The 13th prince(プリンス・オブ・サーティーン)

第15話 蟲の策動、策士の遊戯盤

★配役:♂3♀2両1=計6人

▼登場人物

トリスタン=ルティエンス♂:
二十九歳の弓騎士。『黄昏の貴公子』の異名を持つ。
ブリタンゲイン五十四世の四番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、『陸軍弓兵師団』の団長。

母は、ルティエンス公爵の一人娘オリヴィア。
皇帝は類い希な美貌を持つオリヴィアを気に入り側室に迎えたが、
娘イゾルデを生んだ三年後、オリヴィアは若くして亡くなった。

祖父の公爵亡き後、皇位継承権は自ら放棄し、ルティエンス公爵家を継いだ。

裏の顔は『ハ・デスの生き霊』の幹部逆十字(リバースクロス)の一人。
石棺(ひつぎ)の歌い手クドラクと名乗る吸血鬼。

古代人の一派、夜魔一族の血を引いている。
完全な魔因子を持っており、魔導具無しでも魔法を使える。
額には魔晶核があるが、人前では目立つため、人間時には隠している。

魔導具:【-月弦の銀竪琴(フェイルノート)-】(損壊)
魔導系統:【-高貴なる夜(ローゼンブラッド)-】

イゾルデ=ルティエンス♀
十八歳。トリスタンの実の妹。
ブリタンゲイン五十四世の十番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、『帝国博物館』と『帝国美術館』の館長。
ただしほとんど名誉職で、実際の施設運営は館長代理に委ねられている。

ルティエンス家の遺伝病とも言われる、慢性壊血病を患っている。
イゾルデは特に症状が重く、重度の貧血で、幼少時から寝たきりの生活が続いていた。

美男美女で知られるルティエンス家でも、イゾルデの美しさは絶世であると名高い。
病弱な身でありながら求婚が絶えないが、イゾルデ本人は当惑している。

ケイ=ブリタンゲイン♂
二十八歳の財務長官。通称は『帝国国庫番』。
ブリタンゲイン五十四世の五番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、『情報戦略局』の局長。
また、政府内閣の財務長官も兼任している。

皇位継承権は、第三位。
ケイの支持層は、近年台頭してきた商業組合。
守旧派の教会・貴族からは反発を招いている。

ガウェイン=ブリタンゲイン♂
三十七歳の機操騎士。『大英帝国の要塞』の異称を持つ。
ブリタンゲイン五十四世の一番目の子。
『円卓の騎士』の一人で、ブリタンゲイン陸軍元帥。
自身も優れた搭乗型魔導具『魔導装機』の乗り手であり、数多くの武勇伝を打ち立てている。

第一皇子であり、皇位継承権第一位。
しかし寵姫ラグネルの子であるため、側室の子であることを問題とする勢力もある。

羅刹女(らせつにょ)
年齢不詳。倭島国の間諜『影渡り』。
ケイ配下の『情報戦略局・百鬼衆』を束ねる首領。
羅刹の面で顔を隠す、黒髪の女。

蠱蟲(こちゅう)(さなぎ)レ・デュウヌ両
『ハ・デスの生き霊』の幹部、逆十字(リバースクロス)の一人。
蟲を使役する蟲虫使い(ネルビアン)
千年前の魔法王国時代に滅亡した、古代人の生き残り。

身体のあちこちに昆虫の部位を持った美少年。
感情豊かでよく笑うが、虫が人に擬態しているような不自然さを匂わせる。

古代人は完全な魔因子を持っていたとされる。
〈魔晶核〉も〈魔心臓〉も共に正常に形成され、優れた魔法を行使した。
長い時間が流れるあいだに、魔因子は毀損してしまい、
〈魔晶核〉か〈魔心臓〉の片方しか形成されない準魔因子となって残るのみとなった。

魔導具:???
魔導系統:【-蟲虫使役法(アヌバ・セクト)-】

以下は被り役推奨です。


影渡りA♂
(二言のみ)

※注意
・ルビの振ってある漢字は、ルビを読んでください。
・特定のルビのない漢字は、そのまま読んでください。


□1/明け方、ワラキア公国ルティエンス公爵家正門

トリスタン:遠征に出てから二週間と少し。
      実感ほど、長く離れていたわけではないのですね。

      ルティエンス公爵邸……
      私の屋敷(いえ)……

トリスタン:只今戻りました。

イゾルデ:お帰りなさいませ、お兄様。

トリスタン:イゾルデ。
       早起きですね。

イゾルデ:えへへ……
      昨晩から、ずっと起きておりました。

トリスタン:ルティエンス家は夜型ですからね。
       私も夜はつい長く起きてしまいます。

イゾルデ:朝食の準備が出来ております。
      一緒にいただきましょう、お兄様。


□2/ルティエンス公爵邸、広間


トリスタン:……驚きました。
      毎朝これだけの料理を?

