:…………!!

      うぐっ――……!

(彫刻刀で喉を貫いたイゾルデは、数度血を吐いた後、呼吸が安定していることに気づく)

イゾルデ:ごほっ、ごほっ……

      痛くない……
      傷が……治ってる……

レ・デュウヌ:そんななまくら刀で、真祖が死ぬわけないじゃん。
        だったら昔の吸血鬼狩人(ヴァンパイアハンター)は何も苦労しないよ?

        ねえイゾルデ。喉が渇いたんじゃない?
        今日はもう一人、ご馳走を持ってきたんだ。

(美術工房のドアが開かれ、廊下に猿轡を咬まされて縛られた、裸の女が転がっている)

縛られた女:むぐーっ! むぐーっ!

イゾルデ:……!

レ・デュウヌ:貴族の食卓にはBGMが必要だったね。
        声楽・生贄の悲鳴。

(レ・デュウヌの指先から飛び去ったイナゴが猿轡を食い破り、女の絶叫が響き渡る)

縛られた女:助けて! 誰か助けて!

レ・デュウヌ:さあ、召し上がれお姫様。

イゾルデ:…………

縛られた女:いや、いや……! こないで……!

       きゃあああああ――――!!!

(吸血後、廊下にもう一つ転がった死体の前で、イゾルデは啜り泣いている)

イゾルデ:うう……うう……

レ・デュウヌ:泣いているの?

        この絵にそっくりだね。

イゾルデ:『血涙(けつるい)の聖女』……

レ・デュウヌ:ごめん、嘘。全然似てないや。
        だって君、こんな寂しそうに笑ってないもの。

イゾルデ:…………

レ・デュウヌ:鏡を見せてあげるよ。

イゾルデ:……!

レ・デュウヌ:君は笑っているんだよ、イゾルデ。
        血に塗れた顔で、満面の笑みを浮かべているんだ。

イゾルデ:これが私の顔……?

      笑っているの……?
      私……?

レ・デュウヌ:イゾルデ、君は吸血鬼だ。
        それも吸血鬼の中の吸血鬼。
        赤き月に見初められた夜の女王。

        真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)イゾルデだ――


□7/満月の夜、幽閉塔の頂上


(人の声で鳴く鈴虫が幽閉塔に人間の笑声を響かせ、それを聞くトリスタンは青ざめた顔で震えている)

レ・デュウヌの声:あはははははははは。

トリスタン:貴様……イゾルデを吸血鬼に……!

レ・デュウヌの声:君の妹は吸血鬼だよ?
           そんなことは君が一番知ってるじゃないか。

トリスタン:イゾルデは魔因子の影響で自らの血球が壊れていく慢性壊血病……
       乾燥血液を飲み続ければ――

レ・デュウヌの声:いつまでそうやって、自分を、世界を欺いてるの?
           いい加減、現実に目を向けなよ。

           イゾルデは、『赤き月』に見初められた吸血鬼の女王。
           君が隠し続け、ここまで育てた真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)だ。

トリスタン:私は……

レ・デュウヌの声:いいことを教えてあげよう。
           イゾルデはまだ『赤き月』と一体化していない。
           銀のナイフで心臓を貫けば、呆気なく死ぬだろう。

           イゾルデは君のことを信頼しきっている。
           こんな簡単に倒せる大悪魔(ダイモーン)は他にいないよ。

トリスタン:…………!

レ・デュウヌの声:さあ殺せ。殺せトリスタン=ルティエンス。
           最愛の妹を殺して世界を救え。
           イゾルデを殺した後の世界が君を待っている。

           それともクドラク。妹と一緒に闇に堕ちるかい。
           ならば堕ちろ。
           世界を夜に閉ざし、生きとし生けるもの全ての生き血を啜れ。

           どうする? トリスタン? クドラク?
           君の選択を見せておくれ。
           苦悩を、裏切りを、絶望を。
           感情の蟲の蠢きを――

           ひひっ、ひひひひ、ひぎっ――!

