第6話 吸血鬼の悲恋歌
★配役:♂2♀2=計4人
▼登場人物
リヴリン=タイガーズアイ♀:
狩猟生活を営むエルフの一族、タイガーズアイ族の女。
ルィンヘンとは恋人同士。
エルフは、現代では珍しい完全な魔因子を持つ種族。
魔力を生成する〈魔心臓〉のみならず、額に魔法を使うための〈魔晶核〉を有する。
ルィンヘン=タイガーズアイ♂:
狩猟生活を営むエルフの一族、タイガーズアイ族の族長の子。
エルフと人間の友好関係を築こうと模索しており、リヴリンとは気持ちのすれ違いが生じている。
各種狩猟技能の他に、光の矢を放つ【
性別不明・年齢不詳の死霊傀儡師。
『ハ・デスの生き霊』の地位は、
色素の抜けた白髪と、赤い虹彩のアルビノ。
魔導具:???
魔導系統:【-
『ハ・デスの生き霊』の幹部、
吸血鬼(ヴァンパイア)。現代では珍しい、完全な魔因子を持つ種族。
吸血鬼の魔心臓は、宮廷魔導師に匹敵する魔力を産み出し、古代人に並ぶほど。
闇夜に流れる銀髪の美しさとは真逆に、醜貌を象った仮面兜で顔の上半分を隠す。
仮面兜の額には、冷酷さを象徴するような、氷河色の魔晶核が備わっている。
血を吸った人間を、
魔導具:???
魔導系統:【-
※注意
・ルビの振ってある漢字は、ルビを読んでください。
・特定のルビのない漢字は、そのまま読んでください。
□0/聖マタイダム、洪水吐から轟々と流れ落ちる大瀑布
(溜め池に浮かんだ満月が、人工の滝に打ち砕かれ、月明かりを黄色く散らす)
(山奥深くのダムの夜景を、石積みの扶壁上岸に立った仮面の人影が見下ろしていた)
クドラク:聖マタイ。
オルドネアの十三使徒の一人。
奴が生涯を掛けて築いたゲートも、今は水の底か。
(漆黒の長外套が翻り、満月の夜空を逆さに舞う人影)
(逆さ宙返りでダムの頂上に着地した吸血鬼は、石碑の前に歩み寄る)
クドラク:マタイの築いた霊碑は、現世と冥界を繋ぐ、次元の歪みを鎮めるもの。
歪みの特異点に奉らねば、ただの石版に過ぎぬ。
人間とは、つくづく愚かなものだ。
(山頂に満ちた人造湖は、仄暗い闇を湛え、沈黙の眠りに沈んでいた)
(石碑の陰から、死の匂いを漂わせ、影法師が立ち上がる)
黒翅蝶:くっくっく……
忌まわしき封印は壊され、水底に冥府の口が渦を巻く……
路傍に追いやられた石くれこそ、使徒マタイ……
その哀れなる末路は、愉悦と愛おしさを掻き起こす……
クドラク:使い魔――……
黒翅蝶:
この身は、伝令の鳩となって羽ばたいた……
汝、過去からの復讐に染められた、下命の羽根を拾うべし……
クドラク:以前にも言ったはずだが?
貴様の回りくどい言い回しは不快だと。
黒翅蝶:不快と……?