イゾルデ:フランスパンに、牛レバーのペースト。
      サーロインステーキ。ドライフルーツ。

      どれも血を補う食事だと、お医者様にうかがいました。
      お兄様、お身体が弱いのに、いつもお仕事頑張っていらっしゃいますから。

トリスタン:私が留守の間にも、毎日食事を用意していたのですか?

イゾルデ:はい。
      いつお兄様が戻ってこられてもいいように、
      ジェーンさんにお願いして――

トリスタン:イゾルデ、気持ちは嬉しいのですが……
       食べ物が無駄になってしまうことは残念に思います。
       昨年にも、ブリタンゲインに食糧危機があったばかりではないですか。

イゾルデ:ごめんなさい……

トリスタン:しかし、帰宅して温かな食事に出迎えられたことは嬉しい。
       ありがとう。お前の優しい気遣い、感謝します。

イゾルデ:お兄様……はいっ!

トリスタン:…………
      イゾルデ、お前はいただかないのですか?

イゾルデ:ふふっ。
      なんだかお兄様のお顔を見ただけで、胸が一杯になってしまいました。

トリスタン:いけませんよ、しっかり食べなくては。
       私などよりも、お前はずっと身体が弱いのですから。
       大事にしなくては。

イゾルデ:私、最近はずっと調子がいいのです。
      お屋敷の中だけですけれど、ベッドから起きて歩けるのです。
      お兄様が見つけてきて下さった、あの赤いお粉の薬のお陰です。
     
トリスタン:…………

イゾルデ:不出来(ふでき)な妹で申し訳ございません。
      私は、お兄様の足枷(あしかせ)になってばかり。
      私さえいなければ、皇位継承権を放棄されることもなかったでしょうに……

トリスタン:イゾルデ、お前は思い違いをしています。
      私は、ブリタンゲインの皇位などに興味はありません。
      権謀術数(けんぼうじゅっすう)渦巻く帝城(ていじょう)の空気には、馴染めない。
      祖父と母の遺したワラキア公国を守って、静かに暮らしていくのが私の本願です。

      そしてお前は、この世に唯一残った肉親、かけがえのない妹です。
      足枷などではありません。自分を(おとし)めるのはやめなさい。

イゾルデ:お兄様……

      あっ――……

トリスタン:イゾルデっ、どうしました!?

イゾルデ:ごめんなさい。貧血ではありません。
      最近、少し寝不足で……

トリスタン:眠れないのですか?

イゾルデ:……怖い夢を見るのです。

      私が恐ろしい怪物に変わって、お兄様やお母様、
      パーシヴァルやベディエアを襲って血を(すす)ってしまう……

      ああ……私……

トリスタン:安心しなさい。ただの夢です。
       私はここにいます。お前はどこも変わっていません。

イゾルデ:はい、お兄様……

トリスタン:疲れが出てしまったのでしょう。
       少し休みなさい。歩けますか?

イゾルデ:私……

トリスタン:構いませんよ。
       お前は軽いですから、抱きかかえるのに苦労は要りません。

イゾルデ:きゃっ。

      えへへっ……お兄様。

トリスタン:どうかしましたか?

イゾルデ:お兄様が私のお兄様で、とても幸せです。
      私は、お兄様の妹に生まれたことを、光栄に思います。


□3/昼下がり、帝都西区ケイ財務長官邸宅


ケイ:兄上。
   軍事演習でお疲れのところを、すみませんな。

ガウェイン:何の。
       訓練後の酒盛りがフイになっただけだ。

ケイ:一服いかがいかがですか。
    東南植民地(とうなんしょくみんち)の輸入商から進呈(しんてい)された試供品でしてな。
    魔導装機(まどうそうき)を動かした後には、よく効きましょう。