(嘲弄を響かせる鈴虫が踏み潰され、幽閉塔の室内には静かな怒りが満ち渡る)

トリスタン:体を霧と化す、吸血鬼の異能……
       ブラッドアバターを使えば、幽閉塔から脱出を……

(トリスタンの虹彩が流血の赤に染まり、犬歯が伸び、額に魔晶核が形成されていく)

トリスタン:額が割れる……!

      くっ……
      やはり反魔法結界が仕掛けられているか……

(額から血を流すトリスタンは吸血鬼化を断念し、深い溜め息をつく)

トリスタン:迷いの森を彷徨い歩く旅人がいた
       三日三晩の飲まず食わず

       やがて旅人は倒れた
       空腹と疲労で何も見えない
       感じられるのは 弱々しい光だけだった

       太陽は言った
       暁だ もうじき旭が昇る 目を覚ませ
       月は言った
       黄昏よ もうじき深い闇が訪れる お眠りなさい
      
       旅人は眠った
       そして二度と目を覚まさなかった

       それからしばらく後
       行商人の一団が旅人の亡き骸を発見した

       旅人はとっくに森を抜け出し 街道を歩いていた
       暁の空では 旭が寂しげに輝いていた

トリスタン:…………

      私は昼と夜の狭間を飛び交う蝙蝠だ。
      ここは暁なのか、黄昏なのか。

      私の瞳は……どちらを見ている……?

(悔しさに顔を歪ませるトリスタンは、唇に当たる犬歯に気づく)

トリスタン:……!?
      この全身に漲る、血の衝動……

      反魔法結界が消えている……!?

ランスロットの声:トリスタン、聞こえているか。

(扉越しにランスロットの声が聞こえてくる)

トリスタン:兄上――!?

ランスロットの声:反魔法結界を無効化した。脱出しろ。

トリスタン:兄上……私は……

ランスロットの声:何も言うな。わかっている。

           トリスタン、まだ間に合う。
           運命に流されるな。未来を変えろ。

トリスタン:……未来を、変える。

ランスロットの声:そうだ。イゾルデの心を取り戻せるのはお前だけだ。

トリスタン:もしも……取り戻せなければ……

ランスロットの声:彼女が人間の心を残している内に討て。
           イゾルデの、お前の妹の、人間としての尊厳を守ってやれ。

トリスタン:…………

ランスロットの声:往け。後のことは心配するな。

トリスタン:兄上……申し訳ありませんでした。

ランスロットの声:トリスタン、俺はお前を信じている。
           第四皇子のお前を、ワラキア公爵のお前を。
           光射す世界に生きるお前を――

トリスタン:……はい。

ランスロットの声:また逢おう、弟よ。

(トリスタンの体が霧に変わり、塔の壁をすり抜け、夜空に染み出していく)
(封印扉の前に立っていたランスロットは、眠りこけている見張り番に目をやる)

ランスロット:さて、こちらも早く離れないとな。

クレハ:後のことはお任せを。

ランスロット:それでは頼みます。ナイトミスト事務官。
        また落ち合いましょう。

クレハ:御意。殿下もご無事で。


□8/赤き満月の夜、ケイ邸宅の中庭


(不気味に冴え渡る血の色の月夜に、煙管を咥えたケイは紫煙を燻らせている)

ケイ:フゥ――……

   流血の夜空に君臨する、赤き月の女王。
   千年前に出現し、ワラキア公国を永遠の夜に閉ざした真祖の化身。
   ワラキア公国の暗闘は、『ハ・デスの生き霊』に軍配が上がったようだね。

羅刹女:ご報告申し上げる。

     午後十時。
     十五夜の満月が突如血の色に染まり、帝都は騒然となる。
     同時刻、何者かが幽閉塔の反魔法結界を無効化。

     午後十一時。
     見回りの兵が、幽閉塔の反魔法結界の無効化に気づく。
     トリスタンの脱走が判明する。

     午前零時。
     帝国政府は、赤き月と真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)との関係を調査すべく、
     オルドネア聖教聖騎士団と合同で、ワラキア公国に調査団派遣を決定。