くくく……はははは……
クドラク:何が可笑しい。
黒翅蝶:ならば、黒翅蝶を汝の気の召すままに染めてみせよ……
幸いこの身は女……汝の眷属に堕とすことも適おう……
さあ、首筋はここぞ……
クドラク:安い挑発だ。
黒翅蝶:ぐっ――
(首の断面から血飛沫を噴き上げて、首無しの死霊傀儡師が倒れ臥す)
クドラク:墓荒らしの汚れた血など、地面に吸わせるのが相応しい。
黒翅蝶:くくく……
クドラク:――さすがに首を刎ねた程度では死なぬか。
黒翅蝶:汝が望むならば、好きなようにこの身を散らすがよい……
けれども翅を毟られた蝶は、無慈悲な子供に問い掛けたい……
地面に咲いた我が血の花は、汝の目を楽しませたか……
クドラク:生首がよく喋る。
――用件を話せ。
黒翅蝶:トゥルードの森にシャダイのゲート在り……
エルフの使徒の血を引く、
偽りの石をより分け、真実の石を探すべし……
クドラク:フン。
使い魔、貴様はどの石を調べる。
黒翅蝶:黒き翅の蝶は、黒く輝く石に魅せられる……
既に手中に、一つの石の欠片を収めたり……
クドラク:ならば、俺は虎目石を洗うとしよう。
黒翅蝶:
汝の艶めく黒は、夜空の闇に溶け込むか……
クドラク:貴様の死臭には、反吐が出る。
俺と語らう
(ダムの頂上から、吸血鬼の痩躯が舞い、流れ落ちる滝に並んで落下)
(滝壺に沈むかと思われる途中、漆黒の長外套が張られ、空気を掴んで浮遊滑空)
(瀑布の撒き散らす水飛沫に濡れながら、大蝙蝠に化けた吸血鬼が、夜の山岳を飛んでいく)
黒翅蝶:くくく……
汝の唇から紡がれるは、愛に堕ちた女の哀歌……
凌辱の牙で、犯し、壊し、破滅を奏でよ……
悲劇の開幕に、黒翅蝶は
□1/丘の祭壇、石造りの壇上に眠る銀色狼の亡骸
ルィンヘン:銀狼ブランカ――
安らかに眠りたまえ。
リヴリン:……ルィンヘン。
ルィンヘン:――リヴリン、言わないでくれよ。
リヴリン:どうしてブランカを狩ったの!?
狼はあたしたちと同じ、森の狩人!
古くからの友達じゃない!
ルィンヘン:でも、人間にとっては害獣だ。
リヴリン:害、獣……!?
ルィンヘン:聞いてよ、リヴリン。
人間は驚くほどの勢いで人口を増している。
トゥルードの森に、本格的な開発の手が入る日も、そう遠くないだろう。
リヴリン:……だからルィンヘンは、人間との友好を?
ルィンヘン:そうだよ。
ムーンストーン族は人間に無関心だし、オブシディアン族に至っては人間と敵対してしまっている。
僕たちタイガーズアイ族だけは、人間と共存共栄していかなければならない。
リヴリン:わからない!
わからないよ、ルィンヘン!
人間のために、森の仲間を裏切るっていうの!?
ルィンヘン:…………
行こう、リヴリン。
ハゲタカがブランカの魂を空に葬ってくれる。
リヴリン:……あたし、ここにいる。
ルィンヘン:じゃあ……
僕は人間の村長と
リヴリン:…………
ルィンヘン……
□2/五年前〜森の湖、水浴びをするリヴリン〜
(静かな湖面を揺らし、水中から現れ出るエルフの裸体)
リヴリン:ぷはーっ。
水が冷たくて気持ちいい。
ルィンヘン:リヴリン、鹿の肉が焼けたよ。
リヴリン:あっ、今いく!
(引き締まった裸身に水滴を垂らしながら、湖畔に上がるリヴリン)
(焚き火に薪を焼べていたルィンヘンが微笑みながら出迎える)
ルィンヘン:リヴリン。
リヴリン:ん?
ルィンヘン:改めて思うけど、君の手足は綺麗だね。
春に跳ねる子鹿のような、生き生きとした手足だ。
リヴリン:改めて、って何よ。
あたしはタイガーズアイ族の牝鹿リヴリンよ。
当然じゃない。
ルィンヘン:ははは。
タイガーズアイ族らしいよ。
……人間の女の子は、もう少し照れや恥じらいがあったんだけど。
リヴリン:ねえ、ルィンヘン。
そうやって褒めてくれたの、すごく久々な気がするんだけど?
ルィンヘン:そうかな?
わざわざ言うまでもないと思って。
リヴリン:最近ずっと聞いてなかった。
もっとちゃんと褒めてよね。
ルィンヘン:僕の子鹿ちゃんは、賛美の矢が刺さっても平気でいるからな。
どうすれば、倒れてくれるんだろう?
リヴリン:もう捕まえる気でいるの?
追い駆けっこは、まだこれからよ。
ルィンヘン:やれやれ、手強い獲物だ。
リヴリン:諦めちゃうの、ルィンヘン?