ガウェイン:葉巻か。お前の煙草(タバコ)好きも相当なものだな。

ケイ:失礼。禁煙中でしたか。

ガウェイン:いや、もらおう。

       フゥゥ――……
       久々の葉巻は美味い。
       魔力を行使した直後には、格別だな。

ケイ:結婚とは、不自由なものですな。

ガウェイン:結婚はいいぞ。

       十四、五の頃、隠れて吸った煙草の味を、四十前になっても楽しめる。

ケイ:生憎(あいにく)と私は、煙草はいつ吸っても美味いので。

ガウェイン:静かだな。

ケイ:使用人を解雇した屋敷の内情です。

ガウェイン:不便であろう。

ケイ:慣れますよ。
   それに財産や機密を(あさ)るスパイがまぎれ込まなくていい。

ガウェイン:一年前、お前の屋敷で密談を盗み聞きしたメイドか。

ケイ:そう、昨年は災難でした。
   天候に恵まれ、豊作が予想されていたところに、イナゴの大発生。
   小麦を始めとして、あらゆる作物が高騰した。

   ブリタンゲイン食糧危機。

ガウェイン:地方の農場は壊滅。大飢饉(だいききん)の危機すら疑われた。
       (おり)しも経費削減のために国庫の備蓄(びちく)を引き下げた翌年だった。

       小麦は暴騰(ぼうとう)し、貧しい国民からは「パンを食えなくなった」と怨嗟(えんさ)の声が上がった。

ケイ:市場価格の高騰は、悪いことばかりではありません。
   現物は、高く売れるところで集まってくる。
   需要が供給を呼ぶのですよ。

ガウェイン:(おおやけ)にこそしていなかったが、ベルリッヒ連邦やパリス共和国も噛んでいた。
      小麦の在庫を持つ奴らは、明らかにブリタンゲインへの輸出を制限していた。
      帝国の強欲商人どもとつるみ、小麦を高く売りつけるためだ。

      何故、商業組合(しょうぎょうギルド)に、価格統制をさせなかったのだ。
      強欲商人どもに「これ以上の価格高騰は許さん」と強固な姿勢を示してやればよかったのだ。

ケイ:価格統制をしたとしましょう。
   農民や商人は、わざわざそんな安い価格で、国に引き渡しますか。
   無論、ベルリッヒ連邦やパリス共和国とて同じです。

   彼らは備蓄を隠し、代わりにヤミ市場で流すでしょう。
   国内に、表の市場とヤミの市場、二つの市場が出来てしまう。
   ヤミ市場の勃興(ぼっこう)は、地下(アンダーグラウンド)に、犯罪組織や他国の商人に金が流れると言うことです。

   価格統制は非合理なのですよ。

ガウェイン:ヤミ市場など、取り締まればよかろう。
       お前の市場放任が、買い占めや投機目的の輩を増やし、小麦の更なる高騰を招いたと騒がれたぞ。

ケイ:ふう……

   ともかく小麦価格は、留まるところを知らずに高値を更新していった。
   しかし同時に、高騰した市場価格を目当てに、大陸中から小麦が集まってきた。

   あとは高止まりした価格を、積み上がった小麦をどう売り崩すかでした。

ガウェイン:国庫の食糧備蓄が尽きると噂され、小麦が市場最高値をつけた翌日。
       帝国は、小麦五十万トンを商業組合(しょうぎょうギルド)に払い下げると発表した。
       暴騰した小麦相場に冷水を浴びせる形となり、価格は落ち着きを取り戻す。
      
       そのさらに一週間後、植民地からの穀物輸入船が到着。
       ブリタンゲイン食糧危機の不安は払拭され、小麦の価格は平年並みに下落した。

ケイ:フフフ。
   あの払い下げは、空手形(からてがた)だったのですよ。
   倉庫には、五十万トンもの小麦などなかった。
   輸入船のコンテナも、少量の米とジャガイモが入っているだけだった。

   貴族の資金援助を頼りに買い占めをした投機家は、暴落で小麦を投げ売りしていった。
   そこを帝国は秘密裏に市場で買い集め、約束通り商業組合(しょうぎょうギルド)に引き渡す。
   まあ自転車操業ですな。

   帝国と商業組合(しょうぎょうギルド)の、一世一代の詐欺でした。

ガウェイン:それを屋敷のメイドに聞かれてしまったのだな。

ケイ:ええ。
   我々王族の話は、決して盗み聞きはしてはならんと言い含めてあったのですが、
   食糧危機ということもあり、好奇心が勝ってしまったのでしょうな。

ガウェイン:そのメイドはどうした?