     一般国民の混乱を避けるため、帝国のマスメディア各社に報道管制を敷く。

ケイ:いち早くトリスタンと『ハ・デスの生き霊』の繋がりを見抜き、警鐘を鳴らしていた。
    政府関係者の間では、ランスロット卿の評判は、鰻登りだ。

    しかしトリスタンの拘禁が私の謀略なら、私こそ賞賛に(あずか)ってしかるべきではないかね。
    腑に落ちんな。

羅刹女:御身の人徳であろう。

ケイ:反魔法結界の起動システムには、ベルリッヒ連邦製の指紋認証を導入しただろう。
    あれは最後に反魔法結界を解除した人間のログが残ると聞いているが?

羅刹女:……最後に解除した者はトリスタン=ルティエンスと。

ケイ:ザルだな。簡単に偽造されているではないか。

    科学技術振興事業は縮減だ。
    ラモラックめ、次回の円卓会議を楽しみに待っていろ。

    まあいい、問題の犯人だ。
    トリスタンの指紋を摂取できた人間は限られているが。

羅刹女:これを。

ケイ:ラブレター?

   すまないが私には婚約者がいるのでね。
   愛人待遇で良ければ検討するが。

羅刹女:…………

     クレハ=ナイトミストの部屋から発見されたものだ。

ケイ:ほう?

羅刹女:一行目、文頭の大文字を繋げて読んでみよ。

ケイ:A・K・A・K・I・T・S・U・K・I……

羅刹女:以下の暗号は解読中だ。
      暫し待たれよ。

ケイ:成る程。状況証拠は十分だな。

羅刹女:……面目次第も無い。
     我ら百鬼から、内通者を出してしまった。

ケイ:君とナイトミストは特別親しいようだね。

羅刹女:……幼少の頃より、共に育った。
     あの者の襁褓(むつき)を取り替えたこともある。

ケイ:最近の彼女の様子で、変わったことはあったかね?

羅刹女:……あの者は日の当たる身分を喜んでいた。
     其処を突かれ、転んだのやもしれぬ。

ケイ:過去に似たようなことは?

羅刹女:十年前……
      あの者は、私に抜け忍の誘いを掛けたことがある。

ケイ:ふむ。

羅刹女:安心されよ。裏切り者に、情けは無用。
     必ずや……私自ら、あの者を(ちゅう)す。

ケイ:まあ、待ちたまえ。

   仮にもナイトミストは、諜報の専門家(プロフェッショナル)だろう。
   そんな彼女が、敵方の密書を残して出張するなど、初歩的なミスを侵すかね?

羅刹女:…………

ケイ:まだ解析が終わっていないので評価しづらいが、暗号技術としては稚拙に思える。
   この密書も、事件が起こらなければ、落書き以下の文章として、誰も気に留めなかったのではないか。

   事が起こらなければ出来の悪いラブレター、事が起これば内通の証拠。
   材料として、あまりに都合が良すぎないかね。

羅刹女:……御身はどう考える。

ケイ:私の仮定は、まずナイトミストに造反の意志はない。
   しかし本人の意図せず、結界無効化の片棒を担がされた。
   私はこの仮説(シナリオ)を第一として考えているよ。

羅刹女:…………

ケイ:とはいえ、私たちを取り巻く不確実性(リスク)は、ポジティブよりネガティブに傾いている。
   少々リスクエクスポージャーを減らそう。

   アーシェラとの同棲はしばらく延期だな。
   万一、異端審問官の手入れに当たったら致命傷となる。

羅刹女:……御意。姫様にはその旨を伝える。

ケイ:それと倭島人のメイドの雇用も見送りだ。
    ナイトミストとの関わりを指摘されると厄介だからね。

羅刹女:それは良いことだ。計画の見直しも進言しよう。

ケイ:ところで君の複名を見たが、随分と可愛らしい名前だね。

羅刹女:……私の倭島での名は、楓と申す。
     それをブリタンゲインの言葉に直しただけだ。

ケイ:君の羅刹面(オーガマスク)の下は、まだ見たことがなかった。
    素顔も楽しみにしていいのかな?