ルィンヘン:いや、僕の矢で射抜いてみせる。
リヴリン:ふふっ。
一生捕まってあげないからね、狩人さん。
□3/丘の祭壇、壇上に群がるハゲタカの群れ
リヴリン:ルィンヘン……
一生あたしを追い掛けてくれるって言ったのに。
あたし、知ってるんだから。
ルィンヘン、村長の娘と結婚するんでしょう。
タイガーズアイ族と、人間の友好のために……
嘘つき――
(ふいに、銀色狼の死体をついばむハゲタカの鳴き声が止んだ)
(空の葬り手たちは、怯えたように狼の葬礼を取り止めて逃げ去っていく)
リヴリン:何が起こったの……
ぐっ……!?
(リヴリンの周辺を、黒い薄靄が取り巻いていた)
(這い回る怖気に冷たい悪寒。全身を握り潰されるような圧迫感)
クドラク:
リヴリン:霧が人の形に……!?
ルィンヘン、助け……
クドラク:黙れ。
(実体化した手が、リヴリンの口を塞ぐ)
リヴリン:むぐぅ……!
むぐぅぅぅ……!
クドラク:虎目石のエルフ。
お前を
血塗りの呪縛に囚われろ。
――さあ、血を流せ。
リヴリン:ひあっ、嫌……
きゃあああああああっ――!
(恐怖と断末魔の痙攣を残し、吸血鬼の胸で事切れるリヴリン)
(蒼白になったエルフを抱き留める吸血鬼は、低く囁く)
クドラク:――いつまで寝ているつもりだ。
リヴリン:う――あ……
クドラク:起きろ、
リヴリン:……はい。
クドラク:救世主オルドネアの使徒シャダイ――
タイガーズアイ族に伝わる、使徒シャダイの伝承を述べろ。
リヴリン:はい……
我らの祖先シャダイは、優れた狩人でした……
飢えたオルドネアに乾肉と山羊の乳を施し、弟子になったと伝えられています……
クドラク:フン。
使徒シャダイは、ムーンストーン族では
いずれの部族も、己の部族からシャダイが出たと主張している。
続きを話せ。
リヴリン:はい……
狩人シャダイは
そして、今までに狩った獲物の魂を慰めるために、丘の上に祭壇を築いたのです……
クドラク:――この祭壇がシャダイゲートか。
シャダイゲートの封印を解く術は?
リヴリン:申し訳ありません……
あたしにはわかりません……
クドラク:そう上手く事は運ばぬか。
シャダイの封印を暴き立てろ。
リヴリン:はい……
(吸血鬼の実体が崩れ、黒い薄靄と化していく)
(夕暮れの明かりに照らされ、正気に返るリヴリン)
リヴリン:あれ……あたし、何してたんだっけ……
嘘っ!? もう夕日が出てる……
……っ、目眩がする。
早く帰って休もう……
□4/角灯の燃える、石造りの廊下
黒翅蝶:月は七つ齢を取り、朝日は七度傲慢に昇る……
七つの日は過去に流れ去った……
クドラク:――何の用だ、使い魔。
黒翅蝶:残酷なる蜘蛛の巣に足掻く虫は如何に……?
クドラク:十人。
全員に
伝承を解き明かす手掛かりが掴めれば、俺に思念波が届く。
(醜貌仮面の奥の目が動き、死霊傀儡師の傍らにいるエルフに目を向ける)
クドラク:浅黒い肌のエルフ……
オブシディアン族か。
黒翅蝶:そう……
黒曜石を名乗るエルフの子……
人間とエルフの混血児……
クドラク:…………
黒翅蝶:人間からはダークエルフと迫害され、
オブシディアン族からは下等な血の混じり子と蔑まれる……
哀れな子……
この身は、汝の痛みと孤独を知り、汝に寄り添う蝶……
汝の心が流す血で、蝶の触角を濡らし、涙を教えよ……
クドラク:フン――虫酸が走る戯れ言だ。
黒翅蝶:何処へ往く……?
クドラク:虎目石のパズルが解けた。
このくだらん茶番を終わらせる。
(石壁に背を預けていた吸血鬼は、背外套を翻し去っていく)
黒翅蝶:黒き蝶も飛び立つ時……
黒曜石の欠片を、封印の鍵穴に差し込もう……
混血の子……汝と共に復讐の扉を開かん……
□5/トゥルードの森、薄暗い深奥部
ルィンヘン:リヴリン!
リヴリン:……ルィンヘン?
……何?