ケイ:元気に帝都で暮らしていますよ。

ガウェイン:市中に野放しにしたのか。
      国家の機密を知った一般人を。

羅刹女:――ご安心なされよ。
     ポーラ=モートンには、我ら百鬼衆(ひゃっきしゅう)が監視に付いている。
     万に一つも機密が漏れることは無い。

ガウェイン:何者だ、貴様。

ケイ:兄上、そう殺気立たずに。
    彼女は、先ほどからおりましたぞ。
    兄上が応接間に入った、その時から。

ガウェイン:馬鹿な……!
       こんな異様な風体の女など、気付かんはずがない。

ケイ:ところが事実、兄上は気付かなかった。

羅刹女:人には六の感覚がある。
     我ら『影渡(かげわた)り』は視覚以外の六感全てを絶つ。
     即ち気配を殺す。
     ()すれば視覚を残していようと、姿、見逃すこと多き(なり)

ケイ:兄上が彼女に気付くかどうか、密かに賭けていましたが。
    いやいや残念。
    『大英帝国の要塞』の名も高い、帝国最強の騎士も、つい見落としてしまいましたか。

ガウェイン:ケイ、此奴(こやつ)は何者だ。

羅刹女:情報戦略局『百鬼衆』が首領(しゅりょう)
     羅刹女。お見知りおきを。

ガウェイン:……どういう風の吹き回しだ。
      あれほど隠し通していた子飼いの間諜(かんちょう)を、俺の前に晒すとは。

ケイ:実は、兄上に内密の話がありまして。
   羅刹女を見せたのは、私の手札を開示したようなもの。
   兄上への誠意の証であると、思っていただきたい。

ガウェイン:……また(たくら)み事か。

ケイ:聞かずに帰りますか?

ガウェイン:……聞かせろ。


□4/夕暮れ、ルティエンス公爵邸庭園


トリスタン:夕焼けの太陽……
      まるで血のように赤い……

      空を、草原を、人を……血の色に染めていく。

イゾルデ:お兄様――! お兄様……!
     どこにいらっしゃるのですか……!

トリスタン:イゾルデ?

イゾルデ:お兄様……!
     ああ、よかった……
     お兄様がどこかへいってしまわれたのかと思って。

     っう……!

トリスタン:イゾルデ、駄目ではないですか。
      日傘も差さずに外に出るなど。

      お前の白い肌が、日に焼けてしまっている。

イゾルデ:昔、まだ幼かった頃。
      お祖父様とお母様と、一緒に帝都に出掛けましたよね。
      あの頃は、私も太陽の下を歩けていました。
      今は、夕日の光も浴びられない……

トリスタン:今は症状が一時的に悪くなっているだけです。
       すぐに良くなります。
       現に兄である私が太陽の下を歩けるのですから。

イゾルデ:夜になれば一時的に元気になっても、
      朝になったときの症状や貧血は、前よりも酷くなっている。
      まるで、亡くなる前のお母様と同じ……

      お兄様――
      私はもう長くないのでしょう……?

トリスタン:イゾルデ……

イゾルデ:もしも私が死んだら、私の髪を遺していただけませんか。
      一八年間伸ばしたこの銀の髪だけが、私の唯一誇れるものなのです。

トリスタン:何を馬鹿なことを……

       お前は夕日に焼かれて、気弱になっているのです。
       夜空の月と星々を見れば、気持ちも明るくなります。
       屋敷に戻っていなさい。

イゾルデ:はい……

トリスタン:…………

      イゾルデ……

レ・デュウヌ:へえ、冷酷非情な石棺(ひつぎ)の歌い手も、実の妹のことでは心が痛むんだね。
        とてもザーンの街で異母弟(おとうと)を殺そうとした人物とは思えないよ。

トリスタン:貴様は――

レ・デュウヌ:やあ、クドラク。
       しばらくぶりだね。元気にしてた?

トリスタン:……蟲。

レ・デュウヌ:酷いなあ。
       僕はレ・デュウヌ。蠱蟲(こちゅう)(さなぎ)レ・デュウヌ。
       僕のことは、通称か名前で呼んで欲しいんだけど?