羅刹女:大いに期待されよ。
     鬼面の下から、本物の鬼の貌が出てこよう。

ケイ:迎えの公用車(くるま)が来た。
    もう一服したかったのだがね。

(公用車に向かって歩いていくケイは、ふと足を止めて呟く)

ケイ:Point of No Return(ポイント・オブ・ノーリターン)――

羅刹女:……?

ケイ:その段階を過ぎれば、二度と引き返せなくなる地点のことだよ。

    もうすぐトリスタンは、最後の一線に近付く。
    踏み越えるのか、引き返してくるのか。

    賭けでもしないかね?

羅刹女:御身と話していると、西洋の悪魔とやらがよくわかる。
      悪魔とは、反吐が出るほど邪悪な存在だ。

ケイ:鬼に悪魔呼ばわりとは光栄だね。

    私はただの人間だよ。
    私のPoint of No Return(ポイント・オブ・ノーリターン)は、鬼神との契約だ。
    鬼を雇ったぐらいでは、まだまだ平凡な人間だ。

羅刹女:…………

ケイ:踏み越えるか、引き返すか。
   兄上は踏み越えるだろう。人間と吸血鬼の境目を。

   今度の賭けは、真祖と人類、どちらが勝つかだな。

羅刹女:……呆れて口を挟む気にもなれん。

ケイ:ナイトミストはまだ引き返せると見る。
   君が追い込まないようにしたまえ。

羅刹女:…………
     御身があの者を案じるとは存外だった。

ケイ:君は私を何だと思っているのだね?
    血も涙もない金の亡者とでも?

羅刹女:然り。よく存じておられる。

ケイ:金の亡者だからこそ、案じるのだよ。
   有能な部下を失うのは、大損だろう?

羅刹女:…………
     成る程、まさしく悪魔だ。
     悪魔の温情とは斯様なものか。

ケイ:それでは行ってくる。

    私の個人資産を任せたよ。
    市場(マーケット)に異変があれば、すぐに連絡してくれ。
    会議中だろうが時間を作る。

羅刹女:大悪魔(ダイモーン)復活の大凶変に、自分のカネか。

ケイ:命懸けで死守したまえ。あれは君たちの給料でもあるのだ。

(玄関へ向かって歩いていくケイを見送り、羅刹女は赤き月の夜空を見上げる)

羅刹女:…………

     紅葉……


□9/満月の夜、帝城キャメロット裏庭


ランスロット:深夜二時を回ったか。お待たせして申し訳ない。

クレハ:いえ、お気になさらず。
     政府ならびに教会関係者との相次ぐ面会、お疲れ様でした。

ランスロット:疲れました。しかし眠れる心境でもない。
        どうでしょう。
        私と一夜を明かしていただけませんか?

クレハ:場所はどちらで?

ランスロット:寝台(ベッド)へのお誘いは?

クレハ:かしこまりました。
     殿下の夢路へお邪魔いたします。早く寝てください。

ランスロット:鉄壁のガードだ。

        ナイトミスト事務官。
        あなたから話を受けた時は驚きました。

クレハ:第四殿下に第五殿下。
     政治上のお立場は対立することの多い両者ですが――
     倭島人である私を要職に引き立てていただいた御恩は、両殿下に等しくございます。

     第二殿下こそ、トリスタン卿の拘禁を強く主張されておられましたが?

ランスロット:私にも色々としがらみがありまして。

クレハ:発覚すれば、殿下のお立場は苦しくなるのでは?

ランスロット:はは。帝国からも教会からも、大目玉でしょうね。

クレハ:ならば何故?

ランスロット:罪は他者の罰によって(あがな)われるものではない。
        罪は自ら償って、初めて尊き贖罪となるのです。
        教会には怒られても、神は私の悪戯を大目に見てくださると信じています。

クレハ:聖騎士の鏡ですね。

ランスロット:少々キザでしたか。

クレハ:第二殿下。

ランスロット:はい。

クレハ:私が特命を帯びてワラキアに潜入しているのはご存じですか?