ルィンヘン:どうしたんだよ。
もう何週間も、森の奥に篭りっぱなしで。
リヴリン:明るいところに行くと、気分が悪くなるのよ……
暗い場所のが落ち着くの。
ルィンヘン:…………
顔色が真っ青だ。
ムーンストーン族の薬師に診てもらった方がいい。
リヴリン:貴方には関係ないじゃない。
――帰ってよ。
ルィンヘン:…………
君が心配なんだよ。
リヴリン:ふ〜ん?
人間の女と結ばれる族長の息子が、どうしてあたしなんかを?
ルィンヘン:知っていたのか……
リヴリン:知らないとでも思ってた?
ウサギみたいに大人しい娘なんだってね。
よかったわね、狩人さん。
ルィンヘン:待ってくれ、リヴリン!
リヴリン:放してよ――!
ルィンヘン:婚礼の話は断った。
リヴリン:――――!?
ルィンヘン:この前の懇談会のときに、断ってきたんだ。
友好のために、互いの想いを犠牲にすることは無意味だと。
僕には、愛するエルフの恋人がいると――!
(リヴリンの手を引き寄せ、抱き締めるルィンヘン)
ルィンヘン:リヴリン、君を射止めたい。
野を跳ねる牝鹿には、狩人の妻は嫌かい。
リヴリン:ルィンヘン……
……バカ。
ルィンヘン:えっ?
リヴリン:何であたしに言わせようとするの?
力尽くでモノにしてよ。狩人でしょ。
ルィンヘン:え……
それってつまり――
リヴリン:自分で考えて、バカ。
リヴリン:(ああ、とっても幸せ)
(もっとこの温もりを感じたい)
(ルィンヘンの温もりを飲み干して、一つになれたら)
(この邪魔な皮膚さえなければ、身も心も一つに溶け合えるのに……)
(朱くて、甘い、イノチノミズ……)
リヴリン:いやっ!
ルィンヘン:リヴ、リン――?
リヴリン:ルィンヘン……
あたし、何を……
ごめんなさい!
(自分自身に怯え、森の奥へ走り去っていくリヴリン)
ルィンヘン:リヴリン……
リヴリン――!
□6/森を走るリヴリン
リヴリン:(あたし、何を考えてたの――!?)
(ルィンヘンの首筋から噴き出す血……)
(そんなの吸血鬼みたいじゃない……!)
リヴリン:吸血鬼……?
(そう呟いた後、おそるおそる自分の首筋に触れるリヴリン)
(震える指先に触れたのは、小さな二つの傷痕だった)
リヴリン:嘘……? 牙の痕……?
あたし、何で……
でも、ううっ、頭が痛い……
(夕暮れ時の丘の祭壇の記憶がフラッシュバック)
リヴリン:思い出した……!
あたし、吸血鬼に襲われて、血を吸われて……
(樹上から落ち葉を散らし、漆黒の人影が降りてくる)
クドラク:記憶の封印が解けたか。
血の呪縛が甘かったと見える。
リヴリン:その仮面……漆黒のマント……
クドラク:来い、
切れた
(醜貌仮面の額から突き出た魔晶核が発動)
(魔晶核の漆黒の明滅に合わせ、リヴリンの瞳孔が収縮と拡散を繰り返す)
リヴリン:身体が……勝手に……!
クドラク:
血染めの
お前の心を、俺色に朱く穢す。
リヴリン:いや……
ルィンヘン……!
ああっ。
ああああっ……!
クドラク:……
リヴリン:はい……
ルィンヘンの声:リヴリン!
どこにいるんだ!
待ってくれ!
クドラク:説明は要らぬな。
走れ――
リヴリン:はい、ご主人様――
(森の奥を目指し、リヴリンは走り去っていく)
クドラク:今宵の悲劇の主演はお前だ。
歌え。
せめて美しく――
□7/宵闇の落ちた丘の祭壇
ルィンヘン:はあ……はあ……はあ……
リヴリン!
リヴリン:あら、ルィンヘン。
ルィンヘン:リヴリン……
どうしたんだ、急に走り出して……
リヴリン:ねえ、ルィンヘン。
丘の祭壇には伝承があるでしょう。
使徒シャダイが、森の奥に祭壇を築いた理由が。
ルィンヘン:ああ……
狩人だったシャダイが獲物を供養するための祭壇……
何故そんなことを唐突に?
リヴリン:違うわ。
それは表向きの言い伝えでしょ。
本当の理由は違うんじゃない?