トリスタン:何の用だ、蟲。

レ・デュウヌ:ふうん。
       逆十字(リバースクロス)同士、仲良く出来ないの?
       ま、別にいいけどね。

トリスタン:用があるならさっさと話せ。
      貴様の顔、振る舞い、物言い。
      全てが気色悪い。

レ・デュウヌ:へえ、言ってくれるね。
       憎まれ口を叩くのが君の挨拶?

       おいで、イヴィルマイト。
       たっぷり血を吸いな。

(レ・デュウヌの手の平が泡立ち、無数の大型ダニが発生)

トリスタン:…………

レ・デュウヌ:身体を霧に――?

        あーあ、全部死んじゃった。

トリスタン:ダニを移すな、蟲が。
       貴様のペットは、その醜悪な身体に飼っておけ。

レ・デュウヌ:蝙蝠(こうもり)に、ダニ。
        血を吸う同士、お似合いだと思ったけどな。
        残念、残念。

トリスタン:ふざけた真似をしていると――殺すぞ。

レ・デュウヌ:あははは、冗談言うなよ。
        殺してやりたいのは、僕の方なんだからさぁ。

トリスタン:――っ!?

レ・デュウヌ:マンティスサイズ。
        霧に化す前、実体を保っているときに喉を切り裂いたら、吸血鬼も死ぬのかな?
       
トリスタン:……くっ。

レ・デュウヌ:なーんてね。冗談だよ、冗談。
       君の悪口への、ちょっとしたお返しさ。

トリスタン:…………
      用を話せ。俺と戯れに来たわけではないだろう。

レ・デュウヌ:ははっ、そんなに僕が嫌い?
        別に嫌いなのはいいけど、露骨に表すなよ。
        むかつくから。
       
        ザーンの街、アンドレアルゲート。
        黒翅蝶(こくしちょう)が封印を解いて、ゲートを解放。
        復活した使徒アンドレアルを帝国軍にぶつけて、帝国を消耗させる。

        帝国軍が勝つにせよ、アンドレアルが勝つにせよ、
        アンドレアルを生かしておけば、再びゲートを封印されてしまう。
        石棺(ひつぎ)の歌い手の役目は、戦争の混乱に乗じてアンドレアルを殺すこと。

        それが君の仕事だったよね、クドラク?

トリスタン:…………

レ・デュウヌ:あーあ、残念だよ。

       『ハ・デスの生き霊』の悲願であるゲートの解放はもちろん、
       帝国と獣人族に戦争の火種を撒いて、国内に内乱を起こせたかもしれなかったのに。

トリスタン:貴様は俺に嫌味を言うためにわざわざやってきたのか?

レ・デュウヌ:まさかまさか。
       妹思いの君のために骨を折ってあげようと思ってね。

       僕と同じように、君も完全な魔因子(まいんし)を持っている。
       魔晶核(ましょうかく)魔心臓(ましんぞう)、片方しか持たない出来損ないや、それすらもないただの人間どもとは違う。
       僕たちは、いわば遠い同族。助け合うのは当然だろう?

トリスタン:…………

レ・デュウヌ:イゾルデの吸血鬼化は、予想以上の早さだ。
        あの様子だと、相当ゲートの力に(むしば)まれてる。
        このままだと近いうちに彼女は死ぬよ。

トリスタン:…………

レ・デュウヌ:覚悟を決めなよ、クドラク。
        いい人でいようと中途半端な態度でいると、本当に大切な人を失っちゃうよ?

トリスタン:私は……

レ・デュウヌ:大丈夫さ、心配は要らないよ。
        僕が力を貸してあげる。
        いにしえの魔法王国時代を生きた、古代人がね――


□5/夜、帝都西区ケイ財務長官邸宅


ケイ:煙管(パイプ)に火を入れてくれるかね。

羅刹女:断る。

ケイ:君は賭けに負けただろう。

   火を入れたまえ。

羅刹女:…………

    我ら百鬼衆は、御身(おんみ)の召使いにあらず。
    ゆめゆめ履き違え無きよう。

ケイ:フゥ――……

   葉巻も悪くないが、この煙管(パイプ)で吸う煙草が一番美味い。
   見たまえ。煙管(パイプ)がいい色に染まってきた。丁寧に使い込んだ証だよ。

羅刹女:…………
     何故(なにゆえ)御身は、ガウェインが私の気配を見破れぬと?