ランスロット:ええ、知っています。

(クレハの無表情はそのままに、声帯ではなく、腹の底から青年の笑声が響いてくる)

レ・デュウヌの声:いつから気づいてたのかな?

ランスロット:貴公からトリスタン救出の計画を聞いた時より。

レ・デュウヌの声:まだナイトミストが城にいた頃じゃん。
           それであんなラブレター渡したんだ。
           可哀想に、ナイトミストは疑われちゃうよ?

ランスロット:さて? 私は預かりものを渡しただけなのでね。

レ・デュウヌの声:どういうわけでトリスタンの脱獄を見逃した――
           その上、手助けまでしたのかな?

ランスロット:言っただろう? 私はトリスタンを信じていると。

レ・デュウヌの声:ああ、そうだったそうだった。
           オルドネア聖教って、偽善と虚言は罪じゃなかったんだ。
           なんたって開祖様が、嘘だらけの聖典を書いてるんだからね。

ランスロット:一つご忠告を差し上げよう。
        婦人に化ける際は、もう少し化粧に気を遣ったほうがいい。
        表情が不自然で、マネキンのようだ。

レ・デュウヌの声:ご忠告ありがとう。だからナイトミストに化けたんだよ?

ランスロット:これは失礼。

        そろそろお暇させていただいて宜しいだろうか?
        円卓会議に戻らなければならないのでね。

レ・デュウヌの声:どうぞどうぞ。

           大丈夫さ、きっとトリスタンが止めてくれる。
           真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)を刺し殺して、最愛の妹の心臓を持ち帰る。
           吸血鬼退治が、吸血鬼にならなければね。
           はははは。

ランスロット:ああ。私もそれを願っている。

        ――そうならなくても構わない。

レ・デュウヌの声:へえ、どういうこと?

ランスロット:軽々しく秘密を喋ることは、騎士の流儀に反するのでね。
        お許し願いたい。
        蠱蟲の蛹レ・デュウヌ――第八使徒ヤコブ殿。

レ・デュウヌの声:他人(ひと)の秘密を勝手に喋るのはいいんだ。
           君の騎士道に他人の嫌がることはしない∞嘘は吐かない≠付け加えたら?

ランスロット:ご忠告どうも。検討させてもらおう。

レ・デュウヌの声:本当、僕の昔の知り合いそっくりだよ。

           じゃあね、ランスロット卿。
           皇族一の策略家さん。

(クレハの体が崩れ去り、夥しい数のイナゴになって夜空に散っていく)

ランスロット:策略家か。

        買い被りすぎだ。
        私はただの舞台役者に過ぎない。
        神慮(プロット)を逸脱しない範囲で、アドリブをさせてもらっているだけだよ。

        神の采配(シナリオ)は――揺るがない。


□10/バナト山頂上、ルティエンス公爵邸跡地


(赤き月の光に照らし出された瓦礫の上で、イゾルデは朗々と謡っている)

イゾルデ:黒き月夜に背を向けて しろがねの女は 黄昏へ走る
      沈みゆく太陽に追いすがる胸中は 人間(ひと)の残照への焦がれ

      やがて夜の追っ手は 流血の(いざな)いを諦め
      しろがねの女は (くれない)の空に 灰と散った――

トリスタン:イゾ、ルデ……

イゾルデ:ねえ、お兄様。
      とても哀しいことがあったの。

      人間の血を啜る私は、化け物ですって。
      牢獄に閉じ込めて、餓死させろですって。
      吸血鬼として生きるなら、人間として死ね。

      私は何も変わっていないわ。
      でも……もう誰も私をイゾルデ≠ニして見てくれないのね。

(イゾルデの真紅の瞳と視線が交わり、トリスタンは全身の血が凍ったように動けなくなる)

トリスタン:…………!

イゾルデ:お兄様は、まだ私を妹と呼んでくださいますか?
      お兄様をお兄様と呼ぶことを許してくださいますか?

トリスタン:…………

イゾルデ:もしもお許し願えないのでしたら。
      お兄様、トリスタン=ルティエンス皇子様。

      私を殺してください。

トリスタン:…………!