冥府に繋がる、次元の歪みを鎮めるためとか――
ルィンヘン:――!?
どうして君がその話を!?
リヴリン:どうだっていいじゃない。
ねえ、真実の伝承は、タイガーズアイ族の族長――
貴方の家系に、代々伝わってるんでしょう。
あたしにも、それを教えて。
ルィンヘン:それは……ダメだ。
リヴリン:どうしてよ。
貴方はタイガーズアイ族の次の族長。
そして、あたしは族長の妻になるのよ。
ルィンヘン:シャダイゲートの伝承は、代々男子にしか教えられない。
他の誰にも教えてはいけない、そういう決まりになっているんだ。
僕の母も、姉もシャダイゲートについては、何も知らない。
リヴリン:そう、信用してくれないんだ。
ルィンヘン:違う。
信用するしないの話じゃなく――
リヴリン:ルィンヘンのお母様にも、お姉様にも言えなかった秘密を、あたしにだけ教えてくれる。
そしたらあたし、ルィンヘンのこと信じるわ。
ずっと、永遠に。
ルィンヘン:……リヴリン。
君は、少しおかしいよ……
リヴリン:おかしくさせたのは、貴方じゃない。
あたし、他に言い寄られてるエルフがいるの。
オロドレス=オブシディアン。
ルィンヘン:オブシディアン族のエルフ……!?
リヴリン:貴方が追い掛けてくれるのを、ずっと待ってるだけだと思ってた?
自惚れないでよ。牝鹿を狙う狩人は、他にもいるのよ。
しばらく狩りの競い合いから離れてたから、忘れちゃったの?
ルィンヘン:…………
現世と冥界を繋ぐ次元の歪み。
異次元に繋がる特異点を封じ込めるためには、大掛かりな魔導儀式を行わなければならない。
封印のための図形、冥府から吹き込む瘴気に堪える石材……
先人たちの苦労の末、次元の穴を塞ぐ儀式の祭壇は築かれた。
しかし、祭壇を稼働させ続けるには、魔心臓と魔晶核が必要だった。
つまり……生贄が必要だったんだ。
□7b/中天に月が上り、星々の輝きが灯り、夜は深まっていく
ルィンヘン:……これが僕の知っている、シャダイ伝説の真実だ。
リヴリン:そうだったの――……
ルィンヘン:これで……満足かい、リヴリン。
リヴリン:ええ、ありがとうルィンヘン。
――これでクドラク様に報告ができるわ。
ルィンヘン:ク、ドラク……?
リヴリン:ねえ、ルィンヘン。知ってた?
あたし、とっくの昔に狩られてたのよ。
(蒼醒めた月光が、リヴリンの首筋の噛み痕を照らす)
ルィンヘン:そ、それは……吸血鬼の歯形……!
リヴリン、君は……
リヴリン:あっはははははっ!
あたしは、身も心もクドラク様のもの。
数千年の伝承を貢いでくれてありがとう。
愛してたわ、マヌケな狩人さん。
(リヴリンの肩甲骨が膨れ、瘤状になった皮膚が破裂する)
(朱く濡れた蝙蝠の飛膜が生え、滴る鮮血を振るい落とす)
ルィンヘン:蝙蝠の、翼……!?
リヴリン:そう、これが
クドラク様から授かった、新しい姿よ。
(吸血鬼の犬歯を覗かせて笑うリヴリンが、飛膜の翼を打ち振るって浮かび上がる)
リヴリン:もう貴方は、用済みよ。
じゃあね、ルィンヘン。
ルィンヘン:ま、待てリヴリン!
君を逃がすわけにはいかない!
リヴリン:あっははははは!
撃ち落とせるなら、撃ち落としてみれば?
貴方みたいな鈍臭い狩人に、当てられるわけないけど。
ルィンヘン:くっ――……
リヴリン:あぁ……
シャダイゲートの封印がもうすぐ解放される。
ご褒美に、クドラク様に、たっぷり血を吸っていただくわ。
皮膚を破られて、身体中を流れる血の一滴まで、あの御方に捧げるの――
ルィンヘン:リヴリィィィン!!!