ケイ:簡単なことだよ。
   兄上には、知らぬものは見えんのだ。

   だから、私が幾度となく説明した市場原理を未だに理解出来ん。

羅刹女:私にも理解し(がた)く。教授を(たまわ)りたい。

ケイ:考えてみたまえ。
   君は仕入れた商品が値上がりしたら、公権力に安い値段で買い叩かれる国で商売をしたいと思うかね。

羅刹女:成る程……
     召し上げは、商活動の衰退に繋がると。

   『価格とは、国境を越えた売り買いの末、適正だと落ち着いたもの。
    いわば大陸全土の市場参加者の合意と言ってもいい。
    そこに帝国一個が「不当だ」と異を唱えても、誰が納得する』

    ――か。

ケイ:ほう、よく覚えていたな。

   もう一つ、私が市場取引を重要視している理由がある。
   君にはわかるかね?

羅刹女:……(しば)し考える時間を頂きたく。


    帝国がベルリッヒ連邦やパリス共和国に、食糧輸出を要請する。
    其れは、国家間の交渉事。何らかの権益を要求されるのは必定(ひつじょう)
    仮に善意の協力を得られたとしても、其れは貸しを作ることになり、今後の譲歩を迫られる弱味を残す。

    ……よろしいか?

ケイ:Excellent(エクセレント)。素晴らしい。

   厄介なのは、帝国が現在どれほどの窮状(きゅうじょう)にあるかを、他国に明かさねばならんことだ。
   私はこれを最も危惧(きぐ)していた。
   万一の事態だが、帝国が弱っていると見て、戦争を仕掛けてこないとも限らん。

   その点、市場に任せておけば、帝国の商人と外国の商人、商人同士のやり取りだ。
   トラブルがあろうと、商人同士の揉め事。国際問題には発展しない。
   帝国は、国内の逼迫(ひっぱく)状況を他国にバラさねばならん必要もない。

   市場とは、国家間の緩衝材(かんしょうざい)でもあるのだよ。

羅刹女:しかし……
    それは価格高騰や国家防衛を含めたあらゆる負担を、国民に直接(かぶ)せるということ。
    貧しい者ほど、食費の高騰による負担を強く受けよう。

    国家による負担の引き受けと分散の主張があっても然るべきかと。

ケイ:フフフ、議論上手になってきたな。

羅刹女:お褒めに(あずか)恐悦至極(きょうえつしごく)
     其れで、御身はどうお考えになられる。

ケイ:詳しい背景を知った上での発言ならば、それも一つの考えだ。
   私とは考えが違うが、その意見は尊重しよう。

羅刹女:有り難き幸せ。
     言葉の手合わせは、御身の敗走でよろしいか。

ケイ:では君に聞こう。
   国家による負担の引き受けと分散。
   それで、具体的にどのような政策を採る?

羅刹女:それは……

ケイ:どうしたのかね。
   言葉のちゃんばらごっこは出来ても、政策討論は出来んのか。

羅刹女:…………

ケイ:一つは、兄上の言った価格を統制するもの。
   一定以上の価格変動を、国家の権限で強制ストップさせる、市場統制型。
   国家も市場取引に参加し、小麦を売って価格を下落させる市場介入型。

   あるいは、国民が食品購入に要した費用を補助する税制もある。
   王制を廃したパリス共和国では、国民一人一人が国に納税をするという。
   パリスなら、国が国民を直接補助する政策も採れるだろう。
   貴族や聖職者など、特権階級が領民を支配するブリタンゲイン、封建制度の帝国では難しいがね。

羅刹女:…………

ケイ:まだまだ具体的な知識が足りんな。

   それぞれの政策のメリット、デメリットは宿題だ。
   君自身で調べたまえ。

羅刹女:……御意。

ケイ:私は負けず嫌いなのだよ。
   挑発するなら、徹底的に反論させてもらう。

   ――とはいえ、君は大したものだ。
  『円卓の騎士』の大多数はそこまで理解が及んでおらん。
   凶作で高騰したものに対し、「強欲商人や外国の陰謀」と大真面目に(いきどお)る馬鹿者や、
   可哀相だから貧乏人に金をばら撒け、財源は知らんという偽善者の集まりだ。
   多少なりとも話が通じたのは、ランスロットぐらいだったか。
  