(マントの内に銀のナイフを偲ばせて近寄っていたトリスタンは、その一言で凍りつく)

イゾルデ:私は真祖吸血鬼(ヴァンパイアロード)大悪魔(ダイモーン)の一柱。
      生かしておけば、大陸全土に災いをもたらすでしょう。
      さあ討って――

トリスタン:……イゾルデ、お前は私の妹です。
      喩えお前が血を啜る化け物になったとしても……

      お前は私の……最愛の妹です。

イゾルデ:嬉しい――

(恍惚とした表情を浮かべ、イゾルデはトリスタンの胸に飛び込む)

イゾルデ:お兄様、愛しています。

      世界中の誰よりもお兄様を――
      愛しています。愛しています。愛しています。

トリスタン:(太陽が沈む……)
       (私の見ていた景色は、やはり黄昏だったのだ……)
       (母上……夕焼けに散ったあなたとは逆に……)
       (私は太陽に背を向けて、黒き月夜へ……)

イゾルデ:私たちだけの世界を築きましょう。
      二人だけの、『永久(とわ)の夜の国』を。

トリスタン:イゾルデ……お前と共に。
       黄昏から、夜の深淵へ――

イゾルデ:はい、お兄様。

      誰にも邪魔はさせないわ――


□11/壊滅したヴラドー北区、月の落下したクレーターの爆心地


(左胸に埋まった熾天使の右手を引き抜かれ、トリスタンは大きく喀血する)

トリスタン:ぐ、はあ――……

サタンセラフィム:ようやく貴様が盗んできたものを吐き出したか。
           薄汚い蝙蝠が。

イゾルデ:お兄様あああっ――!!!

トリスタン:(イゾルデ……)

(唇から鮮血を零すトリスタンの脳裏に、過去の追憶が甦っていく)

イゾルデ:(またお見合いのお話でしょうか?)
      (ルティエンス公爵家の呪いをご存じないのかしら)
      (花嫁は、すぐ旦那様を捨てて、天国へ旅立ってしまうかもしれないのに)

イゾルデ:(絵を描くのは……形に残るからです……)
      (私が生きている時に何を感じ、何を想っていたか……)
      (少しでもそれを残すために……)

ランスロット:(トリスタン、お前の詩に曲を付けてみた)
        (修道女(シスター)たちには、なかなか好評だった)

        (今度、修道院に慰問に来てくれないか)
        (赤ワインとチーズで、とびっきりの美女が待っているぞ)
        (五十年前の美女だがな。ははは――)

ケイ:(ナイトミストの事務官への推薦、ありがとうございました)
   (兄上と私は意見の相違が多いですが、(こころざし)を同じくする点も多々あるのではありませんかな)
   (一つ、酒の席でも設けましょうか。酒は苦手? ああ実は私もでしてね……)
   (では紅茶にしましょう。ええ、手筈はこちらで)
   (禁煙希望? 弱りましたね……私はニコチンが抜けると喋る気力も減衰するのですよ……)

ベディエア:(トリス兄様! 僕、竪琴習い始めたんです)
       (でも上手に音が出せなくて……)
       (わあ、そうやるんですね! ありがとうございます!)

       (あ、トリス兄様……)
       (僕、楽譜読めません……)

トリスタン:(兄上……ケイ……ベディエア……みんな……)

(深夜の美術工房で、唯独り『血涙の聖女』の前で人知れず泣くイゾルデの姿が目に浮かぶ)

イゾルデ:(何故私は、ルティエンスの女に生まれついてしまったのでしょう……)
      (日陰にしか咲けない花の美しさに、どれほどの価値があるというの……)

      (草原で緑の葉を広げる草のように、森にそびえ立つ大樹のように……)
      (太陽の下で、みんなと一緒に……もっと長く……)
      (生きたい……生きていたい……)

トリスタン:(私は何度も見てきた……)
      (どれほど諦めの微笑みを浮かべていても……)
      (夜中に独り泣いているお前を……)
      (生きたいと願うお前を……)

      (だから私は――)

(全身を鮮血に染めるトリスタンの体が燃え上がり、赤き血を燃やす炎の不死鳥へ変じていく)

サタンセラフィム:愚かな。
           夕闇を飛び回る蝙蝠が、神の光に挑むか。
           汚れ無き純白に目が潰れ、向かう先すらわからんか。

トリスタン:もはや何も見えぬ、何も聞こえぬ――!
       地位も、名誉も、絆も……私を縛るものは何もない――!