(魔晶核の光に呼応し、引き絞られた弦に、光の矢がつがえられる)
(激情に駆られる光矢が射掛けられ、嘲笑を振り撒く
リヴリン:ぐはっ――……
(黒い血塊を吐き、
(撃ち落とされた
(奇しくも墜ちた先は、銀色狼ブランカの眠る祭壇の上だった)
ルィンヘン:リヴリン……
リヴリン:ルィン、ヘン……?
ルィンヘン:リヴリン……!?
しっかりしろリヴリン!
リヴリン:ああ……
ルィンヘン……
あたし、あたしね……
貴方の矢に射止められて幸せよ……
あたしの心臓を真っ直ぐに……
ルィンヘン:エルフの魔心臓なら、大丈夫だ。
急いで医者を呼ぶ。まだ間に合う!
タイガーズアイ族から、ムーンストーン族から、オブシディアン族から、人間たちから……
リヴリン:ルィンヘン……
吸血鬼から、あたしを奪い返してくれた……
これで、貴方のモノになれる……
ルィンヘン:やめてくれ!
君はいつだって僕を翻弄する、自由な牝鹿だ!
必ず君を助けてみせる!
だから、だから……
リヴリン:ごめんね……
大好きよ……
あたしの、狩人さん……
ルィンヘン:リヴリン!
死なないでくれ!
リヴリン!
リヴリン……!
ルィンヘン:僕は……彼女を撃ってしまった……
取り返しのつかないことを……僕は……
リヴリン……リヴリンっ……
□8/真夜中の丘の祭壇
(愛するエルフの骸を抱いて、俯くルィンヘン)
(背後の森の暗闇に、漆黒が浮かび上がり、
クドラク:丘の祭壇の生贄――
封印の儀式を完遂するための生贄――
使徒シャダイは、自らが生贄になろうと決めていた。
しかし儀式の日の朝――シャダイは祭壇に生き埋めになった恋人の姿を発見する。
シャダイの恋人フィンドゥリルは、シャダイの身代わりとなり、進んで生贄になっていた。
恋人フィンドゥリルの遺言を聞き、シャダイは涙する。
祭壇の上にシャダイの涙が落ちた時、封印魔法が発動した。
ルィンヘン:――……!?
誰だ――!?
クドラク:タイガーズアイ族に伝わる、シャダイゲートの伝説。
使徒シャダイの血を引く直系の子孫が、祭壇に哀しみの涙を落とす。
これがシャダイゲートの解放儀式……そうだな?
ルィンヘン:お前は――……
お前がリヴリンを吸血鬼に変えた黒幕か!
クドラク:
『ハ・デスの生き霊』が幹部、
ルィンヘン:『ハ・デスの生き霊』だと……?
人間たちのあいだで騒ぎになっている、死体盗掘事件の首謀者……
貴様……何が目的でシャダイゲートを狙う!?
クドラク:さてな。
使い魔の思惑など、俺の知ったことではない。
次代の族長、貴様は底抜けの愚か者だな。
ルィンヘン:何だと――!?
クドラク:数千年もの間、秘されてきたシャダイの伝説を容易く喋り、
女の亡骸を抱いて祭壇で涙を流す――即ち、封印解放の儀式を行った。
女一人に動揺し、白痴に成り下がる貴様に、エルフ一族の長は勤まらぬ。
ルィンヘン:……貴様に言われるまでもない。
僕の
クドラク:フッ――
過ちの足跡を消すことは叶わぬ。
未来は、過去に復讐される。
必ず――……
ルィンヘン:……吸血鬼が、僕たちを引き裂いた化け物が、知った風なことを言うな!
(エルフの額の魔晶核が発光し、ありったけの魔力を込めた光矢が形成される)
(特大光矢が猛々しく光を散らし、唇を嗤笑に歪める吸血鬼を睨む)
クドラク:魔力の矢か。
ルィンヘン:吸血鬼は、霧に化す異能を持つと聞く。
しかし、魔力の矢なら逃れられないだろう。
狩人たる僕の矢……
ゲルミアで、貴様を撃つ――
(両手に引き絞られた光の矢が解き放たれ、空中で夥しく分裂)
(視界を埋め尽くす、無数の光り輝く死針の群れとなって殺到)
クドラク:光の矢が分裂を――
十、二十……ざっと百はある。
ルィンヘン:ゲルミア!
閃光の猟犬となりて、魔を追い立てろ!
消えろ、吸血鬼!