羅刹女:…………

     ガウェインは御身の提案に賛同するであろうか。

ケイ:賛同するだろう。
   兄上は軍事以外の道理に暗いが、自分が愚かであることを自覚している程度には賢明だ。

羅刹女:血を分けた肉親すら見下げるか。
     御身の鼻は、何処まで高い。
     ブリタンゲイン人が我らを黄色い猿と(あざけ)るのも、むべなるかな。

     ブリタンゲインは、まさに天狗の国よ。

ケイ:私はブリタンゲイン人の兄上よりも、倭島人の君を高く評価しているよ。
   私は賢い者が好きで、馬鹿者や夢想家は嫌いだ。肌の色の違いにこだわりはない。

   ところで鼻が高いとは、私がハンサムと言いたいのかね?
   フフフ。

羅刹女:…………

ケイ:フゥ――……煙草が切れたな。
   この煙管(パイプ)はしばらく休ませるとしよう。
   替えの煙管(パイプ)を持ってきてくれんかね。

羅刹女:御身はどれだけ煙草を吸えば気が済む。
     目鼻が痛いほどの煙だ。肺を害す。

ケイ:次の賭けで私に勝つことだね。
   頑張って私から煙草を取り上げてみたまえ。

羅刹女:…………

ケイ:そうそう。
   これから君たちには、大いに働いてもらわねばならん。
   ポーラ=モートンの監視につけていた『影渡り』を戻したまえ。

羅刹女:河童。

影渡りA:はっ、此処に。

羅刹女:文車(ふぐるま)に伝えよ。
    只今よりポーラ=モートンの監視の任より解かん。

    その際――ポーラの始末を忘れる事なかれ。

影渡りA:御意――
     然らば御免。

ケイ:歴史の盤面は動き出す。
   向こうが一手を打ってきたなら、こちらも駒を進めよう。
   聖騎士を前進させ、間諜を飛ばす。

   さて、どう動くかね、古代人ども――


□6/明け方、朝日の差し込む寝室


トリスタン:朝日……もう朝か。
       ようやくイゾルデも眠りに就いた。

イゾルデ:スゥ――……

トリスタン:いつからだったか。
      私にとって、太陽が忌まわしい存在になったのは……

イゾルデ:いかないで、ください……
      私は……また一人になってしまいます……

トリスタン:すまない。
       お前には寂しい思いをさせているな。

       だが、今度こそは――

イゾルデ:お兄様……()かれるのですか。

トリスタン:イゾルデ?
       起こしてしまいましたか。

イゾルデ:またお仕事ですか?

トリスタン:はい。

イゾルデ:お兄様、私……

トリスタン:今度の仕事を終えたら、まとまった休みを取ります。
       そのときは、隣国のパリスに行きましょう。

イゾルデ:パリスに……?

トリスタン:そうです。
       お前の欲しがっていた精油や、絵画展を巡りましょうか。
       太陽ではなく、月の下を歩いて。
       お前と私なら、他の者に気兼ねをしなくていい。

イゾルデ:ぐすっ……
      お兄様、お兄様ぁ……

トリスタン:どうしたのです、イゾルデ?

イゾルデ:ごめんなさい、お兄様。
      私は悲しいのでしょうか、嬉しいのでしょうか。
      どうしてか、涙が溢れてくるのです。

トリスタン:淑女(しゅくじょ)が泣くものではありません。
       いつまで経っても、お前は変わりませんね。

トリスタン:(イゾルデ……お前を死なせはせぬ)
       (もしも正義がお前を殺すなら……私は悪に堕ちて正義を討つ)


□7/明け方、鬱蒼と茂る樹上にて


レ・デュウヌ:彼……おっと、今は彼女だったか。
        君に合わせて大人しくしてるのも、そろそろ限界だ。

        君は昔から気が長かったから、平気なんだろうけど、
        この計画の遅さには、イライラしてくるよ。

レ・デュウヌ:人間どもや使徒への復讐。
        そんなものは、勝手にやっていてくれ。
        君が執着するオルドネア――ロンギヌスの槍も、僕にはどうでもいい。
        僕は、君と違って『ハ・デス』に忠誠を誓っているわけではないんだ。

レ・デュウヌ:肉親の情に惑う蝙蝠は、蜘蛛の巣に掛かった。

        出し惜しみし過ぎなんだよ。
        僕たち以外は、クドラクもディラザウロも、ただの捨て駒に過ぎない。

        今回は、僕の好きなようにやらせてもらう。
        黒翅蝶――いや、十三使徒ジュダ。



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