       盲目の私を導くものは……微かなる希望……!
       夜の闇に密やかに咲く……イゾルデのささやかな幸福(しあわせ)――!
       彼女が微笑む未来へ、私は残る血の一滴を振り絞って飛ぼう――!

サタンセラフィム:神の引いた樹形図に、大悪魔(ダイモーン)の栄えは無い。
           未来が如何に分岐しようと、真祖の生存は我が潰す。

           貴様の妹は死ぬ。それが神の采配(シナリオ)だ。
           吸血鬼の希望が通ると思っているのか。

トリスタン:黄昏は沈む、夜が訪れる――!
       逃げ延びよ、イゾルデ、夜の深淵へ――!

       お前が夜にしか生きられぬならば……!
       私は命を賭して夜を引き寄せる――!

サタンセラフィム:真祖を討ち、法の裁きに身を委ねる。
           貴様に許された、唯一つの分岐点は潰えた。
           予定された采配(シナリオ)通り、貴様は我に叛逆し、黄昏に没す。

           未来は変わらん。
           貴様自身がそれを証明したのだ。
           トリスタン=ルティエンス。

トリスタン:うおおおおおおおお――――!!!

サタンセラフィム:灰は灰に、塵は塵に。
           闇に堕ちることも出来ず、光に生きることも適わなかった貴様には似合いの景色だ。
           黄昏を見納めに散って逝け。

           光に滅せよ。


□12/十年前、ワラキアへ続く帰路にて


(白銀の毛並みの獣に曳かれた魔獣車が街道を進んでいく)
(天蓋付きの室内から顔を出した幼い日のイゾルデは、夕陽に沈む帝都を眺めている)

イゾルデ:ログレスが遠ざかっていく……

      ランスロットおにいさまやラモラックおにいさま。
      パーシヴァルにベディエア、モルドレッド。

      帝都の滞在……
      あっという間に終わってしまいました。

トリスタン:良かったのですか、イゾルデ。
       ログレスへ残らなくて。

イゾルデ:おにいさまは、わたしが邪魔なのですか……?
      おにいさまがそうおっしゃるのでしたら、わたしは帝都にのこります。

トリスタン:…………

      ワラキアは豊かですが、静かな国です。
      お前の将来のことを考えると、ログレスのほうが年の近い兄弟・友人も多く、よい師に巡り会えるのではと……

イゾルデ:おにいさまは、わたしがどれほどおにいさまを好きか、おわかりにならないのでしょうね……

トリスタン:……すまなかった。

      余計なお節介で、お前を傷つけてしまった。
      私は駄目な兄ですね。

イゾルデ:おにいさまは、わたしと一緒にいたいと思ってくださいますか?

トリスタン:ええ、もちろんです。
       しかし、私のことよりも――

イゾルデ:おにいさまはお優しいです。
      でも寂しいのです……
      わたしは気遣われてばかりで……

トリスタン:…………

      イゾルデ、お前は私の大事な妹です。
      母上が亡くなり、お祖父様も床に伏せることが多くなった……
      この世に唯独り、同じ髪の色、同じ眼の色をした、血を分けた兄妹……

      喩え世界中を敵に回しても、私はお前の味方でいよう。

イゾルデ:うれしい……

      おにいさま、わたしのおにいさまでいてくださいね。
      おにいさまがご結婚されて、こどもが産まれて、おとうさまとなっても……
      わたしが結婚して、こどもを産んで、母となってからも……

      いつまでも、わたしのおにいさまでいてください。

トリスタン:国境が見えてきました。

イゾルデ:もうすぐブリタンゲインとお別れですね。

トリスタン:帰りましょう、私たちの祖国へ。

イゾルデ:はい、おにいさま。

      あなたとともに――



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