クドラク:掻き鳴らせ、女神の指先よ。
血に濡れた
使徒のエルフの
愛と伝承の
ルィンヘン:竪琴……!?
あれだけの光の矢を、掻き消しただと……!?
クドラク:女神の振る舞いは、理性の奴隷である男を惑わす。
お前の歌声は、女神を射止める前に撃ち落とされたのだ。
奏でてやろう。お前の
一度きりになる。その耳で聴き、死ね。
ルィンヘン:がはあっ――……
(手足を奇妙に折り曲げ、踊る道化のように倒れるルィンヘン)
ルィンヘン:あああ…………
僕は……アンデッドに、エルフの秘密を……
何の償いも、出来なかった……
シャダイゲートだけは……
シャダイゲートだけは解放させては……
(地面を踏んで近づく靴先に、ルィンヘンは弱々しい眼差しを向ける)
ルィンヘン:何故貴様は、シャダイゲートを狙う……
ゲートが破壊されれば、冥府から悪魔どもが押し寄せてくるぞ……
この世界が冥府に侵略されてしまう……
クドラク:明日よりも今日を守る。
喩え破滅を招くとしても――
ルィンヘン:…………
吸血鬼……
お、お前を殺し……
(力無く振り上げた右手に、光の矢が握られる)
(夜空を向いた矢の先が振り下ろされるが、吸血鬼は焦りもせず爪先を引く)
(祭壇の床を無意味に貫いた光矢はすぐに霞み、ルィンヘンの命と一緒に霧散していった)
クドラク:幕引きは終わった。
虎目石のエルフたちが守っていた伝承は、はたして真実か偽りか。
冥府の門よ、開くか。
□9/朝日の昇る、丘の祭壇
クドラク:一夜が明ける――
くっ……眩しい……
黒翅蝶:
此方へ来てはどうか……
(森に残る昨宵の陰に、死霊傀儡師が現れていた)
クドラク:……今朝の貴様は、一段と死臭が酷い。
それ以上俺に近づけば、粉微塵に撃ち砕く。
黒翅蝶:悲しき言葉……
この身は、汝の鉄錆びた臭いを好むというのに……
黒き蝶は、血の臭いを漂わす汝を、遠巻きに飛び回ろう……
クドラク:――オブシディアン族はどうだった。
黒翅蝶:黒曜石の伝承は、無価値なる砂利に砕け散った……
汝の選び取った虎目石もまた、真実の原石に遠く……
クドラク:……互いに外れを引いたか。
しかし、エルフの先祖も周到なことだ。
三つの部族に、己の部族こそ正当なシャダイの子孫だと伝えたのだ。
結果としては、奴らの目論見は大成功だったと言えるな。
黒翅蝶:忌々しき浅知恵……
されど冥府の道を塞ぐ
クドラク:ムーンストーン族を攻めるなら貴様がやれ。
俺は帰らせてもらう。
黒翅蝶:
月長石を噛み砕くは、太古より蘇りし牙……
汝は日射しを避ける棺の寝台に休むがいい……
クドラク:…………
(漆黒の背外套で顔を庇いつつ、吸血鬼は丘の祭壇へ歩いていく)
黒翅蝶:汝、何故日射しに身を晒す……?
クドラク:
朝の日射しに堪えられず、灰に還る
亡き骸は風に散り、空に消えゆく……
(朝のそよ風に攫われ、
(失われていく恋人を留めようとするかのように、ルィンヘンの死体がリヴリンの死体に覆い被さっていた)
クドラク:貴様が命を賭して守った伝承は、シャダイの仕組んだ虚構……
狩人よ、貴様は犬死にだったな。
(吸血鬼の見下ろす先で、ルィンヘンの死体が炎に包まれる)
(火炎魔法に火葬されるエルフに、吸血鬼は背を向けて立ち去っていく)
クドラク:
死者へ
燃えて灰になり、恋人の亡き骸を追い掛けろ。
そして風に融けて、空に交わってゆけ。
二人で、永遠に――
□10/トゥルードの森の上空を巡る風
リヴリンの声:やっと追い掛けてきてくれたの、ルィンヘン。
ルィンヘンの声:リヴリン、待っていてくれたんだね。
リヴリンの声:もう少しで置いていっちゃうところだったわ。
さ、行きましょう。風が呼んでる――
ルィンヘン:そうだね、行こう。
僕たちだけの、誰もいない空へ――
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